第6話 夢
その日、部誌の読み込みは一段落した。
「今、ここにあるのはこれで全部ね。あとは、この山から発掘しないと」
部室の中は、誰が持ち込んだのか、革張りのソファや簡易ベッドまであり、コーヒーメーカーや電気ケトルも常備されていて。日向の冷蔵庫まであるからしばらく人間が暮らしていけそうな設備が揃っている。当然それらはスペースを圧迫し、俺達4人は身を寄せ合うようにしてこの部室で過ごさざるをえないのだが、一番スペースを圧迫しているのは歴代の文芸部の先輩方が残した資料や文庫本が大量に詰め込まれた段ボール箱だったり、郷土研究部の編纂された資料や、編纂されていない資料が積まれた段ボールの山だったりする。
中でも、夏菜子先輩が持ち込んだ実寸大ドラゴンの体のパーツや袋に入ったままの石膏が、どうしようもなくスペースを圧迫している。
生徒の減少で空き教室になっている一室を郷文ドラ部が占領しているのだが、人間は網の目を縫うように移動するしかスペースが無いのだった。
「なぁ、日向。これどれだけかかると思う? というか何で誰も片付けをしなかったんだろうな」
「日向、先輩ね。雄一郎、パンドラの箱というのはね、絶対に開けてはいけないのよ。高校時代の詩や小説なんて黒歴史の塊なんだから、誰も覗き込む勇気を持てないのよ」
格好いいこと言っているけれど、ならば自分で処分しろよ。と思うが口にはしない。掃除は定期的に行っていて或いは行わされていて、あくまで開ける気にならない段ボール箱がうず高く積まれているだけなのだ。
部室でダラダラと過ごすだけなら、狭さの不快さよりも片付ける面倒くささの方が上回るのだった。
翌日からは部誌の読み込みではなく、段ボールの開梱作業を行うことだけを取り決めて、部活を終えいつも通りに自宅に帰った。
そしてまた繰り返す。
朝目を覚まし、学校へと向かう。
ルーティン化した登校という作業を体は半ばオートで進めてくれ、寝ぼけ眼の俺はもう学校にいる。
いつの間にか授業が終わっていて、徐ろに部室へと足が向く。
足が軽い、ふわりふわりとしていて地に足を付けているような実感がない。白昼夢を見ているような気分。
高校に入学し、郷土文芸ドラゴン部に入部させられ、忙しい目に遭わされてきた。活動のほとんどが先輩たちのパシリだったような気がするが、ともかく忙しい時間だった。
だからこそ、この穏やかな時間が逆に現実味なく感じさせているのだろう。
扉を開ける。
部室の中は強い光で満ちていた。目が眩んでしまう程に眩しい光。全てが白く淡く滲んで、動く水彩画みたいな光景だった。
女生徒たちがいる。3人の女生徒。
彼女たちは何やら楽しげに、賑やかにおしゃべりに盛り上がっている。
会話の内容は聞き取ることが出来ない。
ただ楽しそう、という感情だけが賑やかで温かな空気を通して伝わってくる。
その光景をぼんやりと眺めている。
楽しそう、という羨望の感情だけを抱えて眺めている。
まるで友達の輪に入れない誰かの視線のような、賑やかな光景に羨ましさを抱えながら。教室の隅で、いやもっと俯瞰した視点で、彼女たちの様子を眺めている。
涙が頬を伝う。
なぜ涙が溢れるのだろうと両の手で拭う。
その時、自分の手が自分の手ではないことに気がついた。
小さな手。まるで人形のような硬質な手。
違和感に、震える体が、首が、ゆっくりと隣に向く。
教室の窓ガラスが丁度鏡の様に私を写している。
それが誰かと確かめようとしたところで、目を覚ました。
また冷や汗が体中を伝っている。思わず両の手がちゃんと自分の手であるか、開いたり閉じたりと確認している。
深く、大きく、ため息が溢れる。
「勘弁してくれ」
夢から覚めたはずだというのに。夢の出来事で現実では決して無いはずなのに。
窓ガラスに写ったのが、あの人形のような少女だったのではないかと、悪寒が止まらないのだった。
重い足取りで部活に向かうと、部室は異様な雰囲気だった。
最初の悪夢と似ているけれどもまた違う雰囲気。悲嘆に暮れるでも、好奇心に浮き立つのでもなく、緊張感と不敵な笑みを噛み殺しているような、独特の雰囲気。
「来たな。雄一郎、かけたまえ」
幽子部長の言葉に大人しく従う。彼女は机に肘を付き、両の手を顔の前で組んでいる。
「……どうしたんですか、何か物々しい雰囲気ですけど」
「うむ。特別な報告がある」
そっと2人の様子も覗き込んで、特に日向は神妙な顔をしているから。あの夢が、またみんな同じ夢を見たのだと覚悟する。
「さて、諸君。清聴してくれたまえ。我が郷土文芸ドラゴン部は、夏休みに合宿を行うことが決定した」
「は? 合宿?」
間抜けな俺の声を意に介さず、部長が立ち上がり腕を強く上に突き出す。
「湖畔のレイクビューホテルで1泊2日の合宿だ。諸君、大いに遊ぶぞ!」
「「おー!」」
ノリよく日向と夏菜子先輩まで立ち上がり大きく腕を突き上げている。
「いやいやいや、合宿って何ですか。そもそも俺達って文化部ですよね。文化部に合宿ってあるんですか!?」
「予算を通したからな。表向きは、郷土史跡を巡る長期フィールドワークに伴う滞在費、だが。まぁ合宿だ」
「やったね。ちょっと根を詰めてドラゴンを作らなきゃ」
「うふふ。これが夢にまで見たカンヅメというものね」
本当に楽しそうだなぁと、遠い目で思う。俺一人、サクライヒナコの悪夢に戦々恐々としているのがバカバカしい程に。
「雄一郎。すまぬが女3人の所に男のお前が加わるのはいささか外聞が悪くてな。部屋は二部屋取って、お前は別室になる。我々が夜遅くまで恋バナに耽るのを悶々として隣で聞いているが良い」
「恋バナって……。というか別室になるのは当たり前でしょうに。でも、今朝見た夢みたいですね。楽しそうな3人を眺めている、ってのは」
いつもどおりの軽口のつもりだった。いつもどおり日向辺りが拾ってくれて、また話が盛り上がるような。そういういつもの会話のつもりだった。
でも、あれほど賑やかだったぴたりと止まる。
「今朝見た夢、だと? お前も夢を見ていたのか?」
「…………嘘、ありえないでしょ」
「ちょっと困ったね」
3人が神妙な顔と声で呟いている。
ひどく空気が落ち着いて、乾いていくのを感じる。
「なぁ雄一郎。夢を見たと言ったが、お前は何処にいたのだ?」
幽子部長が言って、少し頭を振る。
「すまないな。順を追って話そうか。実はお前が部室に来るまでに、我々の間だけで確かめたことがあったんだ。我々3人も確かに今朝夢を見た。奇妙なことに3人共同じ夢だった。部室で談笑する、という夢だった。だがな、そこにお前の姿は無かったんだよ。我々3人だけが談笑する夢だったのだ。だから安心していたのだよ、お前が夢に現れないということは、怪談の皆同じ夢を見たら物語の始まり、が成立しない、とな。もう一度聞くが、どんな夢を見て、お前は何処にいたのだ」
「……皆が談笑する夢でしたよ。性格にはそれを眺めている夢。正確にはそこで眺めているような感じの」
そこ、と段ボール箱の山の上を指す。夢の記憶の、少し俯瞰した視点は丁度天井の角のあたりだった。
指を指した場所を目で追って、固まる。
あんなもの昨日は絶対に無かったはずだった。ただ段ボール箱が山積みになっていただけだったはずだ。
段ボール箱の隙間から、赤い着物の人形がこちらを見下ろしている。
ふらりと視界が消えていく。
意識を手放す直前に、日向や幽子部長や夏菜子先輩の悲鳴が聞こえた気がした。
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