[エピローグ]いつか改めてその時が来たら

 僕――鶴山 真水つるやま まみずは、平行棒から手を離す。右手に杖を携え、両足をしっかりと地に付ける感覚を意識する。

 遠くに逃げる感覚を無理矢理たぐり寄せるのように、おぼつかない足を広げ、支持基底面積しじきていめんせきを広く取ることを心がける。

 ふと横を見ると、一ノ瀬 有紀いちのせ ゆき船出 道音ふなで みちね固唾かたずを呑んだ様子で見ていた。

「鶴山さん、それではゆっくりと歩いてみましょう」

 理学療法士の言葉に促されるように、僕は彼らの期待に応えるようにゆっくりと足を踏み出した。


 ☆☆☆☆☆


「お疲れ様、真水も進歩したなあ」

 有紀がベンチに座ったまま、僕に片手に持ったスポーツ飲料を差し出してきて、僕はそれを受け取って早速その中身を口へと運ぶ。

 今日は外来リハビリの日で、丁度有紀と道音が見学したいとのこと出来ていた。

 二人は他の患者さんの邪魔にならないように、と壁際に配置されたベンチに腰掛けていた。

「ありがとう、ようやく杖で歩けるようになって嬉しいよ」

「これで真水先輩と三人で歩けるようになる日もそう遠くないですね?」道音は有紀を見ながら楽しそうに笑う。

「そうだなぁ、また一緒にショッピングモールを回ろう、車椅子だと見れなかったところも多いし」

 有紀は柔らかな笑みを浮かべた。女性となった彼女の笑顔は、儚さと純粋さを兼ね備えておりどこか一枚の写真のように映る。

「有紀も船出さ……も、本当に今日は見学に来てくれて有り難うね?僕も成長してるんだって所を見せられて嬉しいよ」

「あ、またよそよそしく呼ぼうとしましたね?駄目だって言ってるじゃないですか、私達はかけがえのない友達でしょ?」

「そう言われても慣れないって……」

 わざとらしくむくれる道音に真っ向から言い返すことが出来ず、僕はどこかばつが悪くなり彼女から目線を逸らす。

 あの崩落事故により、僕達の関係は大幅に変わったと言っても過言ではない。有紀は女性の身体になり、僕は脊髄損傷せきずいそんしょうから両足をまともに動かすことが出来なくなった。

 でも、全部が全部悪いことだけではなかった。お互い本心でぶつかり合った結果、僕達の関係は切っても切れない強固な縁となった……気がする。

 だからだろうか。僕が道音に対しても親しげに呼ぶように、と有紀と道音本人の二人から提案されたのは。

「そうだぞ真水、みーちゃんと三人で仲良く居ようって話したじゃんか、ねえ?」

「ねー」

「僕の知らない間に君達も大概たいがい仲良くなってるよね……」

 本当に、夏以前までなら予想さえも付かないほどに二人は仲良くなっていた。有紀は今まで道音に壁を作って拒絶するように振る舞っていた。

 しかし、あの土砂崩れの事故以降、道音の家で一時期泊まっていたことも理由の一つとしてはあるのだろう。よく休みの日は二人で化粧品や服を見に行ったりしているらしい。時折僕も誘われるのだが、リハビリの時間の都合が重なったり、ただ単に僕が化粧品とかにうとく乗り気では無いことから一緒に行く機会は少ない。

 その事が有紀は気に食わないらしく、「歩けるようになったら一緒に行こう」と何度もしつこく誘われ、ついにはリハビリの見学にまで付いてくるようになったのだ。

「あ、私ちょっとお手洗い行ってきます、二人とも待っててね」

 と道音は席を立ち、その場を後にした。彼女が立ち上がり、空いた空間に僕が座り込む。

 有紀は両足をバタバタと動かしながら、忙しなく周りを見回している。気のせいだろうか、どこか目が輝いているようにも見える。

「……そんなに病院が珍しい?」

 僕がそう問いかけると、有紀は僕の方を見ること無く、「うん」と頷いた。

「真水はさ、進路希望の紙出した?」

「え?どうしたの唐突に。出したけど……有紀は?」

「私さ、高校を卒業したら医科大学に進もうと思うんだ」

「あ、そうなんだ?」

 彼女の言葉は初耳だった。というのもお互い事故の後に姿が変わったことから、将来についてはあんまり触れづらく今までその事について話をした事が無かったのだ。

「……でも、どうして?」

 僕の問いかけに、有紀は天井に等間隔で並ぶ蛍光灯に目線を向けた。 僕もそれに釣られて蛍光灯を見る。目映く、けれども柔らかい光が僕の網膜を刺激した。

「あの事故以降、私は女性になったでしょ?それで女性として大変なことも沢山知った。男性として、女性としての視点を兼ね備えている私が、同じように苦悩する人達の力になれたらなって。そう思うんだよ」

「そっか、女性としての視点を知ったからこそ……同じ苦悩を抱える人の力になりたいんだね」

「そう。だから高校を卒業したら、皆離ればなれになっちゃうなぁ……」

「そうだね、僕は高校を卒業したら有紀とは違うまた別の大学を受ける予定だし。自由になるにも、色々な世界を知らないといけないから見聞を広めたいんだ」

「そっかぁ、真水は自由が本当に好きだもんね。お母さんは何か言ってるの?」

「んー、どんな道を選んだとしても真水の自由だ、って言ってたよ」

 お母さんは、約束通り僕が退院してからもずっと介抱してくれた。何度も、僕のために不自由になることは嫌だ……と訴えていたけれど、お母さんにとっては「我が子を放って置いて、自由を求めたとしてもきっとその後には後悔が残るから」と言って僕を見捨てようとはしなかった。

 何となく、その言葉を聞いてから僕は「自由は、不自由の先にあるんじゃないか」って思い始めた。

 白紙のノートではなく、罫線が引かれたノートの方が勉強には最適なように。何かしら制限があってこそ、初めて自由というのは生まれるのではないだろうか、と。

 僕が今置かれている、足が動かない状況というのは確かに不自由だ。だけれど、きっとこの不自由を乗り越えた先に自由は存在するのだと信じている。

 きっと、望む未来はこの不自由の先にあると信じて今は目の前の困難と向き合うしか無いのだ。

「真水の自由、ね……なあ、私最近思うんだけどさ」

 有紀は何かを思い立ったように、というか思い出したように改めて僕の目を見る。その表情は真剣そのもので、思わず僕は身体を委縮させる。

「……なに、どうしたの?」

 僕がそう尋ねると、有紀はどこか逡巡した様子を見せた後、口を開く。

「やっぱさ、将来もし誰かと寄り添わなければならないとしたら、私は真水しかいないと思うんだよね」

「……いつぞやの話をぶり返すみたいで嫌なんだけどさ、あんまりそういう関係を有紀に求めてないんだって?僕は親友を失いたくないんだよ」

「いや、私の話を聞いてよ?確かに、この選択肢を真水が受け入れたら、親友としての有紀は居なくなるよ?でも、どっちにせよ高校を卒業したらいつかは疎遠になっちゃうんじゃないかな、って最近思うんだよ」

「まあ、確かに……?」

「だったら、少しでも一緒に長く、楽しく居られることを重視するべきじゃないかなって。親友とかいう関係に拘るんじゃ無くて、変わりゆく関係の中で私達がどう関係性を維持するか。その方向に意識を向けるべきなんだよ」

 確かに彼女の言っていることには一理ある。現に有紀が目指す先は僕とは全く異なる進路であり、更にそこから医者を目指すのだからその先の道もより険しいものになるだろう。

 そうなった時、将来的に僕と有紀がずっと仲良く一緒に居られるという保証はどこにもない。それこそ、恋人としての繋がりに移行すること以外は。

 ただ。

「まあ、一理あるけどさ。あの行動キス未遂を正当化しようとしているわけじゃないよね?」

 僕が念のため確認すると、有紀は僕から目を逸らし「ソンナコトナイヨ」と日本語を覚えたての外国人よろしく片言の言葉で返した。

 僕は肩をすくめ、小さくため息を付く。そして、僕は少し恥ずかしそうに耳を赤くした有紀の方を向き直る。

「今すぐにどうこうする、とは考えられないけど……有紀はそれでいいの?恋愛に興味ないとか言ってたけど」

「興味が無いというか、興味を持つことが怖かっただけなんだよね。もし恋愛にかまけて大切なものを見失ったらどうしよう、って分からなかったから」

「そっかぁ、というか親友を失いたくないのは分かるけど、それってシェアハウスとか他にもやりようがあるんじゃない?恋愛関係じゃ無くてさ」

「……あ、あー……そういう手もあるよね……うん?うん……」

 有紀はその考えに辿り着かなかったらしい。目を見開き、どこかそわそわと落ち着き無く周りを見渡している。両指先を組み替えたりと忙しなく動かし始めた様子を見て、再びため息を付いた。

「……まあ、僕以外にもいい男の人は沢山居るしさ、色々と関係性の維持だけなら方法は一つじゃないよ。ゆっくりと探そう」

「真水ほどの人はそう居ないけどなあ……」

 残念そうにがっくりと有紀が項垂れていたが、これ以上掘り下げるとあらぬ方向に進展しそうだったため、僕は何も言い返さなかった。

 確かに、今の有紀は恋人としては最適な条件を兼ね備えているとは思う。どこか真っ直ぐで、ひたむきで、周りが見えていて。

 だけど、今すぐこれから先の答えを出さなくても良いだろう。いつか改めてその時が来たら、もう一度向き合えば良い。

 そう僕の中で答えが出て、ふと横を見ると道音がニヤニヤといじらしい笑顔で僕達を見ていた――。

「――うわっ!?ふな……、道音!?いつの間に戻っていたの!?」

「有紀っちも乙女になってきたねぇー……あだっ、こらっ殴りかからないの!?」

「うっさいうっさいうっさい!」

 道音がニヤニヤと有紀を茶化したと思えば、有紀は顔を赤くしながら彼女へ両手を軽く握り、殴りかかる。なんだかその有紀の表情を見ると、どこか僕まで恥ずかしくなってまともに彼女の姿を見ることが出来なかった。

「ほら、真水先輩も満更でもなさそうじゃん、もう一押ししたら落ちるよ?」

「……みーちゃんは意地悪だ」

「あははっ」

 道音はどこか垢抜けた声で笑う。本当に楽しそうな笑顔だと思うが、僕としては勘弁して欲しい……。

 とりあえず、これから先のことはこれから考えたら良い。今答えが出なくても、いつかきっと、改めて答える機会がやってくるから。

 そう改めて考え直し、僕は両手をパンと叩いた。

「さて、道音も戻ってきたことだし、そろそろ出るかな?」

「あ、ああー……そ、そうだな、今日は三人で服を見に行こうか」

「真水先輩に見せるようの可愛らしい服を?」

「違うよっ!?」

「あはははっ……あー、楽しい」

「私はからかわれるの楽しくない……」

 本当に、困難はまだまだ続きそうだ。だけど、僕はこの二人と一緒なら乗り越えられそうな気がする。

 杖を支えに、ゆっくりと立ち上がる。足に力が完全に戻った訳ではないが、以前よりは足腰が踏ん張りやすくはなっていた。


 これから皆との関係性がどう変化していくかは分からない。そのままかも知れないし、人生を大きく左右するレベルの関係性に変化するかも知れない。

 有紀はいつかに「私達の人生って、流れる川みたいだよな」って言っていた。

 確かにその通りだと思う。いつかは変わりゆくものを僕も恐れていた。ただ自由を求めるあまり、知らず知らずに不自由を追求しようとしていたのは僕も同じだった。

 偽りの自由に留まり続け、変化を恐れていたのは否定できない。

 でも不自由の先に何か見えたのも事実だ。

 散々関係性に悩み、答えに悩み。僕自身も有紀と、道音とどう向き合うべきか考えてばかりだった。

 性別に左右される信頼関係は嫌だ。そう怯えてばかりで、有紀がどう考えているかと言うことからも目を逸らしていたのは否定できない。

 いつの間にか有紀は変化を恐れない力を手に入れていたが、本質の効率重視の有紀も居なくなったわけではないのだろう。だからこそ、将来を添い遂げる相手に僕を選ぼうとしたのだろう、とは思う。

「本当に、有紀はいつまで経っても変わらないな……」

「え?」

「いいや、何でも無いよ」

 本質は変わらなくとも、ほんの一つ、構成要素が変わることでその人の印象は大きく変わるものだ。

 その変化を受け入れてこそ、僕も、誰も彼もが自由になれるのかも知れない。

 これから先のことは分からなくても、今、僕はそう思っていた。


[エピローグ 完]

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