第7話 お茶会に向かう私

 改めて考えると、この世界での私の役回りは主人公の姉である。

 転生前に友達と話をしていた時も、一言も姉の名前は出てこなかった。そのことからしても、さして重要ではないモブキャラだったことが分かる。


「そういえば……なんて名前だったっけ」

「えっ!? 私の名前はエビですけど……」


 友達の名前を思い出そうとして、つい口からでてきてしまった言葉。それが隣にいた彼女の耳に届いてしまったようである。

 私を見つめる主人公のまばゆいくらいの青い瞳が、見る見るうちに曇っていった。

 ど、どうしよう。動揺する私を見て、さらにエビは不安になったようだった。


「わ、私の名前を忘れるなんて……お姉さま、あんまりです」

「わ、忘れてなんかないわよ。ちょっと名前が思い出せない人がいただけ」

「思い出せない人? それはご学友ですか?」


 隣りで馬車の揺れでロングの金髪を揺らしながら、小首を傾げると彼女はそう訊いてきた。

 さすがヒロイン、なんて可愛いのかしら。その仕草に思わず抱きしめてしまいそうになった私。


「うーんと……それはどんな容姿の方ですか?」


 その髪には銀で作られた小さい百合の花のバレッタが添えてある。姉妹でお揃いだと、出発前にはしゃぐように喜んでいた彼女。

 その大小の二つの花と葉がバランスよく配置されており、優美で目立ちすぎない大きさが可愛らしさも演出していた。その二つの花は私たち二人をモチーフにしているようである。


 彼女の天使のような声でされたその質問に、私は人差し指を自分の唇にそっと添えて考える。

 そんな私の顔を見つめ、回答をじっと待つエビ。そんなに見つめられるとなんだか恥ずかしいじゃない。


「そうねえ、茶色い髪で丸い眼鏡をかけていたような?」


 前世の記憶、それも曖昧あいまいなものである。エビは知らない人なのだから、当然当たるわけもない。

 しかし、彼女はそのまま深く考え、頭を捻ると胸の前で腕を組み考え始めた。


「そ、そんなに一生懸命に考えなくても」

「いえ、お姉さまの一大事ですから」


 いない人間のことを言ってごめんなさい。


「大丈夫よ……」


 私は彼女を気の毒に思い、そう声をかけた。だが、エビは私のほうを見上げるとこう訊いてくる。


「三日前に廊下ですれ違ったカー先輩ですか?」

「……ち、違うわ」

「そうですよね。会話もしてないですし……あと眼鏡の形が違いますけど、デイヴィスさんかも。五日前のお昼にお姉さまの二つ隣りの椅子に座ってました」

「えーと……」

「それも違うのですね。では文学の講義で生意気にも話しかけてきた、トンプソンって男子学生ですね! もう、ほんと私のお姉さまに!」


 そう言って、頬を膨らませて怒り出すエビ。


「ち、違うわ。大丈夫よ、大したことじゃないから」

「そうですか……なら、いいですけど」

「でも、よくそんな細かいこと覚えているわね」

「お姉さまのことならなんでも知ってます。まかせてください」


 そう言うとエビは誇らしげに胸を突き出すと、ぽんっと胸を軽く叩いた。


「そ、そうね……」


 私は少し言葉に詰まりながらもそう返事をする。

 すると彼女は先ほどの得意げな表情から、一気に不安そうに目を伏せてしまった。

 何か不味い返事をしてしまったのかと、私は彼女の肩に手をそっと乗せる。


「ところでお姉さま」

「なに?」


 それに反応するかのように視線を上げる彼女。


「本日のお茶会ってお姉さまのお友達の」

「ステリー家の主催よ」

「ジュリエ様もいらっしゃるのですよね……」

「そうね」


 私の頭の中でジュリエ・ステリー嬢の情報が出てくる。

 なんて便利なシステムなのかしら……エビはジュリエのことが苦手みたい。

 それに結構きつい顔の子ね……悪役なのかしら、ずいぶん酷いこともしてるみたいだけど。


 でも”その程よく吊り上がった大きな目”だけは羨ましいわ、本当に。


 そう思って彼女に視線を戻すと、膝の上で右拳を強く握っていた。本当に苦手なのね、私はその拳にそっと手を添える。


「我慢なさい、お茶会は大切よ。それも伯爵家の主催ですもの」


 自然と私から出た言葉。少しエビが可哀そうに思えるが、これがこの世界の常識なのだろう。

 もっと労わる言葉をかけたかったわ。

 隣りに座る彼女の可愛らしいフリルがついたピンクのドレス。そして、私の少し大人びた刺繍の入った青いドレス。

 その二つが重なるように、私は彼女を抱き寄せる。するとエビは顔を私の胸へと強く押し当ててきた。


「お姉さま」


 その不安そうに私を見上げる顔にキュンとして、思い切り抱きしめて振り回したくなる。でも馬車の中だとできないな、と何とか耐える私。

 そんな気持ちよ、気持ち……でも何これ、可愛らしい……。

 エビには悪いが私を慕ってくる愛らしさに、テンションが上がってしまう。


「大丈夫よ、心配ないわ……」

「は……はい、お姉さま」


 そっと頭を抱きかかえると、彼女は小さな声で答えた。

 馬車の振動とともに胸に押し付けられる小さな頭。その光景を微笑ましく、侍女のアメリアは見つめていた。


 ☆


 少し気分転換が必要ね。

 一旦落ち着かせてから……それもこの子がよく知った場所がいいわね。

 そう考えた私は、アメリアに指示を出す。


「少し学園に寄ってもらえるかしら」

「学園ですか……」

「大丈夫、時間には間に合わせるわ」

「わ、わかりました」


 彼女はそう返事をすると、御者へ「王立学園へ向かって下さい」と指示を出した。

 御者は大きく頷くと手綱を引き、大きく馬車を右へと旋回させる。


「お姉さま?」

「ちょっと礼拝堂に寄りたいの……付き合ってくれるかしら?」

「はい! お付き合いします」


 ふふ、笑顔になったわね。そのエビの元気な返事に小さく微笑むアメリア。

 彼女と視線を合わせると、お互いに小さく頷いてみせる。

 馬車は別の大通りにでると、坂道を駆け上がり始めた。少し石畳の振動がきついが我慢する。

 その坂を上りきったところで、馬車がピタリと止まった。


「やはりお休みの日は、あまり人もいないのね」

「そうですね」


 正門は開いているはずも無く、礼拝堂へと続く裏門から入ることになる。当然、エスコートの男性もいないので、アメリアが代わりに先に降りた。


「ごめんなさい、わがままを言ってしまって」

「いえ、当然の務めですので」


 アメリアはそのまま裏門に向って駆け出す。

 だが門は鉄製で重く、その細い両足で踏ん張るもビクともしない。

 建付けが悪いのかしら……。


「私も手伝うわ」


 思わず鉄門に手を添え、足を思い切り踏ん張った私。でも、その瞬間アメリアの顔がこわばった。


「お、お嬢様いけません」

「いいのよ。私が頼んだのだし」


 私の言葉に、アメリアは呆れたように表情を緩めるとさらに力を込めて押しこんだ。その勢いのせいか、重厚な音の響きとともにゆっくりと門は開いていった。


「ふう、開いたわね」

「お嬢様。もうこんなことはなさらないでください。もしお耳に入ったら、『侯爵令嬢ともあろう者がはしたない』と奥様がお怒りになりますよ」

「えっ、あっ、ごめんなさい」


 アメリアの言葉に謝る私。だが、その私の顔を見て慌てたように右手を胸の前にかざすと、彼女は優しく言った。


「でも、助かりました。お嬢様、ありがとうございました」


 アメリアは深々と私に向かってお辞儀する。


「えっ!? あっ、いいのよ――――――」


 私はそこまでされることはしてはいないと、彼女に手を差しのべようとした時だった。

 突然、私の後ろから拍手が聞こえる。


「お、お姉さま! 私、感動しましたわ」


 振り向くとそこにはエビがおり、そう歓喜の声を上げた。その顔は輝いており、目からは一筋の涙を流している。

 えっ、なぜ泣いているの。

 その光景に戸惑いを感じていると、彼女は涙を拭ってこう続けた。


「お姉さま……私、感動しました。困っている侍女を見過ごせず、周りにどう思われようと手を貸すお姉さま。ああ、お姉さまは―――――まるで、そう物語に出てくる聖女様のようです」

「えっ!? ……そんなこと」


 両手でスカートを掴むと、彼女はふわりと舞い上げる。そしてそのままひざまずき、両手を前に組んで祈りをささげるようなポーズをとった。

 な、何をしだしたの?

 動揺して何もできない私。


「お姉さま……」


 そう、一言。彼女の祈りは私に向けられてた。


「えっ、ちょっ……!」


 周囲の通行人の視線がこちらへと集まっている。

 やばい、そう思った私はエビの腕を掴むと、さっき開けたばかりの門を通り抜けた。


「お嬢様、わたくしは入れませんので」

「わかったわ」


 後ろでにこやかに見送るアメリア。

 なぜエビの行動を止めなかったのかしら……。そんな思いが交差するなか、なぜか嬉しそうな顔で走る妹エビ。

 私たちはそのまま礼拝堂へと向かったのだった。

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