承29:松竹梅の印
「印とは、簡単に申し上げると帰還者が
より現世を頑張った人に与えられるご褒美の仕組み——。
瀬戸は先ほどそう言った。
「文字通り、高い順に松・竹・梅の三つが存在します。まあ細かい話より、まずは見ていただきましょう」
後ろ手に組み背筋を伸ばした瀬戸が、ゆっくりと歩き出した。ロッキングチェアに背を預けていた石津加が怪訝な表情で瀬戸を見やる。明らかに石津加の方へ近付いてきていたからだ。
「ああ?」
瀬戸は机を回り込み彼のそばに立つと、石津加が頭の後ろに組んでいた左手を掴み、そのまま書斎机に押し付けた。持っていかれた手首につられて石津加の体が書斎机を覆う格好になる。
「てめえ……何しやがる」
「サクラさん、こちらへ」
石津加の悪態を無視して向こうのソファに座る彼女にかけられる声。呼ばれた少女が書斎机へ近付くと、石津加は左手首がおさえられ手の甲が上を向いた形になっていた。
「これです——……『提示せよ』」
そう瀬戸が一言発した直後、石津加の無骨な左手の甲に刺青のような黒い絵が染み出すように浮かんだ。
現れたそのシルエットは竹。そして、壱という数字。
「石津加さんの印は、
「これが……印」
大きく松竹梅、さらに細かく十段階に分けられる印。サクラは浮かび上がったそれをまじまじと覗き込んだ。
「離せ。勝手に見んな」
すぐに瀬戸の手の中から左手を奪い返した石津加は、機嫌の悪そうな顔で彼を睨みつける。黒い絵は肌の中に沈み込むようにじわりと消えていった。瀬戸は気にする様もなく話を続ける。
「自分の意思か、あるいは私たちのような役所職員の呼びかけによって浮かび上がるようになっています。これ自体は帰還者同士で安易に身分の差別をすることがないようにとされた仕組みですが、同時に身分証明としても使われます」
人間は自分と身の回りに上下が分かるといざこざが起きかねない。いらぬ争いを未然に防ぐためだが、彼女には一つ引っ掛かることがあった。
「印を受けた後の生活支援の基本的な内容は、まず住居の提供。その他、役所の各種サービスの利用が可能になります。これはサクラさんが印を受ける時にも改めて説明されますが、今は『働かなくとも最低限生活するだけの生活が送れる』とだけ思っていただければ間違いありません」
これも、先人達が死後の世界の人間社会を培った功績だろうか。自分のような小さい子供にはありがたい仕組みだ。
しかし——、先の説明にあった『呼びかけ』と言いつつ強制のそれは、その手綱が役所にも握られていることにもなる。
生活支援も役所に大きく依存するところになる。改めて、頼れる大きな存在がいることへの安心感と、しかしここへ来てどこか言葉にしがたいものを覚えた。
大きな安心感のそばに落とす影。いったい、なんと言えば良いのだろうか。この時の彼女には言葉を見つけることができなかった。
「そして
よどみなく続けられる瀬戸の説明。サクラはかすかにひっかかったものを一度胸におさめて話の続きを聞くことにした。
サクラの身近なところでは、祖母の絹江も高位の印だろう。あの屋敷林に囲まれた一軒家はそれなりにあたる。
「そして、ここからがゴンドウ氏の話にもつながるのですが」
長々と喋ってきた瀬戸が一度言葉を区切る。
「
「アトラクト……」
「語源は『引き寄せる』。通常、近親者とは強い縁で結ばれ、転生後も肉体が変わろうとも近しいところで生まれ変わりやすくなります。それを引き寄せる力が、松が最も強く、すべての帰還者がとくに価値を見ている恩恵でもあります」
瀬戸は腕を伸ばして、見えない紐でも引き寄せるかのように空中を握り手繰り寄せてみせた。
実は生まれた時点で近親者とは前世も近しいところで縁が結ばれていると言う。家族、恋人、友人。しかし、生まれ変わって互いに近しい距離で再会できるかは運次第。その確率を大きく引き上げるのが、<
「大抵、生きた年数が長いほど印は高くなりやすくなっています。それは生きている間に積み上げた世評や、旅券による加点が単純に増えやすいからです。それでも最後の閻魔の裁判が終わるまでは分かりませんが、ゴンドウ氏も例に漏れず高位の印となるでしょう」
聞き込みをした印象でも、ゴンドウ氏は多くの人から賞賛される人物だった。そのことを世評と旅券が後押しするのだろう。加点だ減点だと言うのであれば、加点に間違いない。
しかしそれでも、陰で泣いている人がいるのもまた間違いはない。サクラの中では、あの彩の手紙に書かれていたことが強く印象に残っていた。
絵梨奈や彩のように胸を痛めている彼女たちを思うと、走馬灯厩舎室によって旅券からその『罪』が確かなモノであったと確証が見つかるのを願わずにはいられない。
「ずいぶん長く話し込んでしまいました。今日は、ゴンドウ氏が帰着したこともあって役所が忙しくなっているはずなので私もこの辺りで戻ります」
役所が忙しくなるとは。あんなワイドショーを騒がせていた当人が来たのだから、もしかすると一般の人より何か違うのかもしれない。
「今日の夕方には出るか?」
石津加の問いに、瀬戸は首を横に振った。
「厩舎室も大急ぎでしょうが、今日中に旅券を検査した結果が出るとは思えません。裏付けも同じく。何か分かったことがあれば、また明日うかがいます」
「わかった」
そうして朝の時間はそこで話を終えて(ほぼ一方的にサクラへの説明ばかりだったが)、瀬戸は役所へと向かうべくカフェを出て海沿いの坂を下っていった。
その後ろ姿をサクラは事務所の二階から見下ろして、彼の背中がカーブの先に消えていくのを眺めていた。
今できることは何も無い。ただ、求める正しき未来のためにやれることをやるだけだった。
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