第2話 赤ちゃん魔力英才教育の悲惨な末路

酷暑の夕暮れ。倉庫内は冷房が効いているとはいえ、じんわりと汗ばむ。段ボールの山に囲まれた休憩スペースで、高校二年のハルトとユウマは仕分け作業を中断し、ぐったりと座り込んでいた。


「ユウマ……俺さ、もし異世界転生したら、絶対やるわ。赤ちゃんのときから魔力ガンガン使って最強になるやつ」

ハルトは、空になったペットボトルをゴミ箱めがけて放り投げながら、唐突に切り出した。その目は、すでに遠い異世界を見据えているかのようだ。


異世界転生系の物語では定番の、生まれた瞬間からチート能力を持つ主人公の姿が、彼の頭には描かれているのだろう。


「あー、それな。異世界転生テンプレだよな。“魔力枯渇で気絶するまで魔法訓練を日課にする”とか、よくあるやつ」


ユウマは天井を見上げ、エアコンの吹き出し口をぼんやりと眺めている。

何度か読んだラノベ小説のワンシーンを思い出したかのように、生返事をした。彼自身も、非現実的な物語の世界にはそれなりに詳しい。


「そうそう! で、生後3ヶ月でズギャーン‼火球発射! 生後半年で魔力の器、成人超え! 親から『この子は神の子だ!』って崇められる未来が見えるぜ!」


ハルトの脳内では、すでにド派手な火球が爆音を轟かせているのだろう。その擬音語「ズギャーン」は、彼が頭の中で想像する魔法の発動音だ。現実では何も起きていないにも関わらず、彼の表情は真剣そのものだった。


「いや無理だろ。まず赤ちゃん、筋力もないし言語もないし、精神的にも“未熟”だぞ? そもそも、魔力って何だよって話だけど、仮に魂とか精神に依存するとしても、その精神がまだ未発達の段階で、どうやって高度な魔法を制御するんだよ。高圧電流を赤ちゃんに持たせるようなもんじゃねえの?」


ユウマは、体を起こしてハルトに正対する。彼の脳内では、現実の物理法則と発達心理学がフル稼働していた。


「……あ、それちょっと例えが怖い」

ハルトの声が、心なしか小さくなる。


彼の妄想は突飛だが、ユウマの現実的な指摘は、いつもその妄想に冷や水を浴びせる。


「怖いに決まってんだろ。想像してみろよ、魔力っていう得体の知れないエネルギーを、自我も確立してない赤ちゃんが振り回すんだぞ? しかも、お前が言ってるのは“ガンガン使う”レベルだろ。そんな訓練続けたら、魔力回路が焼き切れて一生魔法使えません、とか『制御不能な魔力塊と化して世界を滅ぼしました』みたいな事故、絶対起きてるぞ、そういう異世界には」


ユウマの言葉には、どこか妙な説得力があった。ハルトはゴクリと唾を飲み込む。その話が、まるで目の前で起きているかのようにハルトの脳裏に浮かんだ。


「じゃあ、慎重にやれば……」


ハルトが諦めきれない様子で食い下がる。


「慎重って何だよ? 赤ちゃんに『今日は魔力30%だけ使いましょうね』とか、『魔法を使う前に深呼吸を3回』とか通じるわけないだろ。寝返りすらランダムなんだぞ? 寝返り打つ時にたまたま魔力が暴走して、部屋の家具が全部ひっくり返るとか、ハイハイしながら無意識に地面を溶かすとか、普通にありえるだろ。しかも、赤ちゃんって基本的に自分の欲求に忠実だからな。お腹が空いたとか、オムツが不快だとか、そういう本能的な欲求がトリガーになって、制御不能な魔法をぶっぱなす可能性の方が高い」


ユウマは呆れたように肩をすくめた。


「うわ、それはヤバいな。オムツ交換のたびに部屋が爆発する未来しか見えねえ。母親が魔力耐性持ちじゃないと、育児放棄待ったなしだな」


「そもそも“魔力出し切ったら伸びる”って誰が言い出したんだよ」


ユウマが、根本的な疑問を投げかける。


「テンプレじゃね?」


ハルトは、当たり前のように答えた。


「根性論でMP伸びたら、世界中の魔法兵が気絶合戦してるって。そんな世界、週刊誌が“過労魔法死”で埋まるわ」


ユウマは想像して、顔をしかめる。


「ブラック魔法軍、爆誕……」


ハルトはゾッとした表情で首をすくめる。しかし、すぐに持ち前の妄想癖が顔を出す。


「うっ、でも待てよ! 漫画とかだと天才赤ちゃんがいるじゃん!神童つーの? 生まれた瞬間『ふむ、ここが異世界か』って、喋りだすやつとか。ああいうのなら、いけるんじゃね?」


ハルトの目に、再び希望の光が宿る。


「あれ“都合のいい前世記憶パッケージ”な。しかも、前世の記憶があっても、脳が赤ちゃんじゃアウトプットできねぇんだよ。思考は大人、でも言葉は『あーうー』しか出ねぇんだぞ? 脳と肉体のギャップで精神やられるだろ、普通に。それこそ、赤ちゃんの頭に大人レベルの思考詰め込んだら、頭パンクするだろ!最悪、二重人格みたいになったり、記憶が混濁して廃人になったりしてもおかしくない」


ユウマは冷徹な現実を突きつける。


「それ、逆にストレス溜まりそうだな……。『脳内では壮大な魔法理論を構築してるのに、口からはヨダレしか出ねえ』とか、拷問じゃん」

ハルトは、その悲惨な状況を想像して、身震いする。


「だろ? 赤ちゃんの脳はまだ『学びの基礎』を作る時期であって、複雑なスキルを叩き込む時期じゃないんだよ。子供にガチガチの勉強押し付けるのと同じで、魔法だって無理やりやってもムダだろ。基礎をじっくり固める時期に、魔力だけ集中して鍛えても、結局伸び悩むとか、才能が潰れるとか、ありそうじゃん。あと、魔力って肉体的な疲労にも影響するだろうし、赤ちゃんの身体は元々体力が少ないんだから、すぐにオーバーロードする。寝返り打つだけで魔力枯渇とか、あり得るぞ」


ユウマは、現実の教育論を魔法に当てはめる。彼の言葉は、常に論理的で穴がない。


ハルトが、なおも食い下がった。

「でも器って柔らかいうちに広げた方が伸びるって言うし……」


「それ筋肉な。しかも、無理に鍛えると逆に壊れるぞ。ボディビルダーみたいなトレーニングを小さい頃から過剰にやると、身長止まったり関節いわしたりする」

ユウマは、力説する。


「え、マジで?」


ハルトは、驚いたように聞き返した。


「てかさ、筋トレで超回復ってよく聞くけど、あれ“回復”が本体だからな?」


「うん?」


ハルトは首を傾げる。


「限界まで出し切っただけじゃ、ただの壊れた人。寝て、食って、回復して、初めて“ちょっと強くなる”わけ。魔力だって同じじゃね?」


ユウマは、指をさして説明する。


「なるほど……じゃあ“気絶するまで魔力ドバドバ出す”って、ただの燃え尽き症候群コースか……でもさ、子供の頃から魔力ガンガン使えば、めっちゃ強くなるんじゃね? 赤ちゃんから特訓開始!みたいな」


ハルトは、まだ諦めきれていないようだった。


「ハハ、赤ちゃんから特訓ってか。でもさ、仮に“魔力回路”ってのが体内にあるなら、無理やり魔力流し込めば過負荷で焼き切れるぞ。電気ポットに水入れずに空焚きして、ヒーター真っ赤にして壊滅するようなもん。一度やったらもう修理できない」


ユウマは、例え話を交えて説明する。

「うわっ、そのイメージやばいな……」


「で、それを赤ちゃんにやらせるとか、ヤバいにも程があるだろ。成長どころか、一生魔法使えなくなるリスクだってある」


ユウマの指摘に、ハルトは「うぐっ」と声を詰まらせた。彼の妄想は、次々と現実の理屈で粉砕されていく。


「……じゃあ“幼児魔力英才教育”って……ブラック育児?」


ハルトが顔をしかめて尋ねる。


「うん、ふつーに幼児虐待。親のエゴ全開。『将来は国の魔導官に』とか言って、赤ちゃんに魔力注入してたらホラーだろ。いい大学に進学させて大企業や官僚にさせたいがために、親が無理やり赤ちゃんに魔力トレーニングさせるとか、リアルな受験戦争の異世界版じゃね? 親が昔果たせなかった夢を、赤ちゃんに押し付けてるだけ、みたいな。そしてその歪んだ教育方針が、子供の人生を狂わせる。現実の英才教育でも、親の期待に応えきれなくて精神的に病んでしまう子供は珍しくないだろ? 魔法がある世界なら、その影響はもっと深刻だろうな」


ユウマは、眉間にしわを寄せた。


「うわー、それすげーわかる。そういう親、いるよな……。で、無理やり才能伸ばされた子供が、魔法を嫌いになって反抗期に魔導具全部ぶっ壊すとか」


ハルトは、どこか遠い目をしてうなずいた。


「最終的に魔法使わずニートになって、親に『私はこんなにも尽くして育てたのに本人のやる気が無かったから』とか言われるまでがセットだな」

ユウマがさらに追い打ちをかける。


「でもさ、そんなことやってる親、本当にいるの? それと、もう魔導塾とか教材とか、産業化してんじゃね?」

ハルトは、急に興味津々といった顔になった。


「うん、『魔法ゼミ』みたいな教材とか出てくるだろ。『0歳からはじめるマナ育! 親子で学ぶ魔力向上レッスン』とか……」


ユウマは、諦めたように笑いながら続けた。


「しかも定期購読制で、高額な専用魔導具とか買わせるんだろ? 『今なら特別価格! 月々9800マナで魔法基礎教材をお届け!』とか、どこの魔導ゼミだよって話。『この杖を使えば魔力感知が2倍に! 3歳児におすすめ!』とか言って、でも3歳児に精密操作ムリだろ。『隣の子はもう“風魔法Lv3”なのに、うちの子まだ“感知すらできません”……』とか言って親が追い詰められて、魔導PTAで過熱しそうだな。魔力測定器とか、魔導模試とかも当然あるだろ。そこで偏差値出されて、赤ちゃんや乳児

、幼児のどこかの段階で『お前は将来魔法使いになれない』とか烙印押されるんだ。しかも、そういう教材って大抵、初期は簡単で『お子さんの才能が開花!』って思わせといて、途中から『高位精霊との契約に挑戦してみよう!』とか、いきなり難易度爆上げされて、ついていけない子続出、みたいな。完全にビジネスモデル確立してそうだよな」


ユウマの具体的な描写に、ハルトは前のめりになる。


「うわー、その地獄、目に見える……。『ママが選んだ魔導カリキュラムだから頑張りなさい!』とか言われて、もはや教育じゃなくて洗脳じゃん。しかも、最初のうちは『火の玉で遊ぼう!』とか簡単な教材なのに、途中から『高位精霊との契約に挑戦してみよう!』とか、いきなり難易度爆上げされて、ついていけない子続出、みたいな。最悪だよ、そんな異世界」


ハルトは、その恐ろしい未来に身震いした。


「それな。で、最終的に『教材は最後までやりきったが、魔力は伸びなかった。だが、最後までやりきったこの経験が君の財産だ!』とか言って、魔法学校落ちるまでがテンプレ」


ユウマが冷たく言い放つ。


「あ〜〜転生って夢あるけど、案外エグいな……。理想と現実のギャップが、半端ねえ……」


ハルトは、がっくりと肩を落とした。異世界への憧れが、現実の厳しさ(ユウマの理屈)によって粉々に砕かれていく。


「だろ? 現実でもあるじゃん、英才教育って親の自己満足化しがちだし。魔法でも変わんねーよ、結局」


ユウマは、ぐったりと壁に背中を預け、冷たいペットボトルを首筋にあてた。


「結局、赤ちゃん魔力鍛錬はリスキーな上に効率も悪いって結論だな。普通に成長してからの方が、よっぽど賢く魔力を伸ばせるってことだ」


ユウマは、最終的な結論を述べた。


「あー……じゃあ俺、もし転生したら……赤ちゃんのときは寝て過ごすわ。ひたすらゴロゴロして、成長するまで魔力温存。たまに『あーうー』って鳴くだけ」


ハルトは、全ての夢を諦めたかのように呟いた。その顔には、転生後の野望が崩れ去った、幼い子供のような不貞腐れた表情が浮かんでいた。


「いや、せめてズギャーンぐらいはやっとけよ。お前の中では派手に炸裂するんだろうが、実際には何も起きないんだから、魔力暴走のリスクも低いだろ」


ユウマの言葉に、ハルトは考えるように顎に手を当てた。彼がイメージする「ズギャーン」は、その言葉だけで世界を揺るがすような、彼の脳内だけの魔法の擬音だ。


「ズギャーンを失敗してミルクぶちまける未来しか見えない。で、魔法もロクに使えないままFラン魔法学校直行」


ハルトは、悲壮な声を上げた。


「入学試験で『特技:ミルクぶちまけ』とか書くんだろ? 『魔力量はFランクですが、ミルクの飛距離はSランクです!』とか」


ユウマは、楽しそうにニヤニヤしながら、とどめを刺す。


「やめろ!俺のセカンドライフをFランにするな! ……ってか、ズギャーン人生、やり直したい!」


ハルトの叫びが、がらんとした倉庫に吸い込まれていく。どこからか、微かな機械の稼働音が響くばかりだった。


「何そのズギャーン人生って…」

ユウマが、思わずといった顔で呟いた。


「その失笑は心にくるから止めてくんね」


ハルトは、顔を赤らめて抗議する。


ユウマは、彼から目を離し、再び天井のエアコンを見上げた。彼の脳裏では、ハルトの突拍子もない妄想が、まるで現実の社会構造を映し出す鏡のように感じられる瞬間が、確かに存在した。


「はいはい」


ユウマは小さく相槌を打ち、立ち上がった。


「おい、そろそろ仕分け戻るぞ。現実逃避もここまでだ」

「えー、まだ異世界にいたいのに…」

「お前の異世界、結局Fラン確定だったじゃん」


二人の笑い声が、段ボールの迷路に響いた。

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