神々の冒険

佐藤 解葉

第1話

【第一章】

第一話 オール=アレクトリター


ーー私は、必ずここに帰ってきます。ですからあなたも、どうか健康にだけはお気をつけて。


振り返れば、この狭い世界の中で時が経つのはあっという間だった。彼女を送り出してから数カ月の月日が経過してしまったのを思えば、よくも悪くも感慨深く感じる。果たして今、あの子は無事でいるのだろうか。窓の外ではすでに見頃を終えた紅葉が色めいた葉を散らして土の中へと還っていくのに、肝心の君だけが未だに戻って来てくれない。正直気が気でなかった。来る日も来る日も冷静を装いながら、彼女の生還を待ち望んでいる己がいる。もし生きて帰ってこれなかったら。もし死骸と成り果てた姿で、誰にも知られぬまま行き倒れていたとしたら。これまでの空白の時間が長すぎて、どうしても悪い方向にばかり考えてしまうけれども。それでも僕は、彼女に限ってそんなことはないと信じたい。なぜならあの子は根が真面目で頭がよく、それでいて積極的に周りに気を配れる性格だった。いざという時は大人顔負けの冷静さすら備えていたようにも思う。だからそんな彼女がなにか過ちを犯して命を落とすなど想像できない。いや、したくもない。


(……。)


大丈夫、きっと無事だ。彼女は僕が思うよりずっと賢い子なのだから。


「……エゼルちゃん…」


ふと衝動に駆られてその名を口にすると、不思議なことにあの頃へ舞い戻ったかのような感覚を覚えた。それはまるで、錆びついていた波が一気に押し寄せてくるかの如くーー視界を覆う雲をかき分けて、ようやく澄み渡る青空を垣間見た時のような満足感に煌めいた感覚。今となっては感じることの叶わないありったけの多幸感が、彼女と歩んできた刹那の時間に取り残されている。ここまで僕の気持ちを振り回しておいて、一向に戻らない君はなんて薄情な子なんだ。そうして呆れにも怒りにも似た心境を自覚させられる中、自分は溜め息をついてこの現状を憂いていた。


(君は一体どこで、今なにをしているの。生きているのなら、とっくに帰って来てもいい頃なのに)


それは、彼女の身を案じるがゆえに。突如として不必要とも呼べるほどの憂慮に駆られてしまう。なんというかよくも悪くも、実際あの子のいない生活が自分にとってどれほど落ち着かないものであるかという事実を突きつけられるようだ。信じられない。まさか自分が他人をここまで恋しく感じる時が来るなんて思ってもみなかった。けれどもその感情に気を奪われる前に、あえて背を向けようと試みる。人々を先導する身でありながら弱気になっている場合ではない。己をしっかり保たなくては、僕は立場上みんなに対して示しがつかないのだ。渦巻く思考に区切り目をつけ、ひとまず考えようとする行為自体を控えてみる。今必要なのは、このまま必要以上に気を張り過ぎているばかりではいけないと強く己に言い聞かせること。確かに彼女の安否も気がかりだけれど、過剰に悩み過ぎたことを理由に他でもない僕自身が疲弊してしまえばそれこそ元も子もないだろう。情けないし、なによりそんな醜態を晒すような真似は自尊心が許さない。


ああ、そうだ。思い返してみればここを出て行く前からも、彼女はしつこいくらいに僕の健康を気遣ってくれたではないか。あの頃別段不健康な生活を送っていた自覚はないけれどもーー僕の仕事が夜遅くまで長引いたが最後、血相を変えて共に寝床につこうとせがまれたものである。今となってはすっかり伸び切ったこのケープの裾さえ愛おしく感じられるが、エゼルという名の少女は、それほど過去に心配性な一面を見せた弟子なのだ。毎日を笑って過ごせるくらい健康でいないと、もし戻ってくれた時にいらぬ心配をかけてしまうだろう。かつての師匠としての面目を保つためにも、今はひとまず気持ちの整理に徹底しなくてはいけない。曲がりなりにもそう納得することを決めた自分は、気晴らしも兼ねて机上のアールグレイへと手を伸ばす。けれども柑橘の爽やかな香りを堪能しつつ、徐にそれを口に含んだ直後のことであった。


「エゼルのことが心配か?彼奴なら、きっと上手くやれてるよ」


突如として脳裏に響き渡った聞き覚えのある声。危ない。普段からの耐性がなければ優雅に飲んでいたアールグレイを盛大に吹き出すところだった。なんという間の悪さだろう。僕は己の時間に水を差されたことへの若干の苛立ちを覚えながら、声の主に気怠げな返事を返す。


「なんだ、君?驚かせないでよ。普段から来る時は連絡を寄越してと、あれほど口酸っぱく言っているだろうに」


しかしそう声をかけたにも関わらず、目の前の彼は謝罪するどころか悪びれる様子さえ見せなかった。


「そろそろ慣れてきた頃じゃないか?俺のアポなし訪問」


「慣れるもなにも常識を疑うけどね。僕にプライバシーはないのかな」


「まあまあ、俺たちの仲だしいいだろ」


そうして兎にも角にも図々しく僕が呆れるのとは対照的に、机に手をついて笑う彼。今日は仕事がないから一日中一人の時間を満喫しようと思っていたのに、これまた唐突な客人が訪れたものだ。また懲りずに合鍵で侵入してきたのかーーそれはしたり顔の彼が二重リングを指に引っかけて回している様子を見れば一目瞭然だ。今すぐにでも追い返そうか迷ったけれども、先刻の思考を紛らわせたい欲求が再発したため、今日ばかりは仕方なく目を瞑ることを決めた。


ちなみにこの品性の欠片もない男は、僕オール=アレクトリターの友人、名をウォーター=シーザライトという。僕より一つ歳上であり、一年半前に親しくなった元ビジネスパートナーのようなもの。彼は水神という類の神族で元貴族階級、それでいて出身は海界かいかいと呼ばれる異世界にある。陽気かつ友好的な性格の持ち主で、立場や年齢関係なく周囲に人が集まってくるような、謂わば好青年。実際の人脈の広さも桁違いで、内向的な僕にしてみればつくづく感服させられるばかりだ。考えてみれば出逢った当初から、僕とは真逆の人柄だったな。


「まあ次回以降もやるようなら容赦なく出禁にするから、嫌なら前もって連絡を寄越すことだね。たまになら嬉しいけど、こうも頻繁に来られちゃ迷惑だし」


「悪かったからそれは勘弁してくれ!」



※※


「で、本当はなんの用だったの?」


「え?」


「杞憂ならいいんだけど、なんとなく世間話のためだけに来たようには見えなくてさ。その様子だと…こう、なにか嫌なことでもあったんじゃないのかなって」


あれから僕は、結局彼を追い返すような真似はせず、むしろ少しばかり談笑を交わしていた。普段進んで外出しない身としては興味深く感じるような、今日はそういう貴重な話をたくさん聞かせてもらったと思う。例えば人間の子供たちが以前火遊びをして僕と村長に叱られたのを怖がっていた、だの。近くに新しい甘味処ができたから今度下見に行こう、だの。村で開催される予定だった秋祭りが延期になって悲しい、だの。それは至ってごく普通の時間。そこに特別感などは一切介入せず、ただありふれた日常を想起させるような、いかにも他愛のない瞬間だったと思う。


けれども先刻の彼からはその最中どこか疲弊したような、心ここにあらずといった雰囲気を漠然と感じ取っていた。一体どうしたのだろう。普段ならもっと大げさなくらい声に抑揚をつけたり、表情を豊かにして話を進め出すものだ。いつもが底抜けに朗らかな友人だからこそ不安に駆られてしまう。仮にいらぬ心配だったとしてもそれを確認すらしないのは寧ろ薄情ではないだろうか。そう思ってしまった以上無視するという選択肢はまずない。彼の見せた違和感が無性に気になった僕は、少々探るようにして慎重にその距離を詰めてみる。


「無理にとは言わないよ。助けが必要になった時に、軽く声をかけてくれたらそれでいいから。まあもちろん、なにもないのが一番ではあるけどさ」


「……。」


しかしそう声をかけた瞬間、一瞬ではあったものの、彼が己の体に力を込めたのがわかった。先刻とは打って変わって、笑みを生産しなくなった固い口元。若干俯き気味の顔に、あからさまな雰囲気の変化。瞳は帽子の影に隠れて目視できないものの、頬に伝うそれが冷や汗であろうことだけはなんとなく予想がつく。そんな条件が揃えば、彼の考えていることなどお見通しだ。ーー迷っているな。彼の姿を目の当たりにした直後、僕は直感でそう思った。


(…とはいえ、ここまで押してもはぐらかすようなら、僕が無闇に干渉するのもよくないのかな)


対人関係において、自分では善意でしていたつもりのことが、却って相手を追い詰めていたなんて事例は数知れない。だから彼のためを口実に、独りよがりに相談を強いるという行動も、それはそれで褒められたものではないのだろう。過度な世話焼きは誰でも鬱陶しく感じるものだし、その辺の線引きもしっかり見極めなくてはならないはずだ。けれどもこの異質な様子から推察するに、なにかあったのはまず間違いないだろうから、ここは執拗な詮索を控えた上で向こうからのコンタクトを待つのが最適解だろうな。彼の見えない顔色を伺いながら、己の出方を考えていた次の瞬間だった。


「…あのさ」


互いに沈黙を貫き、どこか緊迫した雰囲気が漂う部屋の中、先に口を開いたのは彼の方だった。


「…迷惑かけるかもだから、本当は話そうかさっきまで迷ってたんだけど」


「…。」


僕は、ウォーターのそんな予期せぬ発言に少々驚愕する。まさか彼がこうも面と向かって話を持ちかけてくるとは考えもしなかった。てっきりそれとなくはぐらかされるものだろうと思ったけど、これほどまでにも呆気なく口に出すとは、今の時点でも相当追い詰められているということなのだろうか。君は一体なにを言うつもりなんだ。そうして思わず動揺した僕が視線を向けると、彼は少し辿々しくなりながらも中断せずに言葉を続けてくれた。


「少し相談に乗ってもらいたいことがあってさ」


「……。」


若干震えているような、緊張しているような吃り気味のその声で、僕は漠然と嫌な予感が働いた。


「…アクアのこと?」


遠回しに言うでもなく、変に濁す訳でもなく、もはや確信にも近いその名をはっきりと口に出す。するとその問いかけに対し、眼前の男は一瞬目を見開いたあとに、やがて無言で頷いた。自分の心境を言い当てられたことに動揺したらしく、首を縦に振ったあとも、彼は心なしか呆然としているように窺えた。


「……。」


(…わかるよ。その様子を見ていたら、誰だって)



というか、よくよく思い返してみれば今のウォーターの相談事なんてこれしかない。諸事情により現在外出ができなくなっているものの、彼にはアクアという名の年の近い妹がいる。その子は兄であるウォーターと、兄妹二人で住処を共にしている水神の少女。一応僕も、兄の友人枠として彼女とは面識があった。精々知人と表現できるのが関の山だが、顔を合わせば世間話を交わせる程度には親しかったと思う。今でこそ会話など叶わなくなってしまったけれども「兄と同様社交的で、誰に対しても思いやりのある人格の持ち主」などと、当時はそんなありふれた印象を抱いていたものだ。


しかしとある事件が起きて以降、彼女は他人を恐れ、疑い、怯え、いつしか意図的に寄せつけないようになった。特に僕を含めた兄以外の男性とは顔を合わせることすらできなくなり、やがては自室に塞ぎ込む事態にまで陥ってしまったのである。それでいて以前に聞いた話では、同性の友人でさえも彼女の方から距離を置かれる羽目になり、加えてそれ以降、一度たりとも姿を見せなくなったという。


けれどもそうなってしまった経緯は兄や僕、並びに周囲の人間においてはすでに周知の事実である。それは剥き出しの本能で人を傷つけることに頓着のない、非道な輩の手によって誘起された悲劇。本当に運の尽きとしか言いようがないけれども、彼女は自宅で一人留守居をしている際に見知らぬ男からの性暴力に遭いかけたのだ。不幸中の幸いか、襲われる寸前のところで兄が帰宅したため行為そのものは避けることができたらしいが。それでも衣類は無惨にも全て剥がされ、身体には殴られた跡さえ浮かび上がっていたという。恐らく抵抗した際に拳でつけられたものだろう。


ウォーターが駆けつけた時、彼女は床に組み敷かれたまま涙を流し、暫くは嗚咽で言葉を発することすらできなくなっていたらしい。男の方はすぐに取り押さえ、彼が自らの手で警備係の者に突きつけたと聞いたが、それでも兄として溜飲が下がることはないだろう。性暴力は心の殺人であり、被害を受けた人の精神を簡単に壊してしまえるほど恐ろしいものらしい。中には、一生をかけて苦しむ人だっていると聞く。普段から誠実に生きている者が、なぜこんな残酷な目に遭わなくてはならないのだろう。気の毒というか、そんな彼女がとにかく不憫でならない。


しかし思うところがあるのは周囲とて同様のことなのだろう。話も介さず、黙って姿を眩ました彼女を誰も責めない理由はきっとそこにある。兄の方は強烈なトラウマから周囲とのコミュニケーションを放棄し、自ら孤立の道を辿ろうとする妹の態度を強く危惧していたけれども。しかし本件においてまったく無関係の僕としても、その気持ちは十分理解の及ぶものである。これまで築き上げてきた関係をすべて無に帰し、一方的に離れようとするという行為がどれほど人倫に背くことか。家族であれば心配に思うのは自然のことなんだろうし、彼にしてみても他に頼れる者がいない以上さぞ心細いことだろう。肉親が若くして病死しているという状況下で、病んでしまった相手が唯一の妹なら尚更気も置けないはず。だからこそ僕だって彼らのことを気がかりに思っているし、これからも可能な限り支えていきたいと考えている。


けれども今にしてみれば、事件が起きた当時の二人の精神状態は極めて不安定なものであったと思う。なぜかーーどんな事情であれ傍から見れば、彼らの関係がまさに共依存状態そのものだったから。あの時はウォーターもアクアも兄妹揃って、互いに依存し合うことで心の均衡を保っているように窺えた。妹の方は唯一の家族という肩書きに、安心を求める形での執着。兄の方は唯一の家族であるがゆえの、過保護なまでの憂い。この二人の間に兄妹としての愛情があったことは間違いない。仲自体も良好だと聞いていたし、これまで共に過ごした分の情は変わらず健在しているはずだった。だけどそれ以上に、当時はどちらの心にも膨大な負の感情が渦巻いていた。人の思考は後ろ向きに傾きやすい傾向がある以上、皮肉にもそれが互いに感化されて日に日に弱っていくばかりではないか。こんな状態で二人が精神的な快方に向かっているはずがない。僕が彼女に施してやれるのは本当の意味での救いではなく、精々家族という名の依存先を繋ぎとめ、尚且つ周りの人間に一切の干渉をさせないというその場しのぎの気休めが限界だ。


一体どうすればいいものか。友人の妹である以上どうにかして助けてやりたい気持ちは山々だけれど、彼女はきっと僕と会うことも恐ろしくて敵わないだろう。なにせ今アクアが一番恐れているのは異性である。女でない僕が下手に刺激するのはなし。下手に依存先を取り上げてしまうのはさらに危険。そんな綱渡り状態の彼女に、自分は一体なにをしてやれるか。もっとも彼女の兄の意思により、自宅には兄以外の誰も近寄れないよう厳重な結界を張っている。他人を寄せつけないためにそこまで徹底しているのだ。せめて外界に再び関心を持ってくれれば、僕ではなくとも別の誰かを通して救い出してやれるかもしれないが、この現状ではそれさえ難しい。それなら一体どうすれば、彼女にこの手を差し伸べてやれるだろう。身内でなくとも、なにかしてやれることは本当にないだろうか。


ほんの些細なことでもいい。彼らにとっての最善を見出せることを願って、あの時の僕は考えていた。そうして来る日も来る日も、思考を巡らしていたある日、自分はふと一つの可能性に辿り着いたのだ。


『毎日、外の楽しさについて語ってみるというのはどう?』


思い立ったからには迅速に。ある時突拍子もなく、僕は彼に大体そんな趣旨のアドバイスを提案してみた。とにかくアクアが自分の世界に引き籠もらないために、周りとのコミュニケーションを完全に遮断しないために。外の世界に少しでも関心を向けてくれたらそれでいい。それだけを目的とした、あくまで気休めの助言だった。しかし助言とはまあなんとも名ばかりで、そんな行動が成功に繋がる保証なんてどこにもなかった。けれどもそれ以外になにか手段があるかと考えた時、よりよい解決策が見出だせない今は、手当たり次第にでもやれることはなんだって試してみるべきではないかーーそんな結論に行き着いた僕たちは、やがて不安を感じながらも決断することを決めた。そう、これはとにかく必死の思いで、藁にも縋る思いで実行した一か八かの選択だったのだ。発案者である僕もそれが最善かなんて到底判断できなかったけれど。


『妹を救えるきっかけになるなら、この際なんでもいい!』


ウォーターはあの日、そう言ってくれた。そしてそれ以降、さっそく彼はアクアに色々な話をし始めたようだった。思えばちょうどこの頃だろうな。僕が彼を案じて、元々三人きりだったこの場所に外の世界から人間たちを招き入れたのは。来る日も来る日も落ち込んでいたアクアが思わず笑ってしまうくらい、彼に面白い話ができるようになって欲しい。その一心で僕は人間たちと交渉して互いの利害を一致させ、彼らをここまで引き連れてきた。


するとそれからというものの、元々社交的だったウォーターが以前にもまして他人とのコミュニケーションを図るようになっていった。大勢との関わりを好まない僕は相変わらずだったけれども、それ以降彼が子供たちと遊ぶ姿は窓からよく眺めていたし、村で開かれるイベントなどには必ずと言っていいほど彼の姿があると聞く。そういった賑やかな場所で、妹への土産話を豊富に持ち帰るのだろう。


そうして幾分か季節が移り変わった頃ーーその甲斐甲斐しい努力が晴れて実を結んだのか。聞いた話では、ようやく兄と二人きりの時に笑顔を見せるようになったらしい。さらにそれには留まらず、これまで自室で籠っていただけの彼女が家の中では普通に動き回れるようになったらしい。しかも兄がイベントの際村でもらったレシピを見て、趣味の料理や歌にも再熱し始めたというのだ。明らかに進歩している。そのことを耳にした僕と、なにより実際に傍で見ていたウォーターは彼女が目に見えていい方向に向かっていると信じた。それこそ右も左もわからずに彷徨っていた暗い迷宮が、初めてこの先の見通しで、一筋の光で照らされた気がした。だから彼女の負った傷がどれだけ深いものだとしても、立ち直るまでに結果どれだけの時間を要することになったとしても、彼がまだ頑張れると思えるには十分な後押しだった。いずれアクアが再び外の世界に目を向けられることーーいや、それ以前に幸せに毎日を過ごせること。それだけがウォーターにとってたった一縷の望みなのだから。この調子で少しずつ前に前進して欲しいと、友人としてもひたすらそう願った。無論その直後、彼女の身になにが起こるのかすら知らずに。


「妹が…自殺未遂をした」


ーーたった今。虚ろな目をした兄の口からその知らせを耳にした僕は、呆然のあまり彼の震える手すら取ってやれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る