第2話 ゆうきLOST:2

1:直川由貴


「冷たいのね、由貴くんの手は」


 里衣の小さな手が俺の手に触れた。その手は少しばかり震えていて、彼女の緊張を伝えてくる。


 9月の夕方。冷たい風が、スーツから出る手や顔をさらに冷たくする。自分の顔はわからないが、里衣の顔は真っ赤になっていた。


 「本当に冷たい。こんなに冷たくて大丈夫なの?」


 「いつものことだ」


 公園のベンチで大学生二人が並んで座っている。女が男の手の上に自らの手を重ねている。知らない人がこれを見たら、きっと俺たちはカップルに見えるだろう。


 公園では男の子が二人、キャッチボールをしていた。小学生くらいだと思う。二人は坊主頭に半袖、半ズボンで元気に笑い声を上げている。


 騒がしい子どもたちを見ていると、何だか年を取った気がするのだった。自分には9月に半袖半ズボンで外に出ていた時期などなかったが、それでも子どもの頃は冷たい風にこんなにも苛立ったりはしなかった。


 「どうかしたの?」


 里衣が、俺の手を軽く握る。子どもから視線を里衣に移すと、彼女は穏やかに微笑んだ。


 本当に穏やかとか、和やか、というような言葉が似合う女だった。垂れ目の瞳はいつだって優しく温かい色をしているし、笑う時も大きく口を開けたりはせず、小さく半円を描く。


 「どうもしていない。それより、お前は随分と熱いな。熱でもあるんじゃないか?」


 真っ直ぐに目線を合わせて、俺は彼女に問う。彼女はいつだって温かい。温かい瞳で、温かい体温で、いつだって居心地がいい。だから熱があるなんて思ってはいなかった。ただ、俺のことを冷たいなどと言うから、言ってやりたくなっただけなのだ。


 「……」


 里衣はほんの少しだけ目を細めた。そして、ゆっくりと重ねていた手を離す。


 「熱、ね。今はあるかもしれないわね。だって、好きな人に触れていたんだもの」


 好きな人――。この文脈で好きな人が俺を指していることはすぐにわかった。


 さて、これは告白なのだろうか。流れるように告白をされてしまったのだろうか。対応に困ってしまう。


 「由貴くん、いいの。何も答えなくていいのよ。私だって、わかってるから」


 里衣はそう言って、俺には何も喋らせようとしない。一人で満足して、一人で頷いた。


 面倒くさい、と正直思ってしまう。この女とは時折言葉のキャッチボールが出来ないことがあった。彼女は見当違いの方向にボールを投げては、自分でそのボールを追いかける。ボールの側にいる俺には「私が取るから待っていて」と言うように制止をかけるのだ。


 自己完結する里衣に、お前は何もわかっていないなどと言うのも面倒くさくなってしまい、俺は再びキャッチボールをする少年二人に目線をやる。二人はたまにボールをこぼすものの、基本的にはお互いの取りやすい位置に向かって投げるようにしているようだった。俺も、あんな風にキャッチボールが出来ればいいのだが……。あいにく面倒くさがりである俺には出来そうにない。


 「ねえ」


 いつの間にかベンチから腰を上げた里衣が俺の前に立つ。そう立ちはだかられると、少年たちを見ることが出来ない。視界を支配され、少し苛立ったが、渋々彼女の声に応じる。


 「どうした」


 「あのね、やっぱり私は……駄目みたい」


 「何を言っているんだ?」


 そんなことない、と言ってやればいいのかもわからず、俺は首を傾げる。何を言っているんだ。意味が分からない、突然すぎる。


 俺たちはちょうど、ボランティアの帰路だった。ボランティア先は俺が幼少期にお世話になった児童養護施設で、そこで子どもたちと遊ぶといった内容だった。


 縁あって昔保護してもらった施設に顔を出したのだが、施設長が俺のスーツ姿を見たいなどと言いやがるから俺たちはこんな堅苦しい恰好を余儀なくされた。まあ、今は置いておこう。


 ともかく、彼女は同級生以外の施設の子どもと関わるのは初めてで、かなり滅入ってしまったようだった。突然泣き叫ぶ子どもを見て、すっかり慌てふためいていた。また、攻撃的な態度をとる子を前にどうしたら良いのかわからず困惑していた。


 はじめての体験で何も出来なくても当たり前なのだが、それでも里衣にとってはよっぽど気に病む出来事のようだった。ボランティアは三日間行われたが、ずっと泣いていたように思う。


 だから、きっと駄目だとういうのはそういうことなのだと思った。「施設で子どもたちのために働きたい」と夢を語っていたにも関わらず、何も出来なかった事実に自分は情けないと思っているのだろう。


 「あまり、気に病むな。俺だって何も出来てない」


 自分が同じように施設にいたからといって、何か出来るかと言えば出来なかった。その点では彼女と同じなのだ。それをいちいち気に病んでいては大変だ。だから俺は感傷には浸る気にはなれなかった。


 里衣は、俺をしばらく何も言わずに見つめていたが、やがて首を横に振った。凹んでいる時ですら、彼女は口元の半円を崩さない。


 「ううん。違うの……ボランティアのことじゃなくて……。いや、それもあるんだけどね? ごめん、何でもないわ」


 ほれ見ろ。また自己完結しやがった。何なのだ、この女は。自分から言っておいて、すぐこうやって自己完結する。幼少期からの付き合いであるにも関わらず、いい加減に慣れることが出来ない。


 ――でも。


 思い返せば「もしも」なんて考えてしまう。


 「好きだよ」


 もしも、彼女のその言葉の真意にさえ、気付いていたならば……。


 「さようなら……由貴くん」

 

 ――彼女は今もここにいたのかもしれない。

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