第五話:異変

ギルドの控え室には、仄暗い午後の光が差し込んでいた。

 静けさというより、気まずさ。じっとりと重たい空気が部屋を包んでいる。


「……バルト。薬、まだかよ。出血死しちまうっての。早く持ってこいよ」


 鼻に詰め物をし、頬を腫らしたキッシュが呻くような声で呟いた。


「……いやだ」


 バルトは頬を膨らませて椅子に座り、腕を組んだまま顔を背ける。


「なんで俺が持ってかなきゃなんねぇんだよ。ミラちゃんを泣かしやがって……!」


「お前なぁ……」


 キッシュは眉をひそめたが、深く息を吐いて、だらしなく椅子に背を預けた。


「……まあ、強行手段に出れば、居場所のひとつやふたつ吐くかと思ってよ。悪かったって、新入りには申し訳なかったって言ってんだろ」


 ちらとバルトに目を向けながら続ける。


「でもよ、お前だって後ろでウジウジ、ウジウジしてたじゃねぇか。止めると思ってたんだよ、兄貴分の俺が怒鳴る前にさ。そしたら、この見かけ倒しの筋肉野郎が動かねぇもんだからよ!」


「キッシュの兄貴! 俺は『話し合いに行く』って聞いてたんだぞ!? ……それに、俺だって、ああすればハルさんたちの居場所がわかるかもって、ほんのちょっとだけ期待しちまったんだよ!」


 言葉が詰まり、バルトは唇を噛む。


「でもさ……俺は一つ、ダサいと思ったよ。新人のミラちゃんを泣かせやがって!」


「……わかってるよ、そんなことは!」


 キッシュの声が一瞬、怒鳴り声になったが、すぐにトーンが落ちた。


「……だけどよ。もう何日も経ってるんだ。連絡もねぇ。救援に向かった連中からも、反応なし。クランマスターが行方不明になって……それでもギルドは『調査中』の一点張りだ」


 拳を握ったまま、膝の上に置いた手を見つめる。


「新入りを怒鳴ったら……ひょっとしたら口を滑らすかもって。進展がないなら、何か仕掛けなきゃと思ったんだよ。……悪かったって、思ってるよ」


「なら、謝れよ」


「言っただろ、さっき。……悪かったって」


「直接だよ! ミラちゃんに!」


 バルトが拳を震わせて立ち上がる。明らかに感情が入りすぎていた。


 その様子に、別の声が割って入った。


「なぁ? 丸聞こえだぞ。惚れてるなら、間に入った方が良かったんじゃねぇか? 理不尽に怒鳴られてるのを助けて、恩売った方が効き目あったろ、その話」


 反対側のソファに寝転んでいたアルケインが、目を開けずにぼそりと呟いた。


「ち、ちちち違う! ちげぇし!」


 バルトが慌てて否定するが、言い訳は思いつかない。


「だろ? あんたも思うよな?」


 キッシュがアルケインに視線を向ける。


「だからチャンスやったのに、裏でネチネチ言いやがってよ。ほんと、お前は見かけ倒しなんだよ」


「う、うるせぇ!」


 バルトが顔を真っ赤にして怒鳴り、キッシュはケラケラと笑った。


 ようやく上体を起こしたアルケインが、ソファに座り直す。


「まあまあ。仲良いな、あんたら。こういうの、嫌いじゃない」


「そういや、自己紹介まだだったな」


 キッシュが鼻をつまみながら言う。


「俺はキッシュ。魔弓使いで〈ゴールド〉のAランク。……まあ、すまんが、両足が義足でな。長時間の戦闘は厳しい」


「こっちはバルト。戦士で〈シルバー〉のBランク……最近昇格したばっかだ」


「ん、俺はアルでいい。冒険者ランク銅〈カッパー〉、Eだ。今日登録してきたばかりだな」


「はぁ!? ふざけんなよ!」


 バルトが立ち上がりかけ、椅子を軋ませた。


「こっちはSランクのメンバーすら揃わなくて出発できなかった依頼だぞ! なんで見習いが……!」


「まあ、傭兵ランクなら〈プラチナ〉のS3ってとこだ」


「まじかよ……そんな凄腕が来てたなんて聞いてねぇぞ……」


 キッシュが呆れ半分、納得半分の口調で言ったとき、控え室の扉が音もなく開いた。


「昨日の夜来たばっかだからな」


 アルケインが落ち着いた声で応じる。


「……ずいぶんと賑やかね」


 フードを深く被った女性が姿を現す。

 静かな瞳と凛とした声。場の空気が一段階、引き締まる。


「ラウネ・ヴェッサよ。……でもね。申し訳ないけど、依頼の件は断りたいと思ってるの」


「待て待て、ギルドはあんたが受けるって話だからここに呼んだんだぞ? 何を言ってんだ」


 キッシュが露骨に機嫌を悪くし、語気を強める。


「ええ、昨日まではそのつもりだった。……でも、今朝うちの仲間から連絡があったの。あんたたちが向かう地域は、今は近づくなって」


「空にはワイバーンが馬鹿みたいに飛んでるらしいわ」


 さらにラウネは淡々と続ける。


「それに——仲間内の配達員が偵察に行って、1人戻ってこない。20年以上のベテランよ。それでも戻らないってことは、ただ事じゃないってこと」


「おいおい……商人の護衛依頼だろ? 何が起きてんだ……そんな状況じゃ、ハルさんたちは……」


 バルトが顔をしかめ、頭を抱える。


「…それが今朝の話なら、まだチャンスはあるんじゃないか? 何も起きてなければ、そんな集団が現れるか?」


 アルケインが静かに言う。


「まぁ、あんたらがラウネを納得させられるなら、俺は手を貸してやるよ」


 その一言に、キッシュは一度ラウネを見やり、深く息を吐いて、真剣な顔で彼女との交渉に入っていくのだった。



門前には、手際よく荷が並べられていた。

 

フォルは最後の一つをトランクに収めると、背後から声をかけられる。


「おい、フォル。お前、久しぶりだな? もう荷運びはしてくれないのかと思ってたぞ」


 声の主は、昔フォルが補給品の搬入をしていた頃に顔を合わせていたギルド職員だった。控え室の一角には古びた掲示板と剥がれかけた地図、埃を被った盾や剣が無造作に置かれている。年月を感じさせるその空間で、フォルは微笑んで応じた。


「まぁな……。俺がこればっかやってると、新人の仕事が減っちまうからな。報酬も良いし、駆け出しの頃はこの依頼でなんとか食いつないでたんだ」


「ははっ! すっかりベテランだなぁ。昔はあんなに小さかったのによぉ!」


「お前、俺より十は下だろ! 何言ってんだ」


 くだけた空気が流れる中、ミスティアとアリアは積荷の目録を確認していた。


「はぁ……思ったより多いじゃん。これって、シェルターごとに搬入ってこと? やだなぁ……面倒くさい」


「アリア? 文句言わないの。私たち、シェルターの場所も知らないし、お世話になる日が来るかもしれないでしょ」


 ミスティアが軽くたしなめるが、アリアはぶすっとした顔で視線を逸らす。


 そんな二人の間で、ひとつのトランクが注目を集めていた。ミスティアが不思議そうにトランクを見つめる。


「これ……中に空間があるんですよね? でも、壊れたりしないですよね……?」


「おう、それは点検済みだ。特殊加工が施されてて、ジャマーも効かねえ優れモンだぜ」


 ギルド職員はにこやかに答える。


「ただな、どっかの馬鹿な商人が空間設定ミスって、人が消えたり、中の荷が消し飛んだことがあるって噂もあるけどな?」


 ミスティアの顔が引きつる。すると、横からフォルが苦笑いで口を挟む。


「あのなぁ……新人を脅かすのはやめとけって。この街じゃ今のところ、そんな事故は起きてないよ」


 ハクが搬入中のトランクを見下ろしながら、どこか遠い目をして呟いた。


「……昔さぁ、俺このトランクに寝袋仕込んで昼寝してたんだよ。ギルドの奴が気づかず蓋閉めちまってな? 密閉空間で二時間。気づいた時には、酸欠で天井がパレードしてた。あれが……俺のエリート人生の始まりだったな」


 沈黙。


 アリアが即座に吐き捨てるように言い放つ。


「どこがエリートよ。てか、昔から頭おかしかったの、酸欠のせいにするなよ!」


「おいおい! ちょっとは労われよ!?」


 ハクが肩をすくめながら振り返ると、今度はフォルがトランクの上からちらりと視線を落とした。


「……いや、酸欠で脳に影響出たってんなら、説明つくな。納得だわ」


「なあ!? あんたもだいぶ毒舌じゃね?」


「根拠ある自己分析って、ええと思うで?」


 フォルが軽く笑い、ミスティアは口元を押さえてぷっと吹き出した。


 森の奥で一つ目のシェルターに到着する。木々に紛れるようにして設置された小さな建屋は、外壁が樹皮に似せて塗装され、扉の縁には魔力焦げの跡が残っていた。


「これ……どうやって開けるの?」


 アリアが眉をひそめると、フォルは首から下げたタグを取り出し、扉脇の小さな石板にかざす。


「タグをかざせば、こんな感じで」


 キィィ……という反応音とともに扉がわずかに浮き、隙間ができる。


 中は冷んやりとしており、薬品とわずかな金属臭が漂っていた。整然と並ぶ棚には、医薬品や保存食、魔法道具などが規則的に収納されている。


「すごい……確かにこれなら、危険なときに身を守れますね」


「じゃあ説明するで。ここの棚が医薬品。こっちが魔石と補給糧。緊急時に使ったら必ずギルドへ報告。で、万が一……危険な同業者に襲われた時のことも考えとくんや」


 フォルの声には、かつて補給員として現場を支えていた重みがあった。


それからほどなく5つ目のシェルターに差し掛かった時に事態は急変する


「早く終わらせるよ!」


 アリアが楽しげにタグをかざそうとしたとき、ハクの動きがふと止まった。

 いつもより目を細め、足元の地面にしゃがみ込む。


「……赤いな。乾いてない。」


 その声には、先ほどまでの軽口の気配がない。


 冗談を挟まないハクに、空気が一変した。フォルも即座に武器を構える。


「血だ。……乾いてない。たぶん、そう経ってない」


 しゃがみ込んだハクが指先で地面の染みをなぞりながら呟く。


 フォルはすぐさま腰の武器に手をかけ、ミスティアとアリアをかばうように一歩前へ出た。


「……俺が入る。ハクは、周囲の見張りを頼む。ミスティア、アリアは外で待機を」


 低く落ち着いた声に、全員が無言で頷いた。

 フォルは慎重にタグをかざし、シェルターの扉を開く。冷たい空気が漏れ出し、薬品と血の匂いが混ざって鼻を突く。


「……!」


 扉の隙間から、ミスティアが中の異変に気づく。


「あ……中に、人が倒れてます!」


  フォルが即座に踏み込み、倒れている人物に駆け寄った。

 肩をそっと揺すると、男は小さく呻き声を漏らす。


「……脈はある。浅いけど、生きてるな」


 胸元に手を当てたフォルの表情が、わずかに緩む。

 だが、次の瞬間には既に視線を周囲へ移し、気を緩めることなく次の手を考えていた。


 その背後では、ミスティアとアリアが素早く応急キットを取り出していた。

 息を切らすこともなく、二人の動きは無駄がない。見た目よりもずっと鍛えられているのが分かる。


「外傷は少ないです。骨折もなし、出血もわずか……魔力の枯渇と衰弱ですね。かなり長い間、ろくに回復も受けられずにいたと思います」


 ミスティアが額の汗を拭いながら判断を告げる。


 フォルは頷くと、地図を広げて小声で呟いた。


「街まで戻るのは遠すぎるな……。このあたりなら、確か、巡回用の簡易拠点があったはず。古いけど最低限の医療設備はある」


「よし、私が運ぶよ。……これでしょ?」


 アリアが言うやいなや、トランクから浮遊石付きの簡易担架を引き出す。

 金属フレームが軽く鳴ると、淡く浮かび上がるように地面から少し浮遊した。


「三時間は浮いてるって聞いたし、予備の魔力バッテリーもある。これなら、負担も少ないし、私が歩いて運べる」


 力強いその言葉に、ミスティアも静かに頷いた。


「じゃあ、私は先に巡回拠点までのルートを下見してきます。……もし他に何かあっても対応できるように」


 その瞬間、何かが張り詰めたような空気が走る。


「……なあ、フォル。ちょっと、妙じゃないか?」


 いつもの調子とは違い、ハクの声には硬さがあった。

 彼はしゃがみ込み、手元の血痕を指でなぞっている。


「何がだ?」


「この男……生きてたのは良いんだけど。でもさ、ここまで這ってきた跡がない。引きずった痕も、足跡も。なのに、ドアも少し開いていた。襲われたなら普通は死んでる。」


 言われてみれば、確かに不自然だった。

 倒れていた位置はシェルターの奥寄りで、出入り口とは明らかに距離がある。

 扉の隙間、周囲の血痕、倒れていた姿勢。どれも辻褄が合わない。


「中の血も不自然に少ない。むしろ外の土の方が赤かった。……あれ、誰のだ?」


「怪我は浅いしな、みた感じ。誰かが運んできたか……。もしくは、ここで別の誰かが一緒に居たか」


 フォルが思わず周囲へ視線を走らせる。


「……巡回拠点の連中はシェルターの確認してるはずだよな? 」


 ハクの声は低いままだ。

 いつもの軽口はすっかり消えて、目だけが鋭く細められていた。



 森の空はまだ青く、鳥も鳴いている。だが、耳に届く音がどれも遠く、肌に感じる風は、昼間にしては冷たすぎた。


 静かな恐怖が、胸の奥でじんわりと拡がっていく。






──あとがき──


※本作は一部にAI支援による描写補助を含みます(戦闘描写・用語の検証・構成整理など)。執筆・編集・全体設計は作者本人が責任をもって行っており、AIは補助的な道具として活用されています。


 

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