第一章 第四話「救われた者たち -スピカ①-」
昼休みのチャイムが鳴り響いた直後。
望月スピカは、焦りを隠せずにいた。
あれから数分後のこと。
真希と屋上へ向かい、三人ほど座れる背もたれの無い木製のベンチに腰掛けてから、弁当箱を開けるまで。ついさっきのことを思い出しては考えていた。
天野朔––––––。
聞いたことのない名前。私が忘れているだけなのだろうか。彼が私を見た夢…いつの夢の話だろう。
真希が弁当を開ける。いただきまーす、と手を合わせてからパクパクと頬張る。
それに対し、スピカは箸をとめたまま俯いていた。
はあ…どうしてこんなことに……。
今までだって、こうして話かけられるようなことなかったのに。しかもその人、私のことを夢で見たことがあるって…。
突然現れた天野朔と名乗る初対面の生徒が、自分の正体を知っているかもしれない——
そう悟ったスピカは、静かに激しい焦りを感じていた。
大概ほとんどの人は夢で救助されたあと、記憶を保持できることはありえない。なぜなら適切に措置された夢も、そうでない夢も、記憶から剥離されていくことはごく自然なことだからだ。
どこかで手順を間違えたかな?ただ、間違えたとしても記憶は確実に薄れていくし…。しかも同級生だなんて、これから三年間どう向き合っていけば…。
考え込んでいると、真希がここぞとばかりに図々しく話かけてきた。
「ねえねえさっきの男子、三組の天野くんだよね」
少し驚いたあと、真希の顔を振り返る。
何だかニヤニヤしている。
真希ちゃんは、知っていたんだ、彼のこと。
私は天野くんのこと、三組という以前に、認知すらできていなかったよ。
「そうだね、突然話しかけられたから、びっくりしたよ」
「ふ〜ん?……へぇ〜?」
うう、真希ちゃん、何か誤解してないかな?何だかさっきから眼差しが輝いているような…。
「スピカはさ、気になる人とか好きな人はいる?」
「ううん、いない」
なんだろう。この質問、苦手だ。
小学生の頃を思い出す。しつこく聞いてくる男子と、陰湿な女子。
真希の問いに、スピカの心が過去へと引き戻される。
あの頃の記憶が、ざわざわと蘇ってくる——。
今より髪も瞳も明るかった小学生時代。
普通じゃないという理由で、私は周囲と馴染めなくなった。
時が経ち、そんな私にも友達ができた。すごく嬉しかった。あの日々は宝物のように大切で、私の世界そのものだった。
当時、家業によるプレッシャーも重なり、私は日々に疲れていた。
そんな私にとって、その子の存在はかけがえのない救いだった。
けれど、そんな日常に変化が訪れた。転校生がやってきのだ。端正な顔立ちの背の高い美少年、というのが一般的な見解だと思う。普通じゃない私には、”新しいクラスメイト”でしかなかった。
クラスの女子はトイレで盛り上がり、しばらくはその転校生の話でもちきりだったように思う。友達もその一員だった。しばらくして相談をされた。恋愛の相談というやつだ。私には何もできないけれど、転校生の話をしている友達は、とても可愛らしかった。素直に応援をしていた。
席替えをした。私は転校生と隣の席になった。今まで隣に人がいても話すことはなかったし、それが普通だった。
「なんて呼べばいい?」
声をかけられた。転校生からだ。当時の私は恋愛のしきたりも風習も何も知らない。だから、友達と同じようにこう言ったんだ。
「スピカ…でいいよ」
それからというもの、何度も教科書を見せたし何度も話しかけてきた。遊びにも誘われて、私はまた友達ができたようで嬉しかった。けれど彼と関わるたびに、周囲の空気が重く変わっていくのを実感した。その頃からだった。初めてできた友達が、私を避けるようにして他グループへ流れていくようになったのは。私の初めての友達。名前はもう思い出せない。でも、私にとっていなくてはならない人。
なんで移動教室、私を置いて行っちゃうの?
なんで一緒に帰れない?
なんでもう遊べない?
どうしても理由が聞きたかった。彼女に隙をついて話を仕掛けるため、何度もタイミングを見計らった。
話ができたときには、後ろに他グループがヒソヒソとコチラを見て話しているのが伺えた。
「最近、あまりお話しできなかったね…何かあった?私、
何かしちゃった?」
心臓が締め付けられそうだった。他グループの女子たちの感情が、目の前に立っている友達だと思っていた少女の感情が、空気とともにこの身を縛り付ける。
「スピカ、調子乗ってるってみんな言ってるよ」
「え…?」
「ごめんね、スピカ見ると嫌なことばっかり浮かんできて、私。」
「好きな人の好きな人が友達だと、私、自分が嫌になってくるの」
「だからもう一緒に入れないや。スピカのためにも。」
口元はいつもの笑顔のままなのに、目元はまるで軽蔑した人間を見るかのような瞳だった。
理由なんて、あってないようなものだった。
言葉にされることで、胸の奥に押し込めていた感情が、ドロドロと噴き出す。
「なに…それ…」
そこで気づいた。あの転校生のこと?同じ同級生でしょう?まだあまり話もしてない人でしょう?
そんなことで私は友達を一人、失うしかなかったの?
恋をしている、友達だと思っていた少女は、とても幸せそうだった。
少女が喜ぶと、私も喜んだ。少女が悲しい顔をしたら一緒に悲しんだ。
彼女をこんなふうにしてしまった感情。なんて…残酷な感情。
私にはそんな感情、いらない。一生なくてもいい。
そんなものを持っていたら、誰かが誰かを羨んで、嫉妬して、仲間に対しても嫌な気持ちや争いが生まれて、もう以前のように話すことさえ叶わなくなる。
そう、だから私はあの日から恋愛に関わることが怖くなった。
人と話すことが怖くなった。
……だから、いない。
でも——。
スピカは弁当の卵焼きを箸で半分にして、頬張る。もぐもぐとよく噛み、飲み込むと真希を見つめ、こう言った。
「……でもね。
尊敬してる人はいるの。いつか恩返しをしたい人。」
真希は驚いた顔をする。スピカが自分のことを話すことが珍しいのだ。今まで真希が自身のことを打ち明けても、スピカはなにも明かさず、その過去も気持ちも、ずっと謎のベールに包まれたままだった。
「誰か、聞いてもいい?」
真希が身を乗り出して問いつめる。それに驚きながらも、スピカは晴天の海を見上げ、誇らしげに語った。
「アイドルだよ」
一拍置いてから、スピカは目を細めた。
「橘ゆりって子。私の、命の恩人みたいな人」
彼女は、何もかも怖くなってしまったスピカの心を救ってくれた人。
大切な記憶。
あの日の夢はとても心地がよくて、忘れてしまうのが怖かった。
だから必死にその記憶を記録した。
あれは、どこにも居場所がなくて泣いていた日の夜。
気がつくと、私は夢に迷いこんでいた––––––。
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