第四話
「月雲朔、幻術師本部の上級会議で貴殿の拘束命令が出た。雨宮家令嬢殺害にまつわる案件で、貴殿を取り調べる。至急本部に出頭せよ」
彼より二回りは年上の体格のいい男性が、物々しく宣言する。応接間の空気が一気に張り詰めた。慌てたように、桜木さまが口を開く。
「馬鹿げてる。月雲がどれだけ帝都の死神にまつわる事件に貢献しているか……!」
「雨宮とは因縁があるそうだな。調べなければならない。帝都の死神は強大な力を持つ幻術師だ。そう……月雲のような」
屈強な男性がふたり、彼の腕を拘束する。彼は努めて冷静に彼の拘束命令を宣言した幻術師を見つめた。
「それは……誰の発案です」
焦りを思わせない、静かな声だった。中年の幻術師は、彼の視線に耐えられないとでもいうように、ふい、と視線を逸らす。
「議長直々のご命令だ。心苦しいが……従ってもらうほかあるまい」
「議長が……? 馬鹿な……」
彼の瞳が揺らぐ。まるで筋が通らないことを聞かされたかのような戸惑いを見せていた。
わたしもいても立ってもいられず、思わず朔のもとへ駆け寄り、彼の前に立ちはだかる。
「雨宮さまが攫われたのはふた月前だと新聞で読みました。そのころ月雲は兄の療養のために、浅海家の本邸に滞在していたのです。ですから……これは何かの間違いです!」
彼に帝都の死神の嫌疑がかけられるなんて冗談じゃない。それこそ、朧さんとよく似ているせいで、濡れ衣を着せられそうになっているのではないだろうか。
「……調べればすぐに疑いは晴れるはずだ。これは月雲を完全に信用するための拘束なのだよ、夫人」
確かにこの男性といい、後ろに引き連れている部下らしき幻術師たちといい、朔を必ず捕らえてやる、というような気迫に満ちている者はいない。おそらく上層部の命令に従っているだけなのだ。
「なんだよ、散々月雲に頼っておいてこの仕打ち……月雲、さっさと行ってやましいところはないって証明してこよう」
桜木さまは憤りをあらわにしながら、彼の肩を叩いた。彼はずっと浮かない表情だ。
「本部までは幻術封じの腕輪をつけてもらう」
中年の男性が、重そうな金属でできた腕輪を取り出す。ほとんど手錠と言っても差し障りがないような代物だ。
「なんでそんなもの……」
動揺をあらわにして、朔は中年の幻術師を見上げた。その隣で桜木さまも抗議の声を上げる。
「月雲を罪人扱いする気かよ! やりすぎだって!」
「我々だってそう思っている。だが……議長直々のご命令だ」
中年の男性は、やりきれないとでも言うように嘆いた。そのまま朔の両脇に立っていた男性たちが、無理やり彼に腕輪を嵌めようとする。金属の輪が、彼の肌に触れた。
「やだ……! やめて!」
彼に、手錠がはめられるところなんて見たくない。咄嗟に止めようとしたところで、ふいに、彼に触れていた屈強な男性ふたりがぱたりと倒れてしまった。金属の輪が、くるくると床の上で回る。
「……っ月雲を捕えろ!」
中年の男性の言葉を無視して、彼は素早く身を翻し、わたしの腕を掴んだ。桜木さまは驚いたように彼の後を追いつつ、幻術師たちの足止めをしている。
「そこまでするか!? 月雲! 事情聴取ぐらい応じてやればいいのに!」
「それどころじゃない! 足止めは任せた」
「ひどいよ月雲、俺まで謀反人にしないでよ……!」
口ではそんな泣き言を言いながらも、桜木さまは数名の幻術師を相手にすさまじい速度で応戦していた。その戦いぶりを詳しく見る間もなく、朔に腕を引っ張られながら走り続ける。
「朔、どうしたの、急に……!」
「何かがおかしい。議長がぼくを捕えるように命じて、幻術封じの腕輪まで用意するなんてありえません。……もうここにはいられない、逃げますよ」
時折足がもつれそうになりながらも、必死に彼についていく。彼はまっすぐに玄関広間へ向かっているようだった。
「っ……」
だが、玄関広間まであとまもなく、と言うところで彼は足を止めてしまう。そこに、見慣れぬ人影を認めたからだ。
すらりと背の高い青年だった。和服姿で黒い羽織を羽織っている。細い金属の縁がついた眼鏡をしていて、その奥にある瞳は柔和に細められていた。
「久しぶりだね、朔くん」
そのひとは、生まれてこの方悪意になど触れたことがないとでも言うような、透き通った笑みを見せた。
「会いたかったよ」
朔に、不気味なくらいによく似た顔で。
「あ……」
紹介されずとも、わかってしまった。
このひとこそがきっと、行方不明だった彼の叔父さま――朧さんなのだ。
「……お久しぶりです、叔父上」
絞り出すような、苦しげな声だった。わたしの腕を掴む指先が震えている。
「ぼくだけを弾く結界を張るなんて、どう言うつもりなんだろう。おかげで帰ってくるのもひと苦労だったよ」
心底悲しそうに、朧さんは肩を縮めた。まるで本当にこちらが悪いことをしているような気分になってしまう。まるで、彼の一挙手一投足に幻術がかかっているかのような心地だった。
「悪い死神を家に入れたくないと思うのは当然でしょう。……ぼくに拘束命令を出したのはあなたですね。わざわざ議長に化けて、幻術封じの腕輪まで用意させたんですか」
「どうしてもお家に帰りたかったからね。結局はめてくれないから、腕輪がきみの肌に触れたあの一瞬で乗り込むことになっちゃったよ。久しぶりに頑張ったなあ」
「相変わらず、化け物ですね……」
彼は吐き捨てるように笑いながら、時々ちらりとあたりの様子を確認していた。おそらく、退路を探しているのだ。朧さんが目の前に立ちはだかっている以上、正門は使えない。背後では彼を捕まえたい幻術師たちと桜木さんが戦っているから、その奥にある勝手口も使えない。玄関広間の奥からつながる階段を上っていちど二階へ上がり、温室へ繋がる階段を降りて外へ出るのがこの状況ではいちばん早いだろう。
「その可愛いお嬢さんが、朔くんの奥さん? 初めまして、朔の叔父の月雲朧です」
本当に、可愛い甥に会いに来ただけのような調子で、朧さんは穏やかに微笑んだ。一瞬、ただの顔合わせだったかと錯覚して挨拶してしまいそうになる。
「きみは、人魚の涙を流すお嬢さんなんだってね」
彼と色違いの漆黒の瞳に、揺らぐ光が宿っていた。興味とも執着とも取れるような、不気味な光だ。
「浅海千花さん。ぼくと一緒に、来てくれないかな」
名乗ってもいないのに、どうして、とは聞く気にもなれなかった。人魚の涙の情報をどこからか手に入れた時点で、名前も当然わかっているだろう。
「ご冗談を、叔父上。――お嬢さまはぼくの妻です。誰にも渡しません」
彼はわたしの前に立ちはだかるようにして庇ってくれた。わたしの腕を掴んでいた彼の手は、いつしかわたしの指先を握り込んでいる。
こんな状況でも、彼と手を繋いでいるだけで恐怖が薄れていくのだから不思議だ。わたしもそっと、彼の指先を握りしめた。
「朔くんと戦いたくはないなあ」
朧さんは、小さく息をつきながら微笑んだ。まるで駄々をこねる子どもを嗜めるような態度だ。
「ぼくも同じ気持ちです」
ぎゅ、と一際強く彼はわたしの指を握りしめた。叔父と対峙する葛藤を振り払おうとするように。
「まあ、でも、いつかはこんな日が来る気はしてたよ」
朧さんは寂しげに微笑むと、朔に向かって手を翳した。朔は、朧さんから視線を離さないままにわたしに耳打ちする。
「いちど二階へ上がって温室から逃げてください。幻術師の本部に行けば保護してくれます」
「あなたは――?」
その問いは、突如襲った突風によって遮られてしまった。ものすごい風圧だと思ったが、周りを見て唖然とする。調度品や絵画が潰れていた。これでも朔とわたしの周りだけ守られていたのだ。
「お早く。必ずお迎えにあがりますから」
そう言いながら朔も朧さんに向かって手をかざす。とたんに朧さんの周りの壁がざくざくと細切りに削れてあたりに舞った。もはや、わたしが手を出せるような状況ではない。
「千花さま、こちらへ」
近くの部屋に身を潜めていたらしいすずさんが、わたしの手を取って走り出す。朧さんの視線を感じたが、階段を駆け上がるわたしたちに危害が及ぶことはなかった。おそらく朔がすべて受けてくれているのだ。
すずさんとともに二階の廊下を駆け出すと、途中で兄さまが合流した。手には女中用の藤色の着物を持っている。
「兄さま……!? お部屋から出ては危ないわ」
「ぼくも時間を稼ぐ。きみは可能なら途中でこれに着替えるんだ。動きやすいし、気休め程度だろうが相手を惑わせる。彼女にはきみの着物を着てもらう」
兄さまはすずさんに目配せした。有無を言わせぬ視線だったが、すずさんは大きく頷いて胸を張ってみせた。
「おまかせください、千花さまのふりをしてみせます」
「急いで。温室では瀬戸が待っているはずだ」
ふたりを置いていきたくなかったが、議論している時間がないことはわかっていた。こくりと頷いて、藤色の着物を肩に羽織って駆け出す。
温室には二階の南の端の廊下から階段で降りられるようになっていた。途中で一階にある屋敷と温室の連絡通路につながる仕組みだ。そこを目指して、夢中で駆け降りた。
だが、その瞬間、地面が割れるような衝撃を受ける。階段に差し掛かったところで、ぐるぐると視界が回転し、何やら瓦礫がばらばらと崩れ落ちてきた。
はっと気がついたときには、あたりに土埃が舞っていた。
屋敷内の二箇所で戦闘が行われているはずだというのに、不気味なくらいに静かだった。体の上に乗った重たい調度品のかけらや壊れた壁の一部の間からなんとか這い出る。どうやら、温室へつながる階段を爆破されたようだった。
「う……」
頭を打ったのか、体を動かすと視界が揺らいだ。鈍い痛みを感じて左のこめかみに手を当てると、べったりと赤黒い血が付着する。わずかにべたついて変色したそれは、たった今流れた血というよりは、すこし時間が経ったもののように見えた。気を失っていたのは一瞬のことと思っていたが、わたしが思っているよりも時間が経っているのかもしれない。
先に進めなくなってしまったため、やむを得ず元来た道を戻る。ふらふらと足もとがおぼつかない。
爆破されたのは温室へつながる階段だけのようで、廊下は怖いくらいに整然としていた。その中で、点々と滴る赤い血だけが不気味だ。それは、わたしの部屋から続いているようだった。
胸騒ぎに駆られ、思わず扉を開く。扉は完全には閉められておらず、軋んだ音を立てて開いた。
柔らかな絨毯の上には、力なく横たわる兄さまと、わたしの着物を着たすずさん、りんさんの姿があった。
「っ……そ、んな……」
絨毯の上に、誰のものともしれぬ赤黒い血が広がっていく。微かに胸は上下しているが、三人とも虫の息だ。
「いや……いや!」
出血している箇所を見つけようにも、三人とも着物が血まみれでまるで見当がつかない。ぼろぼろと泣きじゃくりながら、血でべたつく着物を必死にはいだ。
「いや……! 死なないで、兄さま、りんさん、すずさん……!」
出血している箇所を見つけたところで、わたしには押さえることしかできない。手はふたつしかないから、三人ともは同時に押さえられない。そもそも、屋敷内は今どういう状況だろう。圧迫止血をしている間に、助けは来るのだろうか。
「お嬢さま!」
絶望に蝕まれはじめたとき、ふと、背後から救いの声が響いた。
ぐちゃぐちゃに歪んだ視界の中に、土埃と血に塗れた姿の彼が現れる。ひどく焦った様子で、わたしを見つめていた。
「ここにいらっしゃったのですね……よかった……」
がくりと項垂れるようにして彼は床に膝をつき、わたしの肩に手を添えた。
よかった、彼が来てくれた。安堵で涙が止まらなくなる。
「朔! 朔、助けて……! 兄さまが、すずさんとりんさんが……!」
朧さんはどうなったのかと聞くより先に、叫ぶように懇願する。彼の腕が、安心させるようにそっとわたしを引き寄せた。
「恐ろしい思いをしましたね。……もう大丈夫ですよ、さあ、こちらへ」
彼に引き寄せられるようにして、その場に立たされる。彼は横たわる三人に背を向けると、わたしの肩を抱いて歩き始めた。
「待って、朔、治療は――」
痛いほどに彼の腕に拘束されたまま、彼の顔を見上げる。ふわり、と品のよい甘い香りがした。
知らない香りだ。包まれるだけで眠くなってしまうような、あの安心する香りがしない。
どくり、と心臓が跳ねる。
透き通るようなこの甘い香りは、きっと沈丁花だ。それに思い至ると同時に彼の腕から逃れようと体を捻ったが、一歩遅かった。長い腕がお腹の前に回され、がっちりと固定されてしまう。
「っ……離してください! あなた、朧さんでしょう……!」
「よくわかったね、愛されてるなあ、朔くんは」
いつか朔が警戒していた通り、朧さんは瞳の色まで変えてきた。議長さんとやらに丸ごと化けていたくらいなのだから、これくらい大したことではないのかもしれない。きっと、兄さまたちの怪我に動揺している隙を狙って接触してきたのだろう。もっと、警戒するべきだった。
「行こうか、千花さん。ご案内するよ。きみだけの特別な場所へ」
引きずられるようにして廊下に出る。怖いくらいの静寂の中で、動いているのはわたしたちだけだった。
……朔は? 桜木さまは? 他の幻術師のみなさんはどうなったの?
「せっかくだから最後にみんなに会っておく? お話はできないけれどね」
くすくすと笑いながら、朧さんはわたしを抱き上げて階下へ降りた。
主に朔と朧さんが戦っていたであろう玄関広間はもはや原型をとどめていない。壁は至る所に穴が開き、外や隣の部屋が見えていた。骨組みがあらわになっている部分もある。
その広間の中央に、がれきとともにぐったりと力なく倒れ込む朔の姿があった。そばには桜木さまの姿もあり、同じように床に手足を投げ出している。
「いや……! 朔! 朔!」
朧さんの腕の上から必死に叫ぶが、彼の体はぴくりともしなかった。彼の黒い外套は妙に濡れてるように見えて、それがすべて彼の血だと理解するのに数秒かかってしまった。
「あ……」
あんなに出血して、助かるのだろうか。心は追いついていないのに、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちて真珠に変わっていく。これはきっと、絶望の涙だ。
「ああ、もったいない、貴重な涙なのに……。早く戻ろうか。そこでなら、存分に泣いていいからね」
朧さんはわたしの目もとからぱらぱら散る涙を片手で受け止めながら、宥めるようにわたしの頭を撫でた。その仕草が悔しいほど朔に似ていて、吐きそうになる。
「朔! 朔!!」
力の限りで絶叫するも、ついに朧さんの手に口を塞がれてしまう。じたばたともがいたが、腕の力が想像以上に強く、びくともしない。
「大好きな朔くんとのお別れはできたかな? じゃあそろそろおやすみ」
朧さんは、先ほど初めて顔を合わせたときと何ら変わらず、穏やかだった。朧さんはきっと、心からの厚意で彼の変わり果てた姿を見せたのだ。
ぞわり、と肌が粟立つ。このひとは、わたしが知っている今までの誰とも違う。残酷を残酷だと知らずにやってのけるような、無垢な子どものような恐ろしさのあるひとだった。
……いや、朔、朔!
どろり、と思考が溶けていく。沈丁花の甘ったるい香りが、脳髄にまとわりつくようだった。
……朔、しんじゃいや。
涙がまたひと粒、大粒の真珠になって床に落ちていく。それはころころと転がって、床に倒れる朔の小指にこつんとぶつかった。
わたしが認識できたのは、そこまでだ。視界がふっと暗くなる。脱力した体をそっと受け止めるように、わたしにまとわりつく腕に力がこもった。
「よかった。これできっと、あの方は――」
朧さんが満ち足りた表情で何かを呟いたのを最後に、わたしは完全に意識を手放してしまった。
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