尋問
二人分の体温が混じり合う、奇妙に穏やかな時間。レオナの頭が俺の肩に乗っているという、まるで恋人同士のような状況にも、人間の適応力とは大したもので、ある程度慣れてしまった。
このまま静かに夜が明けるのを待つだけか。そう思い始めた、その時だった。
肩の重みが、ふ、と軽くなる。身じろいだ彼女が、俺の顔をすぐ側から見上げ、ぽつりと呟いた。
「湊はさ……私がいないと、寂しい?」
……起きてるのかよ。
というか、絶対に寝ていなかったな、こいつ。つまり、完全に自覚した上で俺の肩に頭を乗せていたわけだ。そしてこの質問。付き合ってもいない相手に、まるで恋人のような繋がりを確かめる、あまりにも面倒な問いかけ。
だが、経験上、こういうのは下手に考え込まず、即座に同調して打ち返すに限る。時間を置けば置くほど、相手の不安と俺の面倒が増大するのだ。
「……まあ、そうだな。お前がいないと、静かすぎて調子が狂う。寂しいことは、確かだ」
「じゃあ、私がチームを抜けるって言った時、湊は何してたの?」
めんどくせえええええええ!!!
何だこの尋問は! 確かに、あの時俺がどうしていたかは話していなかったが、言う必要もなかったはずだ。だが、ここで茶化したり、はぐらかしたりすれば、彼女の機嫌を損ねて「やっぱり出ていく」と言い出しかねない。完全に詰んでいる。
俺は観念して、記憶の糸を手繰り寄せた。
「確か、あの後……まず土田に本気で怒られて、途方に暮れてフラフラしてたら、桃瀬の占い露店に捕まって、そこで説教されたんだ」
「なんて説教されたの?」
「俺はレオナに対して、常に『合理的か、否か』で接していた。でも、そもそも俺がレオナをチームに入れたのは、本当に合理的な判断だったのか? って、そう言われた」
「……それで? 湊は、なんで私をチームに入れたの?」
ぐ、と核心を突いてくる。
答えは、情だ。桃瀬にも「情で拾ったんなら、情で接しなさい」と言われた。
だが、俺はあの時のことを自分の「気まぐれ」と解釈している。しかし、そう言えば、きっと彼女は怒るだろう。俺の、あの時の気まぐれを分析し、ちゃんと説明する必要がある。
「……レオナを見てて、去年の演習を思い出したんだ。高城に裏切られたって話はしただろ? あの後、俺は何もかもがうまくいかなくて、リスポーンを繰り返した。最後は、装備もほとんど失って……下着姿で、冷たい雨に打たれたりもした。惨めだったよ、本当に」
自嘲気味に語る俺を、レオナは黙って見つめている。
「だから、まあ……あの時の俺が、誰かにしてほしかったことを、しただけだ。お前を助けるのが合理的かどうかなんて考えてなかった。情で拾ったんなら、最後まで情で接しろって桃瀬に言われて……ああ、確かになって、納得したんだ」
「そう。じゃあ、今は……情で、接してくれてるの?」
「……そのつもりだ。苦手だから、かなり頑張ってる」
するとレオナは、「ふふっ」と花が綻ぶように笑った。
「……嬉し」
そう言って、彼女は再び俺の肩にこてんと頭を預けると、今度は俺の腕に自分の腕を絡め、ぎゅっと抱きしめてきた。二の腕に、柔らかくもはっきりとした感触が伝わる。
やめろ。やめてくれ。
心がぐちゃぐちゃになる。レオナが俺をどう思っているのか、恋愛感情なのか仲間としての信頼なのかわからないのに、まるで俺のことが好きかのような行動を取られると、脳の処理が追いつかずにバグるんだ。
普通の恋愛小説なら、このまま告白イベントにでも発展するのだろう。
だが、現実は違う。女という生き物は、極限状態に陥ると、ほんの少しの好意や安心感を、生存本能によって恋愛感情だと錯覚する。そして、無自覚に相手を惑わす行動を取る。
俺は、おととしの演習でそれを嫌というほど味わったから、よく知っているんだ!
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おととしの演習。最終局面で合併を繰り返したのちに、島が二つの勢力に分かれて泥沼の闘争に突入していた。
俺は当時、不運が重なり本隊とはぐれ、深い森で佐々木という女子と共に孤立してしまった。雨は降り続き、体温は奪われ、食料も尽きかけていた。まさに極限状態だった。
「湊……私、もうダメかも……」
洞窟の中で、寒さに震える佐々木は、俺の腕に必死にしがみついていた。
「大丈夫だ、朝になればきっと動ける。俺が絶対にお前を守る」
俺たちは一つの毛布にくるまり、互いの体温だけを頼りに夜を明かした。その時、彼女は涙ながらに言ったのだ。
「湊がいてくれて、よかった……。好き、かもしれない……」
吊り橋の上で告白されると、その恐怖心から相手に恋愛感情を抱きやすいという『吊り橋効果』。あの時の俺たちの状況は、まさにそれだった。
俺もまた、その状況に飲まれていたのかもしれない。彼女を守らなければ、という使命感と、彼女からの思わぬ告白に、確かに心は揺れた。
だが、演習が終わり、日常に戻った瞬間、魔法は解けた。
学校に戻り、クラスメイトたちと合流した佐々木に声をかけると、彼女はひどく気まずそうに目をそらし、こう言ったのだ。
「あ、あの……演習の時のこと、ごめん! 私、すっごくパニックになってて……本気じゃなかったの、忘れてくれる?」
悪気のない、残酷な一言。
彼女にとって、あの言葉は極限状態を乗り切るための精神安定剤に過ぎなかったのだ。俺の善意と使命感は、彼女の生存本能に利用されただけだった。
あの無様な経験が、俺に叩き込んだ教訓。――極限状態の『好き』は、絶対に信じるな。
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腕に絡みつくレオナの温もりを感じながら、俺は過去の痛みを必死に反芻する。
そうだ、惑わされるな。これもきっと、吊り橋効果だ。彼女も、俺も、この異常な世界で生き抜くために、互いに依存しようとしているだけなんだ。
しばらくすると、俺の腕に絡みついたまま、レオナはすっかり安心しきったのか、すー、すー、と穏やかな寝息を立て始めた。
静かになったのはいいが、索敵以上に気力を削られた。とんでもない疲労感だ。
俺は心を落ち着けるように深呼吸を何度か行い、意識を切り替えて改めて周囲の気配を探る。幸いにも、何かがこちらに近づく様子はない。静寂は続いているが、差し迫った脅威は感じられなかった。
そうして、抱き着かれている腕の感覚が完全になくなり、他人の腕のように冷たくなってきた頃。ようやく拠点から、二人分の足音が聞こえてきた。
振り向くと、そこには桃瀬が土田の腕にぴったりと寄り添い、仲睦まじげに歩いてくる姿があった。
そっちは、順調そうだな。
心の中で、少しだけ羨望の混じったため息をつく。桃瀬は去年から土田のことを気にしていたようだし、あれは極限状態が生んだ吊り橋効果ではない、本物の好意だろう。俺が経験した、佐々木のような悲劇にはなるまい。素直に、うらやましいよ。
「湊、交代だ。お疲れ。……って、レオナちゃんは?」
「見ての通り、寝てる。俺が運ぶから大丈夫だ。後はよろしく頼む」
俺はそう言うと、レオナの寝姿勢を崩さないように、そっと自分の腕を引き抜いた。途端に、じんじんと痺れが走り、血が通い始める感覚がもどかしい。
痺れが引くのを待って、さて、どう運んだものか。とりあえず背負うのが一番か、とレオナに手を回そうとした、その時だった。
「おいおい、ベッドに寝かせるんだから、お姫様抱っこの方がいいだろ。体も変に揺れないしな。扉は俺が押さえておいてやるよ」
土田の言葉に、俺の肩で眠るレオナの体が、ほんのわずかに「びくっ」と震えた気がした。いや、気のせいだろう。寝返りでも打とうとしたのかもしれない。
土田の意見はもっともだ。俺は覚悟を決め、改めてレオナの膝裏と背中に腕を回し、その体を横抱きに抱え上げた。想像していたよりも、ずっと軽い。
この姿勢だと、レオナの顔がよく見える。月明かりに照らされたその寝顔は、どこか満足げで、幸せそうにさえ見えた。
いいよな、お前は。夢の中で強い奴と戦ってるだけで、幸せなんだもんな
土田に扉を開けてもらい、拠点の中へ入る。
部屋の中央に固められた四つのベッドのうち、まだ使われていない一つにレオナをそっと降ろし、掛布団をかけてやった。
さて、俺の寝床だが。さすがに桃瀬か土田が使ったベッドにもぐりこむ気にはなれない。必然的に、俺が眠る場所はレオナの隣のベッドということになる。
言いようのない精神的疲労からか、俺は横になるやいなや、すぐさま深い眠りに落ちていった。
だが、その眠りは安らかなものではなかった。俺は、悪夢を見た。
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夢の中で、俺は湿地帯に一人で立っていた。昼間のはずなのに、空は鉛色に淀み、不気味な霧が立ち込めている。
周囲の木々が、ざわざわと蠢き始めた。それは、桃瀬が語った怪談そのものだった。幹がねじれ、枝がまるで腕のように伸びてくる。
その中の一際大きな木が、俺に向かって語りかけてきた。声は、忘れもしない、佐々木のものだった。
『湊がいてくれて、よかった……』
木の幹から伸びてきた無数の蔦が、俺の体に絡みついてくる。棍棒を振るおうとするが、まるで粘土のようにぐにゃりと曲がり、役に立たない。
『好き、かもしれない……』
蔦は俺の装備を剥ぎ取り、身動きを封じていく。助けを呼ぼうと周囲を見渡すと、遠くにレオナや土田たちの姿が見えた。だが、彼らの隣には、俺を裏切った高城が立って、こちらを嘲笑っている。誰も、俺を助けようとはしない。
『本気じゃなかったから、忘れてくれる?』
佐々木の言葉が、蔦となって俺の全身を締め上げる。冷たい雨が降り始め、体温が奪われていく。去年の演習で味わった、あの絶望と屈辱が、鮮明に蘇る。
俺は、また一人だ。また、裏切られ、見捨てられたのだ。
目の前が、暗転する――。
---
「――ッは!」
息苦しさで、俺は夢から弾き出されるように目を覚ました。
心臓が警鐘のように鳴り響き、全身に冷や汗が滲んでいる。
「……夢か」
安堵のため息をつこうとして、俺は自分の体の異変に気づいた。やけに、温かい。そして、何かに、しっかりと抱き締められている。
恐る恐る、視線を横にずらす。
すると、俺の真横に、レオナの整った寝顔があった。
どうやら彼女は眠っている間に俺のベッドに転がり込んできたらしい。そして、俺のことを、特大の抱き枕と勘違いしているようだった。
「……好き」
俺はレオナの寝言を無視して目を閉じ、もう一度眠った。今度は悪夢を見なかった。
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