第20話

 映像はどんどんと進んでいく。道中はあまり気にならなかったが、古くなった木造の床を俺が踏み軋みをあげる度に、びくりと幽子部長の映像がブレる。部長の撮影技術はかなりのもので、ほとんど手ブレも無く視聴しやすい分、演者の拙さに非常に申し訳なくなる。

 幽子部長の足運びが静かであればあるほどに、俺のがさつな様が際立っていく。


「……俺ってこんなにうるさいの?」

「というより廃墟の歩き方が下手だな。足場の悪い所に率先して行くのだからな」


 道中に言ってほしかった。

 暗がりに、幽子部長の勝ち誇った笑みと、日向の嘲るような笑いが見えた気がする。


 そして、映像はあの地下室の前にたどり着く。

 客観的に見て、部長は本当に何処知ったのか、廃墟の間取りをよく知っていて淀み無く迷うこと無く歩みを捨てて此処にたどり着いている。従業員通路を通ったりとまるで迷路の中の最短ルートを辿ったみたいに。


「……ここ」

「うん。夢で見たところだ」


 画面が明るいこともあって、廃墟探索と言いながら知らない建物の中を写しているだけだった光景に、明らかに異質な要素が交じっている。

 俺自身も改めて映像で見た時、暗闇に続く下り階段に鳥肌が立っていた。

 幽子部長が停止ボタンを押して映像が止まる。それで映像に釘付けだった意識が現実に還ってくる。

 何処か楽しげだった笑みが3人から消えている。


「やはりそうだったか。私と雄一郎もそうだった。一番最初に見た悪夢。その場所が意外と近場に存在したようだ」


 高らかに静かに告げる幽子部長。こくりと生唾を飲み込んでいる日向。両腕で自分を抱きしめるようにしている夏菜子先輩。

 部の存続のために、探り始めたサクライヒナコの怪異。郷土文芸ドラゴン部にだけ伝わり、他者には認知できない不思議で悪夢を見せる以外害の無い怪異。

 不思議なことに興味関心があっただけで、俺達がどうしても解き明かす必要なんて無い怪異。

 それなのに。皆が目を合わせて幽子部長に続きを促している。


 好奇心は猫をも殺す。

 けれど、好奇心そのものを殺すことは出来ない。

 幽子部長がスマホを操作して、画面が再生を続ける。


 自分達が何か得体の知れない出来事に巻き込まれている。

 その答えがすぐ背後にあるとしたら、きっと人は振り向かずにはいられないのだろう。

 どんなに不気味で恐ろしくて、好奇心が募る限りは。


「階段、ずいぶん古くて滑りやすいので気をつけてくださいね」


 映像の中の俺が言った。

 かつん、かつんと、2人分の足音が地下室に反響している。照明が安定せずふらふらしているのは、俺が放つスマホのライトが俺の挙動に併せて揺れているから。

 照明が天井を照らし、廃墟をくまなく照らそうとしている。


「古い蛍光灯ですね。取り外されていますけど、真下を通らないようにしましょうか」


 先ほど、あの廃墟に潜った時は恐怖心もありながら何処か高揚感もあった。

 部屋の空調が良く効いているお陰か、少し鳥肌が立つような冷たさのお陰で、頭が冷たくはっきりとしている。


 夢で見た蛍光灯と同じ蛍光灯。

 緩やかに下っている地下通路は、夢の中で誘い込まれた地下通路と瓜二つ。夢の中と違うのは朽ち具合だけ。

 俺達が訪れて映像に残っている廃墟の光景と、あの夢の中でみた光景は、時間が違うだけで同じ場所。


「この部屋は違うようですね。従業員の待機室か何かですかね」


 映像は進む。廃墟の奥へと、地下の奥へと。映像の俺達は進んでいく。


「多分無いとは思いますけど、有毒なガスが溜まっているかもですから慎重に行きましょう」


 夢の中では、薄ぼんやりと蛍光灯の灯りが灯っていた。映像ではスマホのライトが行く先や足元を強く照らしている。


「足元、ゴミが多いですから気をつけましょう」


 そっと幽子部長に手を差し出す。けれど、映像の彼女は俺を一瞥しただけで撮影を続けている。

 些細な違和感。

 俺の記憶では、此処で幽子部長に手を貸していた。

 階段を降りる時に強く手を握られていて、でも降りた後は危ないからと互いに手を離してスマホを片手に廃墟を進んだ筈。

 けれど映像は一度俺を振り返った後、すぐにまた廃墟の中を進んでいる。

 記憶違い、だろうか。

 俺の記憶ではここで何か幽子部長の言葉を聞いた気がするのに、映像には何の音声も記録されていない。

 つい数時間ほど前の出来事なのに、途端に自分の記憶が疑わしくなる。

 記憶と映像の乖離。

 それでも構わず映像が続いていく。


 地下通路を2人の人影が行く。

 そうして俺達は行き止まりへとたどり着いていた。

 水没した、地下通路。コンクリートの下の水気を、水たまりを踏んだ感触は確かに記憶と同じ。


「雨水の侵食ですかね、この先は無理そうです」


 映像の中で俺が言った。

 傍らで拾った石ころを遠くの水面に投げ込む。じゃぼんと音が響いて、ライトに照らされた水面が波紋を作っている。


「部長。流石に引き返しましょうか」

「そう、だな。写真は、また撮っておいてくれよ」

「あんまりスマホのメモリに残したくないんですけどね」


 見覚えのあるやり取り。そしてパシャリパシャリとカメラの音が響く。

 照明を担当していた俺が、撮影のために一度ライトをオフにしたお陰で、画面が真っ暗になる。

 そしてカメラのフラッシュが焚かれる度に、水没した廃墟の奥が明滅している。


 フラッシュの明滅。

 強い光が照らされる度に、廃墟の奥と影とが顕になって、記憶には無い影をちらつかせた。

 小さな人影のような何か。人形か何かの影。

 水没した地下通路の先に鎮座されている何か。


 慌てて自分のスマホを操作して、数時間前の写真を表示させる。

 画面には、ただの廃墟が写っている。映像に見た何かの影は写真に残ってはいない。


「なぁ今、何か映らなかったか?」

「ちょっと、そういう脅かしはやめなさいよ」


 げし、と日向の蹴りが飛ぶだけで、俺の疑念はかき消されてしまう。

 結局そのまま映像は続いた。幽子部長はとりあってくれず、一旦映像を全て流すぞ、とだけ言った。

 帰り道は淡々と、あっという間に進む。

 来た道を戻り、足元に注意するようにと、時々に俺の声が録音されている。

 俺達が地下室の階段を上った所で映像は途切れている。


「と、これが廃墟の映像な訳だ。それで皆、自分が見た夢と比較してどうだった?」

「雄一郎の脅かしのせいで全部吹き飛んでしまったわ」

「はは、まぁ言ってやるなよ。改めて映像を見返すと、その時気づかなかった発見が幾つもあるものだ」

「でも、夢の光景と似ているような気もするけれど。違うと言えば違う気もするな。なんというか、夢の方はもっと新しいというか、昔っていうか。水没する前の記憶だったみたいな?」

「夏菜子、お前は何処かから落ちる夢じゃなかったか?」

「うん、そうなんだけどね。高いところに行く前に、地下室を走っていたんだよ、夢の中で」

「……実は私も、なんだよね。生き埋め、にされる前に映像とよく似た廃墟を逃げ回っていた様な気がする」


 映像を見終わった感想を紡ぎながら、夏菜子先輩が部屋の照明のスイッチを入れる。

 暗がりが終わり、人工の照明が周囲を明るく照らしている。

 2人の言葉に、よく動揺もせずに最後まで見れたな、と関心がある。

 夢なんて曖昧なものだから、記録と記憶が混在になってしまっている。そんなことも思うけれど、俺自身が廃墟で感じた既視感は拭い去ることは出来ない。

 あの悪夢の中で、俺達はこの廃墟を駆け回っていたらしい。 


「ふむ。なおさら、サクライヒナコの怪異は私達に古い記憶を見せている疑念が深まってきたな」

「古い記憶って?」

「例えば、昔の部員が体験した記憶、とか?」


 止まっていたお菓子を口に運ぶ手を進めながら、3人がそれぞれの考察を交え始めている。


「あの廃墟がホテルとして運用されていた時代に、女子校時代の我が部は毎年合宿を行っていた。そして、警察沙汰になる事件が起きている。そういう事件を記録したスクラップ帳が残っていて、後年私達の様に興味を持って廃墟となったホテルに忍び込んだヤツがいるとか」

「そんなヤツがいたとしても。どんな超能力者よ。自分の記憶を後輩にも夢見せているって」

 

 日向と幽子部長の議論が深まっていた時だった。

 夏菜子先輩が二人の話に耳を傾けている時。俺が信じられなくて何度もスマホの画面を眺めている時だった。


 けたたましい轟音と共に、部屋中の光が一瞬にして失われた。


「な、なに!?」

「……雷で停電みたい。この辺り一帯で停電だって」


 夏菜子先輩の手元がスマホの灯りでぼうっと明るい。スマホの照明で辺りを照らし、完全な真っ暗闇ではなくなる。

 映像に夢中で気が付かなかったのだけれど、窓の外は強い風と打ち付けるような雨が降りしきっていて、遅い夕立に塗れているようだった。


「この雨じゃ、顧問は来れますかね?」

「もっと心配することがあるでしょう、雄一郎。宿泊先で突然の嵐で外界に出られないなんて、洋館密室殺人事件よ」

「人が死んでいたらな。夏菜子先輩が確認してくれたようにネットは繋がっているんだから、大丈夫だろ」

「それがね、基地局も非常時はバッテリーで動いているんだよ。それがダメになるととネットは繋がらなくなっちゃう」


 スマホに目を向けたまま夏菜子先輩が言う。

 空調も止まった様で、早くも部屋内は生ぬるい空気に包まれている。


「しかしタイミングがいいのか、悪いのか。こういう事もあるものなんですね。俺、自分の部屋戻った方がいいですかね? ……というかカードキーもしかして使えないんですかね、こういう時」

「大丈夫だよ。ホテルのカードキーは電池式だから、停電でも大丈夫。でもまだ部屋に居た方がいいんじゃない? 暗闇の中部屋まで歩くのは大変だと思うよ」

「あぁ、そっか。それもそうですね」


 唐突の出来事でも、夏菜子先輩が動じずに居てくれている。突然のことに少し動揺していたらしく饒舌だった俺自身も幾らか落ち着いてくる。

 日向は、バッテリーが赤だー、と叫びながらスマホを離せずにいて。ひとしきり調べ物を終えた夏菜子先輩がスマホのライトの上に、スーパー袋を被せた封が開けられていないペットボトルを置いて、即席の照明を作っている。

 こんな時一番にリーダーシップを取りそうな幽子部長が、押し黙ったままずっと無言でいる。


「部長、大丈夫ですか? さっきからずっと黙ってますけど」

「え? あ、あぁ。大丈夫、だ。いや、多分雷サージだろうな。スマホが動かなくなってしまった」

「本当に? あぁ、充電しながらだったんだ。ついていないね。連絡先とかのデータも全部ダメ?」

「恐らくな。だがバックアップはあるから買い換えれば復旧は出来るんだろうが、最近の写真や動画の復元は難しいだろうな」


 暗がりに幽子部長がどんな顔をしているのか分からない。時々忘れそうになるけれど、彼女も一介の女子高生だった。貴重な青春の思い出が失われたかも知れないことを嘆くべきなのかもしれなかった。

 しかし脳裏に思うのは、あの廃墟の映像は喪失してしまった、ということ。

 俺が撮った写真には写っていなかった影、幽子部長の動画には収められていた何かを、確かめる術は失われてしまった。


 辺りでは遠雷が鳴り響いている。横殴りの雨が窓ガラスを叩く音も響いている。風に建物が軋みも立てている。

 大丈夫と分かっていても不安は募る、蒸し暑くなりつつあるというのに夏菜子先輩が作ってくれた行灯の周りに4人が集まっている。


「大片付けをする前より窮屈ですね」


 そんな軽口が口を付いて出た時だった。


 ガガガガガガ、と。狂ったスピーカーの様な不快な音が響いた。

 視線の先には青白い光。テレビが点いていた。


「電源が復旧したのかな?」


 夏菜子先輩の声。照明のリモコンをカチカチと強く押し込んでいる音が耳に届く。けれど、辺りは暗がりに包まれたままでいる。

 停電は続いたまま。

 それなのに、テレビの電源だけが点いている。

 吸い込まれるような青白い光。

 いつか見た地下室の蛍光灯は、もっとちらついて白色だった筈なのに。何故かあのちらついた灯りを連想させるテレビの灯り。


「お、おい」


 右腕の袖を強く握られて、思わず驚きの声が出ている。

 隣に居た日向が体を寄せる様に傍に居て、強く右腕の袖を握っている。


「部長まで」


 左腕を強く抱きすくめられている。隣りにいた幽子部長が強く俺の左腕を抱きしめている。

 柔らかな感触に、一瞬だけどきりとさせられるが、一瞬だけ。

 空調が止まり窓の外は荒れ狂った雨模様でも部屋の中は蒸し暑い。それなのに、幽子部長はぞっとするほど冷たい手で冷や汗をかいている。


 そして、得体の知れない気配が背後にある。

 理屈ではなく、本能が気づいた気配。

 生ぬるさに得体の知れない何かの気配が交じるだけで、空気が引き伸ばされたような、コールタールのような重苦しさが、部屋の中に満ちている。

 金縛りにあったみたいに、体が硬直して動かない。

 こくりと生唾だけを嚥下する。


 かたり。

 背後で何か物音が響いた。

 3人が立てた物音ではない。日向と幽子部長は俺の腕を強く取っている。夏菜子先輩も俺の真正面に座り、即席の行灯に照らされながら震えた様子でいる。

 

 がたり。

 背後で響く物音が、先程よりも近くから鳴った。

 何か乾いたものが動くような音。人の立てる重い質量が立てる物音ではない。もっと軽い、何かが倒れるような音。

 例えば人形のようなものが倒れた時に鳴るような音。


 日向と幽子部長が、俺の腕を強く抱きすくめる。痛みを感じるほどに強く。恐怖を誤魔化すように強く。

 視界はずっとテレビの青白い光に向けられている。

 テレビには何も写っていない。ただただ青白い光が写っている。

 だから、これは妄想か、混濁した記憶。

 青白い光に、連想してしまったちらついた蛍光灯の灯りが。

 俺に夢で見た記憶を見せている。


 がたり。

 背後でもっと近くで音が響いた。

 けれど振り返らない。振り返りはしない。振り返ることは出来ない。

 鳥肌が全身を逆立ち、怖気が全身を舐めるようにはしっても。後ろを振り向くことは出来ない。


 映像は、あの水浸しの行き止まりを超えて、更に地下を進んでいる。

 鼻腔には香しい匂いが届いている。風呂上がりのシャンプーや女性特有の柔らかい匂い。

 人間の湿気と温もりに。生暖かい空気に部屋の中は包まれている。

 空調が止まり、生ぬるく不快になりつつも、人の温もりがある。

 

 それなのに、何か底冷えするような冷たさだった。芯から凍えるような、冷え切ったコンクリートの様な冷たさが足元にある。

 あるいは生臭さ。

 背後に何か得体の知れないものがいる。

 柔らかでかぐわしい匂いだけがするはずなのに、生臭い匂いが、すえた水の下水のような匂い、錆びた鉄の匂いや、乾いた血の鉄と脂の匂いも交じる。

 こつり、こつり。

 地下室を下る音がする。

 がたり、がたり。

 何かが背後から蠢き近づく音がする。

 すぐそこに、今にも肩に触れそうなほどに、傍に。


 地下の階段を下る。

 匂いも不快も強くなっていく。

 それでも歩みは止まらず、勝手に進んでいく。

 青白い光。

 画面は決して何も写していないはずなのに、俺はあの地下室にいる。


 地下の奥。

 暗がりに古い蛍光灯の灯りだけがぼうっと辺りを照らしている。

 何も無い空虚な空間。

 風も吹かず、陽の光も月の明かりも届かないこの場所に、小さな人形があった。


 見慣れた人形。見慣れてしまった人形。

 部室で見つけて、そして俺の机の上が定位置となった赤い着物の球体関節人形。長い髪に顔を隠し、それでもその隙間から大きな目を覗かせている。

 笑うのではなく、伏し目がちに微笑を湛えた彼女。


 絶対に手に取ってはいけない。

 頭では分かっているのに、俺の両の腕は彼女を抱き上げようとする。日向と部長に掴まれている筈なのに。

 がたり、とすぐ後ろで音がした。


 かつてそうしたように。俺の手は彼女の髪をかき分けている。


 きれいな人形。

 けれどかつての夢の様に、瞳がぎょろりと動くようなことは無かった。

 代わりに。

 口角だけだが大きく開かれている。


 金縛りに、体は動くことはない。

 ただ自分のすぐ後ろに何かの気配がある。

 何かが蠢く低く鈍い音が、耳元にある。


 がたん、と。何かが倒れる音がした。

 背後からの音にびくりと自分の身体が震えて、我に返る。

 両の腕は日向と幽子部長に強く掴まれている。

 即席の行灯の向こうに、強く目を瞑り両腕で自分を抱きしめるようにして震えている夏菜子先輩がいる。

 薄暗がりに、もうテレビの青白い光は無い。


 幾度かの明滅の後、部屋に明かりがついた。

 思わず体がぎゅと身を屈めて。それから動くことに気づく。そしてすぐ後ろにあった何者かの気配もなくなっている。 


「停電、終わったようですよ」


 掠れるような自分の声。わずかの出来事の筈なのに、全身が冷や汗に溢れていて、喉がひりつくように乾いている。


 縮こまるようにして俺の腕を掴んでいる2人に、もう一度、不安をかきけすように声を掛ける。

 コキコキと首を鳴らして、周囲を見渡している。ホテルの和室の一室。何の変哲もない部屋。

 耳には外の雨音が響く。

 けれど雷雲は去ったようで、遠雷はなく。横殴りの雨でもなくずっと振り続けているような雨音。


 まるで変な体制で眠っていたかのようだった。

 喉がしきりに乾く。

 不自由な体勢のまま、体をあちこちと捻ってバキバキと骨が鳴る音が響く。


「何処から夢だったんだろうな」


 そんな言葉が口から溢れていた。安堵に重い溜息も溢れる。


 現実と区別が付かない程精巧な夢を見る。

 明晰夢と呼ばれる夢。

 夢の中で、これは夢だと気がつく夢。


 何で気がつくかと言えば、あまりに現実離れしてしまっているから。

 夢と現実は区別が付かないほど地続きでありながら、覚醒した現実の側から見ると、夢の出来事はやはり夢の出来事と気づく。

 どんなに精巧でも、人形が俺を滅多刺しにして殺しに来る夢は悪夢で。陶磁器で造られた人形が嗤うのも、現実ではありえないこと。


 テレビにぼうっと視線が向いた。

 もう青白い光はない。

 停電しているのに、テレビだけが電気を灯す。

 これも悪夢と言わなければ説明がつかない現象だった。


 テレビが鏡のように自分を映すことがある。

 電源が点いておらず周囲が比較的暗がりになると、テレビの画面がぼんやりと出来の悪い鏡のように辺りを映す。


 日向と幽子部長はまだ強く俺の腕を握っている。

 よくよく窺うと、小さく寝息を立てていて眠ってしまっているようだった。

 だからテレビを鏡代わりに、振り返ることが出来なかった背後を確認する。

 

 テレビには何も写っていない。

 背景は背景のまま。

 強く目を凝らしても、何も写りはしない。


 だから、これは目の錯覚。

 何度目を凝らしても、自分の顔の横に、何かの顔のようなものが見えるのは。

 伏し目がちに。けれども口角だけはいっぱいに開かれた、人形の笑み。


 慌てて首だけを捻っても、そこには何も無い。

 代わりに。


 俺達のすぐ後ろに、部室で鎮座しているはずの球体関節人形が這いつくばるような、転んでしまったような様子で、畳の上にあった。

 瞳はただ、無機質に美しく、部屋の照明を照り返していた。

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