第28話 飾の看病

「じゃあこれから医者に行こう」


 飾はスマホを手にして、そう言った。


「医者って言っても、一キロはあるからなぁ。この状態でそこまで歩くのはかなりしんどい」

「歩かせないわよ。タクシー呼ぶから。出かけられる服に着替えて」

「わざわざタクシー使うなんて、もったいない」

「全然もったいなくないです。こういう時はお金のことは気にせず、一番楽な方法を選ぶべきよ」

「でもなぁ……家で寝ているのもしんどいのに、医者に行って椅子に座って待つのはもっと大変だから」

「なら余計に行かないと。ほら、とにかく行くの。自分で着替えられないなら、あたしが脱がせるけど。どうする?」

「いつもなら絶対にそんなこと言わないのに」

「そりゃいつもとは全然状態が違うもの。余計なおしゃべりしてると疲れるでしょ? 今のるぅは決断だけすればいいの。それで、自分でやる? あたしがやる?」

「……自分でやる」


 一度飾を部屋から出し、パジャマから外出用の服に着替える。

 ドアの外からは、飾がタクシーを読んでいる声が聞こえてくる。

 一キロ程度とはいえ、タクシーで往復するとバカにならない額になるよなぁ。

 もったいない。

 そう思いながらも、いつもの服にさえ重量を感じる体調では、他に選択肢もない。

 夜になって、今以上に体温が上がれば、四十度も見えてくる。医者に行けない状態で四十度は、命に関わる領域一歩手前だ。そして、俺はそのさらに一歩手前にいる……つまり、危機的状況の二歩くらい手前。

 タクシー代がどうとか言ってる場合じゃないか。


「着替えた」

「うん、ひとりで歩ける?」

「それくらいなら大丈夫」

「でも階段は危ないから」


 そう言って、飾は俺の手を取った。

 そのまま手を引いて、階段をゆっくり降りて行く。

 家の中で手を繋ぐというのは新鮮なのだが……これは介護されているみたいで、あまり嬉しくないな。




 近所の内科医は、結構混んでいた。

 当たり前かもしれないが、風邪が流行っているのは、うちの学校だけではないらしい。近隣全体で流行っているらしく、待合室の椅子がすべて埋まるほど先客がいた。


「これを待つのか……」


 付き添いで来ているっぽい人を除いても、十二、三人は先に待っている。

 ひとり五分としても、最低でも一時間。それを椅子に座って待なければいけない。

 それだけでもツラいのに、拍車をかけるのが、五歳くらいの元気な男の子の声だ。具合が悪いから医者に来ているはずなのに、大きな声で歌っている。

 なんて迷惑な。その子の親はなぜ止めないのか……。


 その歌声がガンガンと頭に響く。

 ……あれ、ヤバくない?

 むしろ家で寝ていた方が楽だったんじゃないか?


 すると、飾が立ち上がり、その男の子のところに行った。


「楽しくお歌歌ってるところごめんね。あっちにいるお兄ちゃん、すごく苦しくて静かにしていたいの。お医者さんにいる間は、お歌はやめてもらっていいかな?」

「うん……ごめんなさい」

「話を聞いてくれてありがとう、いい子だね。とっても上手だったから、おうちでたくさん歌ってね」


 飾は男の子の頭を撫でて、その子の親に小さく会釈をしてから、俺の隣に戻って来た。


「これで大丈夫だよ、るぅ。すぐに順番来るから、落ち着いて待とう?」


 隣に座っている飾は、片手で俺の手を握り、もう片方の手で頭を撫でた。

 さっきの子どもにしてたようなことはやめてくれ……と言いたかったが、振り払う気力もない。

 その後、飾はずっと俺の手を握り続けた。

 怖くないよ、と言い聞かせるみたいに……いや、なんか本当に死にそうな気がしてくるから、もっといつもみたいにしてほしいんだけど?


 それからじっと自分の順番を待った。

 歌う子どもがいなくても、人が出入りするだけでも結構音はする。

 ざわざわとした待合室で座り続けるのは、弱った体にはかなりしんどい。

 目を開けているのも大変で、目を閉じた。


 だが、目を閉じたら閉じたで大変だった。

 視界が、というか頭がぐるぐる回っているような感じがする。

 どういう体勢になればまっすぐ座っていられるのかもわからなくなり、揺らぐ世界に抗っている間に、頭がなにかに触れた。

 飾の肩だった。


「ごめん」

「いいよ、そのまま乗せてて」


 離れようとする俺を飾は引き留め、そのまま体重を預けさせてくれた。

 すると、まだ苦しかったけれど、少し楽になったような気がした。




 医者で薬をもらい、再びタクシーに乗り家に帰った。


「なにか食べられる?」

「ちょっとムリかも」

「あ~んしてあげる、って言っても?」

「今日は遠慮しておく」

「そりゃよっぽどだね」


 それを基準にしないでもらいたい。

 普段の俺は、そんなにわかりやすく欲望に食いつく男ではないはずだ。

 ……たぶん。


「とりあえずまたパジャマに着替えて、もう一回寝た方がいいよ」

「ああ、そうする。……その前に」

「ん?」

「ちょっと汗をかいたからシャワーでも浴びようかな」

「ダメ、もっと熱出ちゃうかもしれないよ」

「……そうだな、やめておこう」


 汗をかいたままというのは少し気持ち悪いが、まぁ余計なことはしないに限るな。


「濡れたタオルで体拭いてあげようか?」

「え? それって、漫画とかでよくある定番のアレか?」

「アレだね」

「まさかそんなイベントを飾から提案してもらえるとは。ぜひおねがいします」

「ここで拒否しないなら、食事はできなくても、死にそうなほどひどいってわけじゃなさそうだね。よかったよかった」


 あ~んと同じで、いつもの俺ならすぐに食いつくだろう誘いで、俺の体調を測ってたってわけか。

 したたかな。

 だが、それだけ心配してくれているってことだろう。

 嬉しいような、申し訳ないような。




 まず飾が風呂場に行き、タオルでお湯で湿らせた。

 俺は少し遅れて風呂場に行った。


「どこまで脱げばいい?」

「せめてパンツくらいは残してくれるとありがたいんだけど?」


 いつもの俺なら、ここからさらにもう一歩踏み込んで遊ぶところだろう。

 だが、今日はそんな余力はないので、言われた通りパンツだけを残して脱いだ。


「はい、それじゃ拭いて行くよ。まずは腕からね」


 そう言って、飾は俺の手を取り、腕にタオルを当てた。


「拭いてくれるのは背中だけかと思った」

「それだと体調の悪いるぅにほとんど全部やらせることになるじゃない。っていうか、背中しかさせないつもりなら、なんでズボンまで脱いだ?」


 ズボンまで脱いだことに特に意味はない。強いて言うなら、そう言われたから。


「るぅはあたしに委ねていればいいの。全部してあげるから……別にエッチな意味で言ってないからね?」

「ごめん、今そういうこと考える気分じゃなくて。下ネタなら、今度元気は時に付き合うから」

「いや、別に求めているわけじゃないんだけど」


 話ながら、体がタオルで拭かれていく。

 右腕を拭き、左腕を拭き、一度タオルを洗って肩から首。

 胸から腹まで拭かれるのはかなり恥ずかしかった、恥ずかしい、としか感じないのが、今日の体調だろう。普段なら、きっと嬉しいが先に来ていた。

 両脚も拭いてもらい、最後に背中。


「あたしはこれで出るから、パンツの中はおひとりでどうぞ。そこくらいはシャワーを使ったら?」

「そうする」


 飾が出て行った後、俺も脱衣所に移動しパンツを脱いた。それからもう一度浴室に戻り、拭いていない部分だけシャワーで洗った。

 それから浴室を出て脱衣所に行ったのだが、タイミングがもろに被った。


「さっきのパジャマは汗を吸ってたから洗うね。これ新しいの、あと下着…………」


 着替えを持って脱衣所に入って来た飾と、浴室から出たばかりの俺が鉢合わせる。

 こういう機会、実はほとんどない。星宮家では、風呂に入る時間も順番もほぼ固定化している。

 だから、普通に生活している限り、脱衣所で鉢合わせることはありえないのだ。それこそ、こういうイレギュラーの時以外は。


「……ほう」


 飾は俺の股間を凝視し、うなずいた。

 どういう反応だ?


「じゃあ、これ着替えだから」

「もう少し期待に沿う反応してくれよ」

「どんな期待してるのか知らないけど、小三までは一緒にお風呂入ってたでしょ。そこそこ見慣れてるわよ」

「その頃とは違うだろ」

「はいはい、わかりました。立派になったわね、るぅ」

「いやいや、立派な状態はこんなもんじゃなくて。今日は体調が悪いから」

「とにかく服を着なさい。いつまで裸でいるつもりなの」


 飾は俺に服を渡して、脱衣所から出て行った。

 くそっ、体調さえ良ければ、本気の俺の俺を見せられたのに……まぁ体調が良い時は、こういうラッキースケベな展開は起きないんだけどな。

 それにしても、普通のラッキースケベなら、俺と飾の立ち位置が逆なんじゃないか?




 しかし、裸を見られたからか、体がまた熱くなってきた気がする。

 バカなこと考えてないで、さっさとベッドに戻るか……。

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