第7話 封じられた扉

週末、私はひとり、電車に乗った。

目指すのは、お母さんの実家だった場所。もう地図にも載っていない集落——廃村のような場所だと、柚月が言っていた。


スマホの画面を見ながら、不安と期待が入り混じる。

記録室で見つけた古い住所。お母さんの手帳の隅に書かれていた文字。


そこに、何かが残っている気がした。


「……何してんの、こんな朝っぱらから」


声をかけられて振り向くと、柚月がいた。改札口の前、手に缶コーヒーを持って立っている。


「まさか、ひとりで行く気だった?」


「なんで……」


「昨日の美羽の目、完全に“決めてる顔”してたから。LINEでバイト入ってないって言ってたのも怪しかったし」


私は小さく息を吐いた。

彼女は、こういう勘がやたら鋭い。


「勝手に来たなら、勝手についてきてよね」


すこし涙を浮かべながら言い放った私の言葉に、柚月は驚いたように目を丸くしたあと、静かに微笑んだ。


「了解。あんたのことは、あたしが守る」


その表情の奥には、少しだけ緊張も浮かんでいた。





ローカル線を乗り継ぎ、さらに山道をバスで進んでいく。

窓の外には、人の気配のない風景が広がっていた。


「……そういえばさ。お母さんって、どんな人だったの?」


柚月が聞いてきた。


「やさしかった。声が静かで、でも芯は強くて。私、小さいころのことあまり覚えてないけど、お母さんの手の温度だけは、はっきり残ってる」


「……そうなんだ」


しばらく沈黙が続いたあと、柚月がぽつりと言う。


「一真のこと、まだ好きなんでしょ?」


「……うん。たぶんね」


「“たぶん”じゃなくて、“ちゃんと好き”って顔してる。……あんたが何を守ろうとしてるかは、言わなくてもわかるよ。でも、あたしはあんたのこと守るからね。誰に何言われても」


私は黙って頷いた。

言葉が喉まで来て、どうしても出てこなかった。





バス停から歩いて10分ほど。

雑草が生い茂ったあぜ道の先に、ぽつんと一軒の古びた家があった。崩れかけた屋根、割れた窓、色あせた木の柱。けれど、どこか懐かしい匂いがした。


玄関には鍵はかかっておらず、扉はわずかな力で開いた。

中に入ると、かすかに畳の匂いが鼻をついた。


「……なんか、空気が変」


「うん」


部屋の中は薄暗く、家具はほとんど残っていなかった。

古びたちゃぶ台、くすんだソファ、すでに朽ちかけた箪笥。


押し入れの中には、湿った布団がそのままの形で残されていた。

冷蔵庫の扉は開きっぱなしで、中には何もない。けれど、壁のカレンダーは2002年で止まっていた。


「時間が、ここだけ止まってるみたいだね」


柚月が言った。


そんな中、箪笥の上に一つだけ残された木箱を見つけた。留め具に鍵がかかっていて、私たちは室内を探し回る。


数分後、柚月が棚の裏から小さな鍵を見つけた。

ぴたりとはまり、箱が開く。


中には、数枚の写真と、折りたたまれた便箋、そして日記の切れ端。


私は手紙を開いた。


《颯太を迎え入れるべきか、まだ迷っている。あの人——松浦のやり方は、間違っている気がする。けれど、あの子には居場所が必要だった。》


お母さんの筆跡だった。

そこには、家族のために葛藤していた母の姿があった。


「……あんた、ここに来て正解だったね」


柚月の言葉が、胸に染みた。


——けれど、ふいに視界の端に動くものが映った。


「……今、誰かいた?」


私は声をひそめた。


「え?」


「……今、外に、人影が——」


柚月が窓の外を見たが、そこにはもう誰もいなかった。


気のせいかもしれない。

けれど、確かに何かがこちらを見ていた気がした。





その夜、私たちは駅前の簡易宿に泊まった。


明かりの少ない静かな部屋で、私は眠れずにいた。

カーテン越しに月の光が差し、枕元のスマホが震える。


颯太からの通知だった。


《どこにいるの?》

《迎えに行くよ》


GPSは切っていたはずなのに、なぜ——。


私は震える指で電源を切った。


「……まさか、位置バレてる?」


目を覚ました柚月が真顔で言った。


「こっち来たら、逃げるからね。あたし、ほんとに戦うからね」


「……ごめん、巻き込んでるよね」


「いいの。美羽がちゃんと話してくれたの、今日が初めてだったから」


柚月の優しさが、ありがたくて、少しだけ怖かった。





翌日、バスで帰宅した私は、そのままバイト先のカフェへ向かった。


店内は混雑していて、いつもと違う空気が流れていた。


「……ごめん、美羽ちゃん。今日ちょっとトラブってて」


レジ裏で先輩スタッフの加藤さんがこっそり言う。


「厨房の包丁が一本なくなってて。誰かが持ち出したのか、落としたのかもわからなくてさ……」


「え……」


「最近、老夫婦の常連さんも来てないでしょ? あの人たち、先週“何かおかしいね”って言ってたんだよ。“誰かに見られてる気がする”って」


私は声が出なかった。


包丁、常連客、視線——全部がつながっていく気がした。





その夜。帰宅して、昼間の木箱を再び開いた。


母と私が並んで笑っている写真。

その裏に、細い文字でこう書かれていた。


《この子を守って。もしわたしに何かあったら——》


文字は途中で切れていた。

けれど、その一文だけで、すべてが変わった気がした。


お母さんは、何かを知っていた。

そして、誰かに伝えようとしていた。


私はその写真を胸に抱いた。


——もう、戻れない。

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