第12話 数式と私
あのお茶会から一週間が経った。
「お姉さま、ふわふわで気持ちいいですわ」
私は侍女のアメリアにいらない布を集めてもらい、それらを切り刻んで布の中に詰めた。出来たのは少し厚めだが、私のお気に入りだったものに近い座布団だった。
でもディアナ、それは抱くものじゃなくて、お尻の下に敷かないと意味ないのよ。
馬車の揺れが酷いので作ってみたが、試作品の具合は上々のようだ。そんなことを思っていると向かいのアメリアが私に視線を送る。
「お嬢様、いつこのような物の作り方を……」
その言葉に私はしばらく視線を宙にただよわせ、押し黙る。針と糸があったから普通に作ってしまったけど――そうよね、侯爵令嬢だもの普通は刺繍ぐらいよね。
「うーんと、たまたまね。学園の友達に教えてもらったの」
苦しいながらもそんな言い訳をひねり出す。数少ないけど平民も通う学校だもの、できる人がいてもおかしくないわよ。
咄嗟の嘘にしてはうまく言えた、と少し得意げな私。
「ご学友にですか……」
「そ、そうよ」
彼女は少し怪しく思っているように見えた。だが、それ以上はあえて何も聞くまいと背筋を伸ばし、まっすぐ前を向き直してみる。
もう少し突っ込まれたら、ボロがでるところだった。
少し安心すると右隣のディアナ、左隣のエビに視線をやった。
「えへへ、お姉さま……えへへ」
あれからエビは毎日のように学友にハンカチと――私が王子様にされたお姫様抱っこと手の甲へのキスについて訊かれていた。
その話をする度に、エビは私が「聖女様のよう」と言いふらすので、それが恥ずかしくてしょうがない。
「お姉さま……でへへ」
こっちを見つめては、座布団の座り心地に満足している彼女。たぶん、彼女からすれば自慢の姉なのだろう。
中身は三十路のポンコツOLだとは言えないわね。
それと、あの礼拝堂の事件はどうなったんだろう。詳細はなぜか分からずじまいだ。
それなのに王子様から礼状と花束が実家に届いたらしい。
「なぜかしら?」
思わず出た言葉に反応して、両腕に絡む二人が同時にこっちを向く。黒髪でアイドル顔のディアナと、金髪でお人形さんのように可愛い顔のエビ。
どっちに返事をしても、焼きもちを焼かれそうだ。
「二人ともどうしたの?」
上手く二人同時に問いかけた。天才か!
「お姉さま。ディアナはいつでも一緒ですわ」
「お姉さま。何かご不安でも?」
とりあえず、「そうね」とディアナに返すと、エビに向かって「大丈夫よ」と返す。
二人同時に相手をするのは大変だ。
私は目の前のアメリアに救いを求めようと顔を上げる。だが、彼女はにこにこと微笑んでいるだけだ。
まあ、王宮からの礼状と花のことはアメリアに、「エビ宛のものが間違えて私に届いた」と実家へ伝えてもらったから大丈夫だろう。
「そうだ、ディアナ。私が心配なのはわかるけど、もう一人で寝れるからだいじょ……」
私が最後に「大丈夫」と言いかけた時だった。ディアナの瞳から大粒の涙があふれるようにこぼれだす。
えっ、私。何か悪いことを言った?
その瞬間、アメリアがそっとハンカチを取り出すと彼女の涙をぬぐった。
「ディアナ様。バーバラさんが困っておりましたよ」
アメリアの言葉に、小さく頷くディアナ。そんな仕草も子猫のようで可愛らしい。
ディアナは私が倒れた次の日から、心配だと毎日お互いの手をつないで眠っていた。
そのことをエビは羨ましがっていたが、「お姉さまの迷惑になるので」と自分は遠慮することにしたみたい。
(まあ、ベッドに三人だとさすがにきついわね)
可愛いディアナと一緒に寝るのはいい。だが、朝はバーバラさんが起こしにくるまで起きないし、その間は力強く握られているので、ろくに動けないのだ。
そのせいで何回か遅刻しそうになったこともある。
「バ、バーバラ……」
あの優しそうでいつも笑顔のバーバラさん。その名前に恐れおののく彼女。
なぜそんなにバーバラさんが怖いのだろうと思う。
確かに起こしかたはかなり乱暴だ。だが、ディアナがこんなに怯えるのには、他に何か訳がありそうではある。
「バーバラが……でも、寂しいですわ」
そう言って涙を止めると、思い切り私に抱きつくディアナ。その腕は反対側で絡みついていたエビの体に当たった。
その瞬間、少し不機嫌そうに頬を膨らませて対抗するエビ。
「お姉さま、今日は“マナー教室”と“数理応用学”の授業ですよね?」
「そうね……エビはどうするの?」
「私はまだ“数理基礎学”を修了していないので、残念ですがそちらへ」
彼女と一緒の授業なら、後で分からないところを確認できる。だが、私が転生する前のエリナゼッタはかなり優秀な生徒だったらしく、数理基礎学は修了済みだったみたいだ。
ディアナは私たちとは別で、戦士クラスの生徒らしかった。
道理で学園ではあまり顔を合わせない。
「数理応用学は難しいわよね」
少しノートを見返してみたが、その内容はとても簡単だとは言えなかった。
私がそれを思い出し、何気なくエビにそう問いかけると彼女は目を丸くして驚く。
「えっ!? お姉さま“でも”ですか?」
その言葉に一瞬しまったと思う。だが、「簡単だと言って分からないよりかはいいだろう」と思い直した。
「難しいわよ」
あまり勉強は得意ではなかった私。しかも一番成績が悪かった数学だ。
私は言い訳することなく、そう返事をする。そして、不安な自分の心をごまかすように、エビの頭を抱きかかえた。
「お姉さまでも難しいなんて……」
私の胸の中で不安そうに答えるエビ。たぶん彼女も修了後は応用学へと進むつもりだったのだろう。
「大丈夫よ。エビは優秀だから、ねっ」
「そうですか? でも、お姉さまが仰るのならば」
その時、馬車はゆっくりと減速していった。
「すみません、お嬢様。正門に到着したようです」
「大丈夫よ。わかったわ」
アメリアにしては珍しく、何かを考え事をしていたようだ。
いつもならもう少し前に教えてくれるのだけど……なにかあったのかしら?
私は彼女を気にしつつも、授業のことが頭をよぎる。
「はあ、なんとかなるわよね」
私のその言葉に「そうですよね」と外を眺めながらつぶやくアメリア。そんな彼女の横顔は、どこか遠くを見ているように見えた。
☆
複雑な方程式を黒板に書くと、すらすらと解説しながら解いていく講師。
大きな教室だが生徒は二十人ほどしかいなかった。数理応用学はあまり選択する生徒は少ないらしい。普段の生活では使わない、学者が使うようなことを学ぶからだ。
もっとも好成績で卒業すれば、王宮財務官などの国を担う役職に就ける可能性もある。
「この方程式をここに当てはめて……こう分解します」
黒板の文字が何かの呪文に見えた。
私はそれをノートに懸命に取りつつも、思わずぼそっと言った。
「こんな方程式、覚えるなんて無理よ」
不安に思っていたことが現実となる。エリナゼッタの記憶があるとはいえ、今は私が授業を受けているのだ。
私は半ばあきらめ気味に、前世の癖で鉛筆をくるくると指先で回している。
「どうにかならないかしら」
そうは言っても女生徒は私も含めて二人だ。他の令嬢はもっと嫁入りに役立ちそうな授業を受けるらしい。
女子同士で楽しくお勉強と……とはならないわよね。だってあの子、知らないし。
「エリナゼッタは何で……ああ、なるほどね」
侯爵令嬢の彼女は息抜きにこの授業を受けていたようである。囲まれることが多い彼女は、他の令嬢たちと話を合わせるのが大変だったらしい。
「お嬢様も大変なのね」
私はそんなことを考えつつも、急に成績が落ちたら周りに疑われるだろうなと、少し心配になってきた。
少しは努力しないと、エビのお姉さんとして立場もない。
「そうよね。どうにかしないと……」
そう思い、私は何とか黒板の文字を写しつつも、周囲を見渡した。
すると後ろの一番端、そこに知った顔を見つける。
(あっ、図書館の銀髪青年!)
私は思わず声にでそうになるが、左手を口にやり押さえ込んだ。
危ない、目立ってしまうわ。それでなくても、男子生徒がチラチラこちらを見てるのに……女生徒はやっぱり珍しいのね。
そんなことを思いつつも、私は一つ問題が解決したことで気分が高揚する。それと同時に妹の話をしながら笑ってくれた、彼の優しい笑顔を思い出した。
「彼なら話しやすいし大丈夫よね」
私はもう彼に頼る気で、心を弾ませながらさらに勢いよく鉛筆を回したのだった。
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