パートB
メトロリニアは都市国家制度の導入と合わせて提唱され、一世紀が経過しようとしている現在でも各国の繋がりを保つ大切な公共機関となっている。
また、ターミナルには様々な施設があり大型ショッピングモールとしての役割も果たしている。必然的に都市のターミナル周辺は栄えていることが多い。
一方、地方ターミナルは必要最低限の施設のみ設けられ、基本的にはメトロリニアに乗車する以外に利用することはないだろう。
事実、郊外区域を出て遥か北へと移動した先にある小さな駅は周囲を見渡す限り更地になっており、駅自体も無人で管理されている。
そんな小さな駅の中でメトロリニアの到着を待ちながら須衣は慣れない新品のスーツの襟元を正す。左手につけた高い値のつきそうな金属製の時計が微かに音を鳴らす。
これらの衣装はすべてアイズが用意したものだ。当人曰く、顔は冴えないがいかにもエリート社員といった容姿に須衣は適任らしく、この格好をさせられている。
普段は掛けない伊達眼鏡に違和感を覚えながら、その隣に座っているのはカレンへと視線を向けた。
カレンは須衣とは異なり、露出の多いドレスにブランド物のバッグを肩から下げ、慣れた様子で足を組んでベンチに座っている。
多機能ウィッグを被った彼女は金髪のロングヘアを後ろでまとめており、深紅のカラーコンタクトをつけている為、まるで別人のようだった。
恐らくカレンが変装していると知らなければ知り合いでさえも分からないだろう。特に普段の地味な格好をしている姿を見慣れている須衣にとっては、本当に同一人物なのか疑わしい程だった。
「……なに」
ただし、その態度だけですぐさまカレンだと判明してしまうが。
「いや、別に。まだ怒ってるのかなって」
彼女はここへ到着した時から既に不機嫌だった。
それもそのはずで、カレンにとっては何よりも大切なことの一つである、ルミの送り迎えをせずにここまでやってきたのだ。
ただでさえ常にご機嫌斜めなお姫様は、迂闊なことを言った途端に当たり散らされても不思議ではなかった。
しかし少しは機嫌がなおったのか、カレンは意外と冷静に返答する。
「……別に。仕事だから」
「そっか。ならいいんだけどさ」
須衣とカレンはあまり言葉を交わさない。必要がないとも言える。
二人は確かにドーラーとしてコンビであり、共に命を預け合う関係だが、お互いの考え方は一致しておらず、衝突することも多々ある。
それでも今日まで上手くやってこれたのはアイズという仲介役がいたからなのか、それともお互いが適度に距離を取っているからなのか。
「そろそろか……」
須衣は左手につけた腕時計ではなく、右手に立体投影されたデジタルホログラフィックディスプレイで時間を確認する。
駅の外へと視線を向けると一台のタクシーが白線で区切られた駅の駐車場に停まるのが見えた。そこから降りてきた三人の人物を見て、相変わらず時間ピッタリに行動していることを知り、思わず口元が緩んだ。
須衣は駅の入口から、タクシーを降りてこちらへと向かう三人へと手を小さく振る。三人組の女性は三者三様の格好をしており、非常に目立つと言える。
左から順に寒色のロングコートを着た背の高い黒髪セミロングの女性、頭のてっぺんがやや黒いままの茶髪でにこやかな笑みを浮かべる一番背の低い少女、そして薄いピンク色の長い癖っ毛が目を引くカレンと似たような露出の多いドレスを着る少女。
「あ、須衣くーん! お久しぶりー!」
最初に言葉を発したのは真ん中に立つ茶髪の少女だ。須衣の前で止まった少女は、そのスーツ姿を見て思わず吹き出す。
「全然似合わないよーそれ」
「仕方ないだろ……アイズが用意したんだから」
「でも須衣くんも元気そうで良かったー」
「……ルーシアこそ相変わらずみたいだな」
ルーシアと呼ばれた少女は頷いてみせる。するとピンク髪の少女がにっこりを笑みを浮かべながら、ルーシアに抱き着いて頬をスリスリと押し付けながら口を開いた。
「ルーちゃんもあたしも、お姉様も元気してたよぉ。ねー?」
「あ、こら……くすぐったいからやめてよー」
ルーシアに過剰とも言えるスキンシップをしている少女はウィーラという名前で、外見こそ若く見えるが、須衣よりも年上の立派な成人である。
癖っ毛が顔に当って辛そうにしているルーシアを気にせずスリスリし続けるウィーラへと、今まで黙っていた長身の女性が静かにたしなめる。
「任務前だぞ、ウィーラ」
「はぁい、お姉様」
お姉様と呼ばれたその女性は一歩前に出ると、須衣に右手を差し出す。
「今回は宜しく頼む」
「こちらこそ頼りにしてますよ、ナイトさん」
須衣は嬉しそうに握手を交わしながら、小さく頭を下げた。この三人こそが合同で任務に当たることになるドーラーたちであり、首都管轄第九班の面々である。
ナイトとウィーラが戦闘員で、ルーシアは二人の専属技師だ。元々は郊外区管轄に所属しており、須衣もその頃に面識があった。
血の繋がりこそないものの三人は実の家族のように仲が良く、アイズからはナイトを長女として次女のウィーラ、そして三女のルーシアといった具合に三姉妹と呼ばれることもある。
尤も、当人たちはその呼ばれ方を気に入っているようで、須衣もそう呼ぶことが多い。
「車両内で戦闘になる可能性も考慮し、アームド・フレームの捜索はそちらに一任して、我々はメトロリニアの乗客に紛れ込んでいると思われるブローカーの捜索に当たろうと思っている」
ナイトの言葉に頷いてみせたウィーラが、両手の人差し指で口の端を釣り上げて、無理矢理にニッコリと笑みをつくってみせながら同意する。
「いざという時の車両制圧はあたしたちにお任せくださぁい」
さらっと物騒な表現をするウィーラに須衣は苦笑いを浮かべながら、思い出したように尋ねる。
「そういえば……ルーシアはどうして一緒に?」
ナイトとウィーラの専属技師であるルーシアが今回の任務に同行する理由が須衣には思い浮かばない。
するとウィーラが真っ先にニヤニヤと含みのある表情を浮かべて、それに合わせるようにルーシアもまた笑って誤魔化す。
「実はちょっとアイズちゃんと悪巧みしてて、引きこもりのアイズちゃんの代わりに私が一緒に行くことにしたの」
「悪巧み……?」
首を傾げる須衣に同情するように、しかし具体的な内容は伏せたままナイトが補足する。
「その言い方は語弊があるだろう。ルーシアはどうにもならなくなった時の為の保険だ」
「はぁ……まぁそういうことなら」
敢えて細かい説明をしないのは恐らくアイズの差し金だろう。
彼女はサプライズを用意するのが大好きな人間だが、予め知っておかなければならないほどの重要な情報なら事前に説明するだろうし、少なくともマイナスになることはないと思いたい。
その時、遠くから地響きが聞こえてくる。
否、それは大型鉄道が駅へと到着しようとしている合図だった。気づけば席を立って隣まで歩み寄ってきていたカレンが、第九班の三人へと視線を向けている。
「あ、カレンちゃんだぁ」
ウィーラが嬉しそうに抱きつこうとするが、そっと手を前に突き出して妨害しながらカレンは須衣へと告げる。
「もうすぐ時間」
「わかってる、そろそろ気を引き締めていこう」
須衣は少しだけずり落ちていた伊達眼鏡のフレームを指で押し上げながら、改札へと足を向ける。その後ろをカレン、そして第九班の三人が続く。
改札に右手を近づけると
改札を過ぎると既にプラットホームが広がっており、メトロリニアの巨体を迎え入れられるように高い天井で建物が覆われている。
並べられた四つのレールの先に見える陰が徐々に駅へと近づいていくる。それは高層ビルが横に倒れているかと思うほど大きな列車であり、それこそが世界屈指の安全性と快適さを歌う公共機関メトロリニアである。
やがてシルバーの巨躯がプラットホームへと侵入し、速度を落として停止する。同時にメトロリニアの扉が開き、やや遅れてからプラットホーム側に設けられた扉も開け放たれる。
須衣たちが立っている場所は第四車両の前であり、一般乗客が自由に乗れる車両である。郊外区域からも離れた辺境の地で降車する客はおらず、須衣たちはスムーズに車両へと乗り込む。
複数人がすれ違うことが出来る程度には広い通路を抜けると一気に景色が広がり、いくつにも仕切られた客室が目の前に立ち並ぶ。客室の入り口にはモニターがついており、中に客がいるかどうかひと目で判別できるようになっている。
この車両はすべて自由席となっており、空いている客室ならば誰でも自由に利用することが出来る。
須衣たちは車両の中央にあった空いている客室を見つけるとそこへ入った。
内側は向かい合わせの座席の他に備え付けの二段ベッド、そして化粧室まで個室に完備されている。高級志向の車両は更に豪華なつくりとなっており、ホテルの一室のような客室になっているのだという。
須衣は全員が客室の中に入ってから扉をロックする。
同時にナイトが客室にいる五人へと目配せをしてから手短に指示を出す。
「この客室を拠点としてルーシアはここで車両内の情報収集を、私とウィーラは前方の車両へと向かう。須衣とカレンはまっすぐ最後尾の貨物車両を目指してくれ」
「周辺の客室は既にサーチを終えてるけど、銃火器や特殊合金反応は無いみたい」
席に着くなり目の前の空間にデジタルホログラフィックディスプレイを三枚広げたルーシアは、流暢な手つきで画面を操作していく。
A.A義体のようなライズテクノロジーによってつくられたものには、既存の金属よりも優れた特殊合金が使われていることが多く、反応を調べることでその筋の人間かどうか判別することが出来る。
無論、この技術そのものはドーラー管理局によって独占されている技術の一つで、逆に相手によってドーラーを探知されるということは無い。
「カレンちゃん、途中で怪しい人にすれ違っても襲い掛かっちゃだめだよぉ」
ウィーラのからかいの言葉に対して、カレンはむっとした表情を浮かべたまま無視して、身につけているドレスの肩紐を直している。
「時間制限は郊外区ターミナルに列車が到着するまでだ」
「では俺たちはもう行きます。ナイトさんたちも気をつけて」
「あぁ、そちらは頼んだ」
須衣の言葉にナイトが頷いてみせたのを確認してから、須衣は扉に手を掛ける。そしてロックを解除してからゆっくりと開く扉の隙間に身体を滑り込ませて外へと出た。
そのすぐ後ろをカレンが続き外に出ると通路に並んで立つ。第四車両の通路には人影は見当たらない。皆、もうすぐ着くトーキョウまで客室で過ごすつもりなのだろう。
後続車両へと歩き出そうとした須衣の腕をカレンは無言で掴むと、自らの細い腕を組んだ。
突然の行動に慌てる須衣を無理矢理引っ張りながら、カレンは勝手に歩き始めてしまう。
「ちょっと……!」
「スイは仕事の出来るビジネスマンで、アタシはその愛人。その方が違和感がない」
須衣の言葉を遮って、小声でカレンが耳打ちする。
「愛人って……」
「何かあったらアタシに合わせて」
「わかった」
潜入捜査の経験が無い須衣とは違い、慣れた様子でカレンは車両の中を進んでいく。
確かに須衣とカレンの衣装は一緒に歩くには些か身分の差を感じるものだ。アイズは最初からカレンの告げた設定のつもりで用意していたのだろうか。
第四車両の一番後ろには中層と上層へ登る為の階段と後ろの車両へ移動する為の扉がある。
中層や上層の方にブローカーやギャングの一味が乗車している可能性も否定しきれないが、須衣たちの目的はアームド・フレームを見つけ出すこと。
その為には最短ルートで最後尾まで向かうべきだろう。
自動で開く扉を抜けて第五車両へ。こちらの下層もまた第四車両と同じ造りになっており、通路は静けさが包まれている。カレンの先導によって通路を通り抜けそのまま第六車両へと足を踏み入れる。
それまでとは異なり、第六車両に入った須衣の前には開放的な空間が広がっていた。
開け放たれた空間にはパーティー会場のように丸いテーブルがいくつも置かれ、多種多様な格好をした乗客たちが、並んでいる様々な種類の料理を手にした皿に乗せていく。
「バイキング料理か……」
家族と一緒に食べ放題の店に入った思い出が須衣の脳裏をよぎる。
僅かに足が止まりかけた須衣の腕を、カレンはグイグイと引いて歩きながら第七車両へと続く扉を指差して口を開く。
「ねぇアタシあっちに行きたいなぁー洋服とか見て回ろうよぉー」
その言葉遣いに思わず表情を崩しかけながら、須衣は慌てて会話を合わせる。
「まったく……しょうがないな」
「ほら、いこいこー」
普段のカレンからは想像もつかないような甘い声に必死に笑いを噛み殺しながら、須衣はカレンに連れられてバイキング会場を後にする。
続いて入った第七車両はブランド物の看板がデカデカと掲げられた店が左右に立ち並んでいる。
客室の通路よりも若干幅の広くなった道を歩きながら、須衣は左右へと視線を向ける。
高級志向の店内に立ち並ぶ衣類と、それを手にとって鏡の前に立つ女性たち。
隣にいるカレンは時折足を止めては店頭に並んでいる様々なデザインの衣類を眺めて、まるで本当の客であるかのように物色しながら車両を進んでいく。
須衣の記憶が正しければこれより後ろの車両は富裕層向けの車両がいくつか続いた後に、貨物車両へと繋がっているはずだった。
しかし客室の前は問題なく通り抜けることが出来たとして、関係者以外は立ち入り禁止の貨物車両群へとどうやって入るべきか。
悩んでいる須衣とは対照的に、カレンは迷うことなく一般客を演じながら奥の車両へと進んでいく。
富裕層向けの車両は一般車両のように中央に通路があって左右に客室があるのではなく、右端を通路が伸びている形になっている。
それだけ一部屋が広く取られているようで、これらの客室を一体どんな金持ちが利用しているのだろうか。かつて最底辺のような暮らしをしていた須衣には想像もつかない。
そうしている間に車両の一番後ろへと辿り着いた須衣とカレンは貨物車両へと続く入り口に視線を向ける。
背後には他の客が通路にいないことを確認してから、二人はその扉へと近づいていくと、カレンがそっと手をかざす。
アイズがメトロリニア関係者から予め受け取っていたという当日限定の認証コードがU.C.Rを経由して扉に送られると、ややあってからロックが解除され扉がスライドして開いた。
顔を合わせて頷いた須衣とカレンは誰かに目撃される前に貨物車両へと忍び込む。一般車両とは違って中は薄暗く、防音処理も施されていないようで高速でレールの上を走る音が車両内に響き渡る。
そこにはコンテナがいくつも積み上げられており、お目当てのものがどこにあるのかは順番に確認していく必要がありそうだった。
「さて……どこにあるかな」
須衣がコンテナを眺めながら足を踏み出そうとした時、カレンがその手を引っ張った。
咄嗟に隣にあったコンテナの陰に倒れ込む形で引き込まれた須衣は悪態をつこうとして、その口を慌てて閉じる。
薄暗い中で微かに見えたカレンの表情は至って真面目なものであり、その理由はすぐに須衣にも理解出来た。
貨物車両の奥から足音が聞こえてくる。恐らく巡回している警備の人間だろう。
須衣が起き上がろうとするのをカレンが両肩を掴んだまま制止する。そして仰向けになった須衣の上に馬乗りになったカレンは人差し指を口元に当ててみせる。
無言のまま頷いた須衣は徐々に近づいてくる足音に注意しながら、上に乗ったままのカレンの左手がそっと須衣の胸元へを這う様子を見守る。
足音に合わせてゆっくりと顔を近づけたカレンは、視線を警備員が来る方向へと向けたまま、その唇を不意に――須衣のそれへと重ねた。
須衣が思わず目を見開くのを無視したまま、カレンは何度も接吻を続ける。
それは触れる程度の生易しいものではなく、愛する人たちがお互いを求め合うような熱いキスだ。口を大きく開けたカレンの舌が須衣の口内へと入り込み、激しく唾液を絡ませる。
その間にもカレンの左手が須衣の胸元を撫でるように動き、徐々に下へと移っていく。服越しに伝わる指先の感触が肌を刺激していくのと、何度も行われる口付けが脳を痺れさせていくような感覚に陥る。
須衣はされるがままにカレンに襲われながら、やがてカレンの後ろに現れた人影に気づいた。
「ここで何を……なっ!」
警備員の男性は手にしていた電灯をこちらに向けようとして、そこで二人の男女が何をしているかを悟ったように言葉を途切らせる。
そこでようやく須衣から顔を離したカレンは唇の端から透明な糸を引きながら妖艶な笑みを浮かべてゆっくりと振り返る。
「おにぃさん……静かな場所探してたら迷い込んじゃってぇ……」
「そ、そうなのか……」
本来ならばロックを解除出来なければ貨物車両に入ることが出来ないのだが、警備員の男性の視線は大きく開かれたカレンの胸元に注がれている。
それを見抜いているカレンは更に胸元を見せつけるようにドレスの布を指先で摘みながら、唇に舌を這わせて言葉を続ける。
「この人ちょっとしただけでもうイッちゃったみたいでぇ……でもアタシ、まだ物足りなくてぇ……だから」
須衣の上から立ち上がったカレンは右側の肩紐を落としながら、動揺する警備員の男性へと歩み寄っていく。
そして目の前まで辿り着いたカレンはその胸を優しく指先で押して後ろの壁まで誘導していく。
薄笑いを浮かべながらカレンは顔の距離を縮めて、男性の耳元へと囁く。
「アタシとイイコト、しよ……?」
男性がコクコクと頷きながらカレンの身体を抱きしめると、その背中に指を這わせる。ニヤリと笑みを浮かべたカレンはそして男性の唇を奪うと、その顔を抱きしめるように両手を回す。
ドレスの先から伸びるカレンの素足が男性の両足の間に入り、右手で器用に男性のベルトを外していく。激しくキスをしながら身体を押し付け合う二人。
男性の手がカレンの背中から下半身へと伸びていったその時、カレンが不意にキスを止めて顔を離した。
「――ありがと。アナタみたいな男の人、大好き」
刹那、カレンの手が男性の襟を掴むと同時に、男性の股下にあったカレンの足が勢い良く持ち上がる。
その膝は男性の股間へと吸い込まれるように入り、そして柔らかい感触を押しつぶしながら膝が沈んでいく。
更に間髪入れずカレンは身体を捻りながらその男性を背負投の要領で持ち上げ、容赦なく床に叩きつけた。
男性が叩きつけられた鈍い音は貨物車両が激しく揺れる音に掻き消され、現場を目撃していなければ気づかないだろう。
カレンは背中から叩きつけられて意識を失ったままの男性を蔑むような目を見下しながら、その場で唾を吐き捨てた。
須衣は起き上がりながら唇を手の甲で拭うと、怪訝な目をカレンへと向けた。手の甲にはカレンのルージュ色の口紅がうっすらと残っていた。
「どこから突っ込めばいいのかわからないけどさ、カレンって思ってたより喋れるんだな」
「……別に」
「さっきの演技が出来て、どうして普段はそんなに無口なんだ……」
「リップサービス」
そう答えたカレンは倒れたまま動かない男性のベルトから素早く認証端末を抜き取る。先程ベルトを外そうと見せかけて、どこにあるのか調べていたようだ。
それを立ち上げるとコンテナの中身を確認する為にカレンはそそくさと歩き始めた。コンテナの扉の前には金属製のタグが取り付けられており、端末をかざせば中身の確認が出来る。
用済みとなったままの男性を尻目に須衣はカレンの後を追いかける。
端末をかざしながら次々とコンテナを調べていくカレンの隣を歩きながら、須衣はその結果を尋ねる。
「怪しい荷物はありそう? 確かアイズは工業部品の類は確認した方がいいって言ってたっけ」
「……これとか」
カレンが足を止めて指し示した先のコンテナは、タグに精密機器と表示されていた。その扉に端末をかざして解錠すると鉄製の重い扉を開けていく。
中は真っ暗で何も見えないが、即座にカレンが肩掛けのバッグから小さなコインのような物体を取り出した。それの手のひらに乗せた途端、コンテナの中が光に包まれる。
「大当たりってところか」
須衣は目の前に広がる光景に思わずため息をつく。そこには見間違えようのない、四台のアームド・フレームが静かに鎮座していた。
「サフィニアンサーがいないから型番の照会が出来ないのが残念だな。すぐにルーシアに連絡を――」
「伏せて」
須衣の言葉を遮って、カレンが鋭く言い放つ。
反射的に身体をかがませた瞬間、乾いた音と共に頭上で金属音が鳴る。
須衣はそのまま素早く後方へと飛び退きながら、背後からの襲撃者を視界に捉える。
コンテナに隠れながら発砲したのは警備員の制服を着た男性だが、メトロリニアには銃器の持ち込みは固く禁止されており、それは従業員であろうとも例外ではない。
即ち、警備員に扮したギャングの一味である可能性が高い。
二つ先のコンテナに隠れている男性は手にした拳銃を構えたまま、須衣とカレンの様子を窺っている。カレンはコンテナの扉を盾に隠れたまま身動きが取れないようだ。
須衣は小さく息を吐き出すと、天井の高さが充分にあることを確認してから物陰を飛び出す。
男性が発砲するよりも早く、須衣は地面を強く蹴って身体を宙に浮かせると、足の裏でコンテナの側面を確かに捉える。
そして反対側へと蹴り出して急激な方向転換を行い、照準から更に外れると同時にその先にあったコンテナの上へと登って身を隠す。
須衣の姿を見失った男性が戸惑っている隙に距離を詰め、須衣が次に姿を表したのは男性の頭上。
慌てて構えられた拳銃を蹴り飛ばしながら着地を決め、その首元を右手で掴むと後ろにあったコンテナへと押し付ける。
A.A義体の凄まじい筋力によって身体を持ち上げられた男性は程なくして意識を落とされる。それを確認してから男性を降ろした須衣は周囲を警戒する。
しかし他には潜んでいないのか、しばらく経っても新たな襲撃者は現れなかった。やがてコンテナから出てきたカレンの元へと歩み寄った須衣は周囲へ視線を走らせながら口を開く。
「どうやら乗客だけじゃなく、従業員としても紛れ込んでいるらしい。早く報告してナイトさんたちと合流しよう」
「とりあえず、ルーシアのいる客室まで」
「あぁ、急いで向かおう」
本来ならばコンテナを元通りに閉めてから戻るべきなのだろうが、そこで眠っているギャングの一味が意識を取り戻したらすぐにバレることだ。
そのまま二人は前の車両へ続く扉へと戻ろうとする。
しかし辿り着く直前、勝手に扉が開いた。否、反対側から開けられたのだろう。そこには数人の男性たちが須衣とカレンの姿を見て驚きを表情を浮かべていた。
「なっ……なんだお前らは!」
先頭にいた男性が、二人の後ろで倒れている警備員の男性を目にしてすべてを悟ったように腰へと手を伸ばし、伸縮式の警棒を構える。
須衣はやれやれといった様子で首を横に振ってみせると、カレンよりも先に前へと飛び出した。
振り上げられた警棒を鋭く突き出した蹴り上げで弾き飛ばしながら、距離を詰めて腹部に掌底を繰り出す。
吹き飛んだ男性のいた場所へと代わりに飛び出した一人の警棒を屈んで避けながら更に前へと踏み込み、両脇の男性へ肘打ちをお見舞いしてそのまま走り抜ける。
須衣とカレンに挟まれる形になった男性たちが振り返った瞬間、今度は後ろで待機していたカレンが地面を強く蹴って跳ぶ。
扉の上部を掴んで新体操の要領で身体を前方へと持ち上げながら、警棒を構えていた男性の顔面に鋭いヒールの一撃が炸裂する。
そのまま両手で着地したカレンはカポエラのように両足を広げて、近くにいた別の男性へと追撃を繰り出す。
ドレスの生地が足の付け根までめくれかけた瞬間、カレンは素早く足を翻して着地してみせた。
須衣とカレンの華麗な動作に翻弄されながらも、男性たちは並ぶには狭い通路で体勢を立て直す。
分が悪いと悟ったのか、そのうちの一人が近くにあったモニターへと手を突き出すと扉がスライドして閉まり、瞬く間に客室側の車両に須衣が、貨物車両側にカレンが取り残される形で分断された。
それでも須衣は動じずに右手を前にして構える。着慣れないスーツによって普段よりも動きにくいが、文句を言っている暇はない。
相手が一人ならば勝てると悟ったのか、こちら側に残された男性たちが一斉に須衣へと襲い掛かる。
先頭にいた男性の警棒の一振りを蹴りで払い除け、後続の一撃は右手で受け止めながらその手首を掴んで引き寄せながら後方へと投げ飛ばし、更にタックルを決めてきた大柄な男性を足払いで転倒させながら、頭を左側へと傾けて投げつけられた警棒をかわす。
更に足元に組み付いてきた男の胸元を蹴り飛ばしてやり過ごす。不用意に懐へと飛び込んできた男性の顎を下から突き上げるように掌底を打ち込んだ。
後方へと距離を取った須衣は息を吐き出して相手の出方を窺う。
四人の男性のうち、既に二人は崩れ落ちたまま動くことが出来ず、残る二人も片膝をついて息を荒くしている。
この程度の相手ならば須衣にとっては相手にもならない。それは扉の向こう側で戦っているカレンにも同じことが言えるだろう。
しかし想定していたよりも敵組織の出方が素早い。というよりは隠れて行動するつもりがないのか、粗が目立つ。
例え機密を見られたからといってこんな客室のある車両で堂々と戦闘を始めるのはあまりにも不自然だった。そして何よりもギャングの一味がこんな大量にメトロリニアに乗車している理由が思い当たらない。
そんな須衣の考えを裏付けるかのように、目の前にいた一人が声を荒げて問いかけた。
「お前、穏健派の差し金か!」
「え……はぁ?」
予想外の単語に思わず須衣の語尾が上擦る。
その瞬間を見逃さずに男たちは再び須衣へと突撃を仕掛ける。それらを容易くいなしながら、須衣は先程の言葉を反芻する。
穏健派とは一体何を指しているのか。そして彼らの目的とは一体何なのか。
大型列車はトーキョウを目指してレールの上を走り続ける。タイムリミットが刻一刻と迫ろうとしていた――。
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