承9:あの日から
彼女は戦時を生き抜き、戦後の復興を乗り越え、生涯にわたって生きた時間のほとんどを祖父とともに過ごし彼の仕事を陰から支えた。
小柄な
サクラの記憶にある祖母の最後の姿は、ベッドに横たわりながらも瞳に確かな光を宿して微笑む、まるで弱々しくも決して消えない灯火そのもの。
それは明日には消えてしまいそうで、それでいて明日も同じ光を見せてくれるのだろうとも思える、およそ一世紀を生き抜くに恥じない力強い芯があった。
◇◆◇
最期の別れからおよそ五年の時を経て、二人はここで再会を果たした。
「ほんによう来たねぇ、おなかはすいとらん? 何か食べるか?」
ひとしきり泣いたサクラは縁側で絹江のそばに座ると、改めて祖母の顔を見つめた。
最期のときよりはいくらか血色が良いように思われる。ここで一人暮らしができるほどなので、調子は悪くないのかもしれない。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
泣いたことで胸がいっぱいになっていたサクラは祖母のすすめを辞退した。それにこのあと事務所にも行かなくてはならない。あまり長い時間ここには居座れなかった。
「絹江おばあちゃん、もう体はだいじょうぶなの?」
「ええ、今はもうどこも痛くないよ」
「そっか……良かった」
祖母の死後、幾度となく『安らかに』というフレーズを聞いたし、幼い自分もその言葉をよくわからないまま口にしていた。現世での痛みをせめて死後まで持ち越すことがないようにと捧げた祈りの言葉。
祖母が辛い思いをしていたのではないと聞いたサクラは安堵した。しかし、絹江は少しばかり視線を落とすと開きかけた唇を震わせて何かを言い
何か、話すことを迷っているようにも見える。
「ただね、一応こっちでもしばらく病院には通ってたんよ。でもそれも治療が終わったから今はなんともないんだけど」
「えっ、病院?」
絹江の話によると、死を迎えるほどの強烈なインパクトは時として現世の痛みを引きずる人も中にはいるらしい。
病気の苦しみ、事故の痛み、あるいは死を覚悟するほど呑まれた
なんとなく、死と同時に生前の痛みはすぐに消えるものと思っていたサクラにその話は驚きだった。
痛みを抱えて渡った者はこちら側で医術を頼り、少しずつ現世の痛みを和らげ切り離す。絹江もそんな通院をする一人であった。
「ああでも、おばあちゃんの場合はそこまでひどい痛みがなかったんだけどね。お医者さんに診てもらってお薬をもらったら……痛みがなくなったのは…………そう、こっちへきて一〇年……くらいかしら」
負った痛みをずいぶんと昔のことのように話す祖母の笑みはぎこちない。優しい孫に心配をかけたくない祖母のためらいと、同時に何かを隠したい思いが語尾に絡みつく。嘘をつきたくない生来の人の良さが祖母の表情をわずかに歪めた。
サクラはその言葉にまざる明らかな違和感を見逃さなかった。胸がさざめきだす。
今の話は——、おかしい。
「えっ、えっ? じゅうねん? え? でも、おばあちゃん……」
サクラが絹江と現世で分かれたのが六歳の時。
死後の世界で再会した今の彼女が十一歳。
祖母の話す死後一〇年の経過というのは、おかしい。
二人が別れてから五年の月日しか経っていないはず。
「…………」
絹江は困った顔で孫に優しく微笑みかけた。少しばかり泣きそうにも見える。
だが、そんな祖母の沈黙がサクラの胸のざわめきをさらにかき立てる。
「ねえ、おばあちゃん。五年だよね? ただ間違えたんだよね? 一〇年も経ってないよね?」
サクラはさらに祖母に詰め寄った。そのとき、事務所で聞いた瀬戸の声がリフレインする。
——死後の船出から渡りの海に来て、そこから出迎え船で回収されるまでに年単位であくことがあります。今回のゴンドウ氏が亡くなったのは一〇年前なんですよ——
やはり、自分も死後から何年も……それこそ五年経過しているのではないか。
サクラの心臓が早鐘を鳴らす。高揚ではない。それは得体の知れないものへの恐怖、不安、焦りからくるもの。
「いいや…………」
祖母が重たい口を開いて出てきたのは否定の一言だった。瞬間、サクラはそれに安堵する。やはり祖母の勘違いなのだと。
しかし、次の言葉で彼女の期待は大きく裏切られた。
「今は二四二四年…………私たちが生きていた頃から、四〇〇年以上経っているのよ」
遠く耳鳴りが聞こえる。やがてサクラの世界から音が消えていった。
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