第9話 癒しの光と、黒薔薇の絶望的な罠
収穫祭の朝は、抜けるような青空だった。
学園の門をくぐると、そこはもう別世界。校舎には色とりどりの花のガーランドが飾られ、あちこちから生徒たちの楽しそうな笑い声や、音楽の音が聞こえてくる。空気中には、甘いお菓子の匂いと、たくさんの魔法植物が放つ、生命力に満ちたマナがキラキラと漂っていた。
そんな、お祭りムード一色の中、私は、会場の一番隅っこで、たった一人、黙々と自分の展示ブースの準備をしていた。割り当てられたのは、机が一つ置けるだけの、本当に小さなスペース。周りのクラスが、趣向を凝らした華やかな飾り付けでブースを彩っているのに比べて、私の場所は、あまりにもみすぼらしくて、静かだった。
通りかかる生徒たちが、好奇と、ほんの少しの嘲笑が混じった視線を、私に投げかけてくる。
「あ、あれじゃない? 噂の個人出展」
「ほんとだ……。机の上に、鉢植えがいくつか置いてあるだけ? 地味すぎない?」
「これで黒崎様の展示に対抗するつもりなのかしら。冗談きついわよね」
聞こえてくる声に、胸がちくりと痛む。でも、私は俯かない。大丈夫。私は、一人じゃない。
そっと、自分の髪に飾られた、小さな花に触れる。ルキがくれた、『星屑の夜想花』のお守り。その花びらから、彼の穏やかで、力強いマナが、私に流れ込んでくるようだった。
(見ててね、ルキ)
彼は今、秘密の温室から、私にマナを送り、ずっと見守ってくれている。私たちは、どんなに離れていても、あの『共鳴魔法』で、固く、固く、繋がっているんだ。
◇
収穫祭の開場を告げるファンファーレが鳴り響くと、メイン会場は、あっという間に黒山の人だかりで埋め尽くされた。そのお目当ては、もちろん一つ。
黒崎荊くんのクラスが作り上げた、『古代魔法植物の館』だ。
その中央に鎮座する、巨大な黒薔薇のオブジェ『夜皇の薔薇(ノクス・インペリウム)』は、実物を見ると、想像を絶するほどの迫力だった。禍々しいほどに美しい漆黒の花びらは、まるでベルベットのような光沢を放ち、周囲の光さえも吸い込んでしまうような、圧倒的な存在感を誇っている。
綾小路 麗華さんが、マイクを片手に、誇らしげな声で解説を始めた。
「皆様、ようこそおいでくださいました! この『夜皇の薔薇』は、我がクラスの黒崎 荊様だけが咲かせることのできる、伝説の魔法植物! その力強く、気高いマナは、周囲の植物を活性化させ、この会場全体のマナの循環を、より高めてくださるのですわ!」
その言葉に、観客たちは「おお……!」「なんて力強いマナなんだ!」と感嘆の声を上げる。黒薔薇から放たれる、濃密で、支配的なマナの波動に、誰もが酔いしれているようだった。
でも、その喧騒の中で、いくつかの小さな声が、ぽつり、ぽつりと漏れ聞こえてくる。
「なんだか、少し、気分が……」
「わかる。頭がクラクラするっていうか……力が、吸い取られてるみたい……」
感受性の強い生徒たちが、顔を青くして、その場にしゃがみ込む。でも、そんな彼らの不調は、お祭りの熱狂の中に、あっけなくかき消されてしまった。
その頃、会場の片隅にある私のブースは、閑古鳥が鳴いていた。
たまに人が通りかかっても、「なんだ、これだけ?」「地味ねえ」と、一瞥して去っていくだけ。机の上に並べた、まだ蕾のままの『星屑の夜想花』の鉢植えは、誰の興味も引かないようだった。
(焦らない、焦らない……)
私は、周りの喧騒から意識を切り離すように、ゆっくりと目を閉じた。そして、心の奥深くで、ルキの存在に呼びかける。
(ルキ、聞こえる?)
(……ああ。いつでも、お前のそばにいる)
脳裏に、彼の、静かで、落ち着いた声が響く。それだけで、私の心は、さざなみの立っていた水面のように、すうっと穏やかになっていく。
大丈夫。私たちは、繋がってる。
私は、ゆっくりと、机の上に並べた鉢植えの一つに、そっと手をかざした。そして、ルキとの共鳴によって増幅された、澄み切ったマナを、静かに、注ぎ始めた。
◇
私のブースの前を通りかかった、一人の下級生の女の子が、ふと、足を止めた。
「……あれ?」
彼女の視線の先で、一つの小さな奇跡が、静かに始まっていた。
私が手をかざした鉢植えから、まるで星の光が瞬くように、ぽつ、と小さな光が灯ったのだ。
そして、その光に呼応するように、隣の鉢からも、またその隣の鉢からも、次々と、ぽつ、ぽつ、と優しい光が生まれ始める。
キラキラキラ……!
あっという間に、私の小さなブースは、まるで夜空から、天の川をそのまま切り取ってきたかのような、無数の星屑の光で満たされていった。
派手さはない。荊くんの黒薔薇のような、圧倒的な力強さもない。
でも、その光は、ひどく、優しくて、温かかった。見ているだけで、心が、ほろりと解けていくような、不思議な光。
「わぁ……なに、これ……」
その光景に、足を止める人が、一人、また一人と増えていく。
最初に足を止めた女の子は、恐る恐る、私のブースに近づいてきた。
「あの、先輩……このお花、なんていう名前なんですか……?」
「『星屑の夜想花』っていうの。人の、安らかな心に反応して、光を灯すのよ」
私が微笑みかけると、女の子は、ほっとしたように、花の光に見入った。
その時だった。メイン会場の方から、ふらふらとした足取りで、顔色の悪い上級生がやってきた。彼は、荊くんの展示を見て、気分が悪くなってしまったようだった。
「う……頭が……」
「だ、大丈夫ですか!?」
私が声をかけると、彼は、私のブースから溢れる、星屑の光に気づいた。そして、まるで吸い寄せられるように、その光の中へと足を踏み入れる。
「……あれ……?」
彼は、不思議そうに、自分のこめかみを押さえた。
「なんだ……? さっきまで、あんなにズキズキしてた頭痛が……治まってきた……?」
その一言が、呼び水になった。
「本当だ! 私も、なんだか気分が良くなってきたかも!」
「この光……すごく、心が落ち着く……」
「さっきまで、イライラしてたのが、嘘みたい……」
メイン会場の、強すぎるマナの渦に疲れた人々が、私のブースの、穏やかで優しい光に癒しを求めて、次々と集まってきた。それは、まるで、都会の喧騒から逃れて、静かなプラネタリウムにやってきたみたいだった。
私のブースは、いつの間にか、黒山の人だかりになっていた。
みんな、うっとりとした表情で、私が咲かせ続ける、無数の星の光に見入っている。
「すごいわ……。こんな魔法、初めて見た……」
「派手じゃないけど……心に、直接響いてくるみたい……」
その光景を、遠巻きに見ていた先生たちや、他の生徒たちが、信じられない、といった表情で、囁き合っているのが見えた。
「おい、あれ……本当に、あの小鳥遊さんか……?」
「ああ……間違いない。信じられん……あんな、か細いマナしか持たなかったあの子が、これほどまでに、人の心を癒す光を生み出すなんて……」
賞賛と、驚きの声。
今まで、ずっと向けられてきた、嘲笑と侮蔑の視線とは、まったく違う。
胸の奥が、熱くなる。嬉しくて、泣きそうになるのを、必死でこらえた。
(見てる、ルキ? 私、やったよ……!)
私たちの力が、みんなに届いてるよ!
◇
もちろん、この騒ぎが、メイン会場の主たちの耳に入らないはずがなかった。
綾小路 麗華さんは、報告を聞いて、わなわなと唇を震わせた。
「そ、そんな……ありえませんわ! あの落ちこぼれが、黒崎様の展示より、人を集めているですって!? 何かの間違いですわ!」
彼女は、悔しそうにハンカチを噛み締める。
しかし、その隣に立つ黒崎荊くんは、余裕の表情を崩さなかった。彼は、ただ静かに、私のいる会場の隅へと視線を向けると、その美しい唇に、ぞっとするほど冷たい笑みを浮かべた。
「……いい余興だ。存分に、その小さな光の奇跡とやらを、楽しませてもらった」
彼は、ゆっくりと、中央に鎮座する『夜皇の薔薇』へと歩み寄る。
「だが、それも、ここまでだ」
荊くんが、その白く、綺麗な指先を、黒薔薇のオブジェに、そっとかざした。
「さあ、始めようか。本当の、宴を」
ゴオオオオオオッッ!!
その瞬間、黒薔薇のオブジェが、地響きのような咆哮を上げた。そして、今までとは比べ物にならないほど、禍々しく、強力な闇のマナを、周囲一帯に、解き放ったのだ!
「きゃあああああっ!」
「な、何が起こったの!?」
会場のあちこちで、悲鳴が上がる。
黒薔薇は、まるで巨大な掃除機のように、会場中のマナを、強制的に、根こそぎ吸い上げ始めた。生徒たちが大切に育てた、色とりどりの展示植物たちが、そのマナを奪われ、急速に、見るも無残に萎れていく。
そして、その魔の手は、人間にも及んだ。
「う……あ……」
「からだに、力が……入らない……」
マナを吸い取られた生徒たちが、次々と、その場にばたばたと倒れていく。楽しいはずだった収穫祭は、一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わってしまった。
「くっ……!」
その、あまりにも強力なマナの吸引力に、私も、立っているのがやっとだった。体中の力が、ぐんぐんと奪われていく。咲き誇っていた『星屑の夜想花』の光も、急速に弱まっていくのがわかった。
(ルキ……!)
私は、必死に、彼との共鳴を保とうとする。でも、その時。
ぐっ……!
私の脳裏に、今まで感じたことのない、鋭い痛みが走った。
それは、私の痛みじゃない。ルキの、痛みだ。
『ぐ……あ……っ!』
脳内に直接響いてきた、彼の、苦痛に満ちた声。そして、見えた。温室で、胸を押さえて、その場に膝をつく、彼の姿が。
荊くんの黒薔薇が、狙いを定めていたのは、学園のマナだけじゃなかった。
私とルキを繋ぐ、『共鳴』のルート。その繋がりを逆流して、ルキの核である、光の力を、直接、吸い上げ始めていたのだ。
「まさか……! 私との繋がりが、ルキを……!?」
ぞっと、血の気が引いた。
集まった観客たちが、「どうしたんだ?」「光が、消えていく……」と不安げに見守る中、私は、ただ、愕然と立ち尽くす。
『お前は、アイツにとっての毒だ』
荊くんの、あの呪いの言葉が、雷鳴のように、頭の中に蘇る。
違う、そう信じたかった。私は、彼の『薬』になれるんだって、そう信じて、ここまで来たのに。
結局、私は、自分の手で、彼を、最悪の危機に、追いやってしまった。
最悪の形で、荊くんの言葉が、現実になろうとしていた。
私の生み出した小さな奇跡が、引き金となって、本当の絶望の宴が、今、幕を開けてしまったのだ。
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