帰結

 自衛隊の空爆によって巻き上げられた、おびただしい量の土煙が、荒野とセーフゾーンとの間に巨大なカーテンを作り出していた。魔獣たちが今どうしているのか、現状は全く分からない。しかし、その土煙を抜けてこちらに突撃してくる魔獣が一匹もいないところを見ると、爆撃の混乱で、セイレーンの指揮が一時的に途絶しているのかもしれない。

 どちらにせよ、追手のいなくなった迎撃部隊の撤退は、想定よりもはるかにスムーズに進行した。


 臨時で開け放たれた防壁の門から、あるいは、リスポーントーテムの方から、ボロボロになった迎撃部隊の生徒たちが、次々と駆け込んでくる。

 その光景を、俺は壁の上から、冷静に見下ろしていた。


  帰還組に、致命傷を負った生徒は少ない。当たり前だ。致命傷を負った者は、その場でリスポーン送りにされ、傷が癒えているからだ。

 だが、それでも、彼らの体には、致命傷にはならない、無数の傷や、おびただしい流血の跡が、生々しく刻まれている。すぐに応急処置が必要だった。


 先ほど送り出した桃瀬は非常に有能だった。すでに、彼女が『滑走路』として構築した後方支援システムから、移動速度のバフをかける魔法陣は綺麗に削除されている。そして、かつて補給所だった露店は、今や負傷者を受け入れる臨時の救護所へと、その姿を変えている。


 防壁の前の救護所は、今や、野戦病院そのものだった。

 怒号にも似た指示が、あちこちで飛び交っている。


「重傷者はこっちに運んで! 軽傷者は、自分でポーションを取りなさい!」

「包帯が、全然足りないわ! クラフターは、誰か、簡易包帯を、ありったけ量産して!」

「解毒薬は、緑の箱よ! 麻痺毒じゃない、出血毒に効くやつだから、間違えないで!」

「水を! 誰か、綺麗な水を、大至急運んできて!」


 その、混乱の極みにあるはずの喧騒の中心で、桃瀬がまるで、手慣れた指揮官のように、的確な指示を次々と飛ばしていた。

 彼女には、こういう役割こそが、天職なのかもしれないな。

 俺はそんなことを、どこか他人事のように考えていた。



 無意識に、俺の視線は、人混みの中からレオナの姿を探していた。

 いた。土田と一緒に、負傷した生徒の手当てをしている。遠目から見る限り、二人とも大きな怪我はないようだが、それでも、衣服のあちこちに付着した赤黒い血糊が、彼らの潜り抜けてきた激戦を物語っていた。


 今の俺に、できることは何か。

 ポーションや包帯のクラフトは、すでにセーフゾーンに残ったクラフターたちが、桃瀬の指揮下で、フル稼働で量産している。俺一人が加わったところで、大勢に影響はない。魔獣の見張りも、壁の上に設置された砲台や銃座に、何十人もの生徒が張り付いている。

 壁の下では、迎撃部隊の誰かが、前線で拾い集めてきたであろう、魔獣の素材が、山のように積まれていた。あれだけの量があれば、当分、素材集めに行く必要もないだろう。

 空の彼方では、爆弾を投下し終えた戦闘爆撃機が、弧を描いて帰っていくのが見える。自衛隊の本格的な救援は、明日の昼頃。少なくとも、それまでは、俺たちだけで、このセーフゾーンを防衛する必要があるわけだ。


 そこまで考えて、俺の頭に一つの根本的な疑問が湧き出た。

 俺たちは、一体、何を守ろうとしているのだろうか?

 セーフゾーンが襲われるからと、何も考えずに必死で防壁を築いてきた。だが、仮にこの防壁が突破され、セーフゾーンが蹂躙されたとしても、俺たちはトーテムによるリスポーンが行われるだけだ。露店や拠点は荒らされるだろうが人的な損耗はない。


「今、俺は何を考えている……?」


 そうだ。俺は、この戦いにおける、俺たちの「敗北条件」を考えているんだ。

 何を、どうされたら、俺たちは本当に「負け」になるのか。

 何か、重大な見落としがあるはずだ。

 俺は、セーフゾーン全体を見渡し、必死に思考を巡らせる。その時、桃瀬のあの不吉な占いが脳裏をよぎった。


 一枚目のカード、雷に打たれ、崩れ落ちる『塔』。

 二枚目のカード、雲の上に浮かぶ、壮麗な『城』。

 そして、三枚目のカード、目隠しをされたまま、吊るされる『絞首台』。


「桃瀬が言うには『塔』は、突然の破壊や、避けられない災厄。『城』は、安全な場所。『絞首台』は、生と死……」


 『城』が、このセーフゾーンを指すのだとして、『塔』と『絞首台』は、一体、何を指している?

 その時、俺の視界にセーフゾーンの中央に聳え立つ、あの巨大なリスポーントーテムが入り込んだ。

 塔。このセーフゾーンには、他に塔らしき建造物はない。そして、生と死を司る、絶対的な存在でもある。

 リスポーントーテムの、正確な動作原理は、俺も知らない。だが、もし、あのリスポーントーテムが破壊されたら、このシステムは一体どうなるのだろうか?

 確証はない。だが、おそらくリスポーンシステムは停止する。

 俺たちの「死」が、本当の「死」になる。


 背筋が凍った。

 俺は慌ててセイレーンの姿を探す。奴は今も土煙の上空を優雅に飛翔している。だが、くるりとその方向を変えると、一直線に雪山の方角へと飛び去っていった。

 雪山。その向こうには、湿地帯、あるいは、廃都市エリアがある。斥候の話では、湿地帯の魔物が大量に動員されていた。もし、奴が軍勢を補充するつもりなら、雪山か廃都市、そのどちらかへ向かった可能性が高い。

 正面からの攻撃は陽動。本命は、別の場所にいる別動隊。

 そして、その狙いは――。


「……まずい」


 俺は、すぐさま、自分の無線機を掴んだ。相手は、この防衛戦の、事実上の総指揮官。


「高城! 聞こえるか!」

『……湊か。なんだ、今は、取り込み中だ』

「奴の狙いはセーフゾーンじゃない! リスポーントーテムだ!」


 俺は、自分の導き出した、最悪の結論を、叩きつけた。


「今、壁に向かってきている軍勢は陽動だ! 奴は、俺たち主力をこの壁に釘付けにしている間に、手薄になった別の方向から別動隊を侵入させ、トーテムを直接破壊するつもりだ!」


 無線の向こうで、高城が、息を呑む気配がした。

 だが、すぐに、彼は、鼻で笑った。


『……面白い冗談だ。だがな湊。今、俺たちの目の前には現実の脅威がいる。お前の根拠のない憶測に付き合って、この壁の守りを手薄にできるとでも思ってるのか?』


「憶測じゃない! 桃瀬の占いも、それを……!」

『占ごときで動かせるか! いい加減にしろ!』


 その言葉を最後に通信が一方的に切られた。

 

 俺は呆然と手の中の無線機を見つめる。

 

 ダメだ。誰も信じない。

 ならば、俺がやるしかない。


 俺は、壁の上から飛び降りた。

 俺、一人の力であの絶対的な安全の象徴を守り抜くしかない。

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