『君はこころを奪う、美しき朱頂蘭』

漣 

第1話 戦乱の世


春霞たなびく山間に、太刀の音が響いていた。

「敵は谷の向こうだ!」

「左翼を回り込ませろ!」

将軍たちの檄が飛び交う中、若き武士たちが泥濘の中を駆け抜けていく。もはや何年続いているのかも分からぬ戦の日々。この国を二つに分けた争いは、まるで終わりが見えなかった。

戦場から少し離れた丘の上から、一人の青年がその光景を見下ろしていた。朝臣(あそん)――朝廷に仕える武家の次男坊である。兄が家を継ぎ、自分は戦場で武功を立てるしか出世の道はない。それが武家の次男の定めだった。

「朝臣様、お呼びです」

従者の声に振り返る。本陣では、また新たな作戦会議が始まろうとしているのだろう。朝臣は溜息をついて馬に跨った。

戦、また戦。人が人を殺し合う日々がいつまで続くのか。

空を見上げれば、戦雲が低く垂れ込めている。しかしその向こうには、きっと青い空が広がっているはずだった。

山の奥深く、古い神殿では鐘の音が響いている。人々は戦乱が早く終わることを、そして豊かな実りをもたらしてくれることを、朱頂蘭の神に祈り続けていた。

その祈りの声は、山霞に包まれて空に昇っていく。まるで、誰かに届くことを願うように。

戦乱の世にあって、人々が縋る希望の光。それが、山間の神殿に宿る朱い花の神だった。

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