第15話 王子様の会いたい人と私

「会いたい人って、どなたですか?」


 私は思わず、フェリエ王子へ問いかけた。もしかして、エビの可能性も……そんな返事がくることに期待を寄せる。

 王子の答えには関心を示さず、ディアナはあっさりと視線を私に戻した。

 どうも、私が王子のほうを向いたから、ただそれを真似したかっただけみたい。


「うーん。どうしようかな」


 わざとじらすかのようにフェリエ王子はそう言うと、ふと顔を上げ周囲に視線を巡らせた。

 誰かを探しているのかしら――そう考えたとき、横から強い視線を感じる。ディアナの黒い瞳が、じっとこちらを見つめていた。

 私はその愛らしい顔に、つい微笑みを向ける。


「あれ?」


 私は王子のその声に反応して顔を上げた。彼の視線は食堂の入り口を向いている。

 その視線の先には、授業を終えてきたエビが立っていた。

 エビは私と王子を交互に見ると、お手本のような所作で深々とお辞儀をしてみせる。

 そして、そのまま立ち去ろうと思ったのだろう、食堂の扉に手をかけた。


「待って!」


 私の思わず出てしまった大きな声に、王子は驚いたのだろう。大きく肩を跳ねさせると、少し苦笑いをしてみせた。

 私はその場で立ち上がり、スカートの裾をつまんで王子に一礼する。


「すみません。妹でして」

「知ってるよ。君の声に少し驚いただけだ」

「ご、ごめんなさい……」

「ふふふ、気にしないでいいよ。彼女も初対面じゃないし」


 王子は私のほうを見ると微笑み返す。

 少し気まずい――なんとかごまかせないかと思っていると、エビがじっと私を見ているのが視界の端に映った。


「お、お姉さま」


 エビが私に話しかける。私に呼び止められたが、どうしていいのか分からないのだろう。


「あっ、ごめんなさい。呼び止めたままだったわね」


 私はエビにそう返事をすると、フェリエ王子に訊いた。


「妹を呼んでも?」

「いいよ」

「エビ、こちらにいらっしゃい」

「で、でも……」


 エビは眉を寄せ、王子と私を交互に見る。

 その困り顔も愛らしい。

 でも、それを見つめているのも可哀そうなので、私は彼女に声をかけた。


「大丈夫よ。フェリエ王子もいいって仰っているから」


 その私の言葉に彼女は少し戸惑うように右手を胸に添える。そして、しばらくじっとこちらを見ていたが、私の顔を再度確認すると静かにこちらへと歩き出した。

 王子に一礼すると、「失礼いたします」と緊張した面持ちで、私の隣へと手先から足先まで可憐な動作で椅子に腰を下ろす。さらにそのタイミングで、さっきの宮廷侍女が紅茶を差し出した。


「あっ、すみません」

「いえ」


 さっきのこともあり、不安で思わず声をかけてしまった私に笑みを向けてくれる彼女。

 よかった、別に怒ってないみたい――そう思い、つい笑顔になってしまう私。


「ふふ、やっぱり君って面白いね」


 そのようすを見て、またもや笑ってみせるフェリエ王子。

 この人、ずっと笑っている……そういう人なのかしら――そう思いながらも、何て言葉を返せばいいのか分からずに、ティーカップに手を伸ばした。


「お姉さま。私がご一緒でもいいのですか?」


 ささやくような声で私へと訊いてくるエビ。


「大丈夫よ。彼もいいって言ってたし、ディアナもね」


 私は隣のディアナに視線を移すと、彼女も少し納得したように表情を和らげる。


「いや、お姉さまと王子様の間で何か大事なお話があるのでは?」

「……ないわよ、特に」

「そ、そうですか」


 彼女は残念そうにそう返事をすると、ちらちらと王子のほうをうかがうように視線を送る。

 王子が気になるのかしら。

 攻略対象である彼をエビが好きになってくれれば、こちらとしても好都合だ。


「妹がフェリエ王子に訊きたいことがあるそうです」

「お、お姉さま!」


 私の言葉に目を丸くして驚くエビ。


「でも、何か訊きたいことがあるんでしょ?」


 少し会話の機会を作ってあげれば、仲良くなる可能性もあるかも……そう思って、私は二人の話すきっかけになればと、そう声をかけた。


「なんだい?」


 フェリエ王子は、身を乗り出してエビへ声をかける。

 その言葉にエビは戸惑うように視線を漂わせると、ややあってから彼に訊いた。


「そ、それはありますけど……」

「なんでもいいよ。言ってごらん」


 王子は優しくそう言うと、その赤みのある金髪をかき上げる。

 エビはそう彼に声をかけてもらうが、それでもなかなか口を開かずに、私と王子の両方を交互に確認していた。

 その長い沈黙に喉が渇いたのか、王子は紅茶を手にとると口に運んだ。


「ほら、フェリエ王子もなんでもいいとおっしゃってるし、遠慮しないで」

「お姉さまがそう言うのなら……」


 エビは私に向かってそう答えると、その透き通る碧い眼で王子を見据える。

 そして、唐突にこう言った。


「エリナゼッタお姉さまとフェリエ王子は、いつご婚約なさるんですか?」

「ぶっ!?」


 ごほっごほっ。

 フェリエ王子はその言葉に飲んでいた紅茶を吐きだした。


「ご、ごめんなさい」


 そのようすに、私が慌ててハンカチでテーブルを拭こうとする。

 だが、私より先に侍女が間に入ると、素早くそれを拭き取ってみせた。そして、「大丈夫でございますか?」と王子に声をかける。


「だ、大丈夫だ」


 侍女にそう答えると、王子はエビに向かって言った。


「ハハッ、婚約かあ……」


 私の顔を覗き込む王子。


「も、申し訳ありません。妹が……」


 私はとっさに謝ろうと腰を浮かせるが、彼は立ち上がり、右手を差し出して私を制した。


「大丈夫。妹さんは悪くないよ」

「えっ、でも」


 私の言葉に、妹は何事が起きたのかと私たちを見つめた。


「お姉さまは王子様とご婚約するのではないのですか?」

「もう、誰がそんなことを」

「お父さまとお母さまです。なんか、王宮から礼状が届いたと……婚約ももうすぐだと……」


 その言葉に、私は目の前のティーカップを取って、紅茶を一口飲んだ。


「もう、それは勘違いよ。あなたが不届き者を捕まえたお礼でしょ」

「えっ!? 私はてっきりお姉さまへの……すみません。大変な勘違いをしていました」


 エビは両手を組むと、私を見つめて涙ぐむ。

 どうしよう、なんとかしなくちゃ――私は前を向くと、こちらを見つめる王子に向かって謝った。


「ご、ごめんなさい。妹と両親が何か勘違いしてしまったみたいで」

「うーん、勘違いか。それほど勘違いでもないような気もするんだけど」

「えっ!?」


 王子の言葉にエビは驚き、目を丸くする。そして、私を見つめると言った。


「やっぱり、お姉さまとフェリエ王子はご婚約なさるのですね」

「いや、違うわ。そんな話聞いてないもの」

「で、でも、フェリエ王子は」


 その言葉に私たち姉妹は、同時に王子へと視線を向ける。

 少し困ったように彼は下を向くと、そのままそっと話し出した。


「うーんと、気に入ったとだけ言っておこうかな」

「えっ、何がですか?」


 私のその疑問に王子が私を見据え、何か言葉を発しようとした時だった。

 隣でつまらなそうに話を聞いていたディアナが、急に鋭い視線で王子をにらみつける。それを見て、少し息を呑んだように見えた王子は、慌てて話題を変えた。


「あっ、そうだ。これから編入の手続きをしないといけないんだった」

「そういうのは王子様なら……やっていただけるのではありませんか?」


 エビの言葉に王子は一瞬顔をこわばらせるが、次に無理矢理笑顔をつくるとこう言った。


「いや、そういうわけにはいかないよ。自分のことだしね。じゃ、また」


 慌てるように席を立ち、椅子につまずきそうになりながらも彼は去っていった。

 急にどうしたんだろ。

 私はそう思いながら、エビと同時に首を傾げたのだった。


 ☆


 食堂での騒動の後。私とディアナは何か聞きたそうな生徒たちを横目に、とりあえず廊下を行き先も決めずに歩いていた。


「はあ、なんでフェリエ王子がいたのかしら?」


 私がそうつぶやくと、ディアナが楽しそうに私の腕に絡んでくる。


「今日は用事は……ああ、そうだったわね。もう授業はないのよね」

「はい、お姉さま」


 うーん、可愛い。それはいいんだけど。

 私はこの後、図書館で自習する予定だったのよね。

 エビは外国語の授業に行ってしまったし、彼女の相手を頼む相手もいない。それに楽しそうな笑顔を見ていると、彼女の相手をしてあげないのも悪い気がしてきた。


「うーん、どこか行く?」

「お姉さまと一緒ならどこでも楽しいですわ」


 どこでもいいって言われても……前に図書館にいたわよね。

 最初にヴァルと出会った時に、彼女が図書館にいたことを思い出す。


「一緒に図書館に行きましょうか?」

「はい、お姉さま」


 そうよね、戦士クラスの彼女だって本くらい読むわよね。

 私たちは図書館に向かうことにしたのだった。

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