パートA (2/3)
欠伸を噛み殺しながら、賑やかな商店街を歩く。
朝であるにも関わらず活気のあるこの場所は郊外区域において最も栄えているといっても過言ではない。
首都圏から移り住んできた者、他都市からやってきた者、そして――彼自身のように流れ着いた者。
理由は様々だろうが少なくとも人間にとっては暮らしやすい場所の一つであることに違いなかった。
「よう、兄ちゃん」
声を掛けられて振り返る。体格の良い魚屋の店主が手を振っている。もういい年になろうとしているその人物が誰であったか記憶を辿っていき、一昨日にお世話になった人であることを思い出し、慌てて頭を下げた。
「どもです」
「なんだ、これから一仕事か?」
「いえ、仕事を終えて帰ってきたところですよ」
夜通しで荷物の仕分け業務は重労働だったが彼のような流れ者にとっては仕事にありつけるだけ有り難い話だった。
目の前の店主もまた同じように仕事を紹介してくれた経緯があり、彼としてはとにかく感謝の気持ちでいっぱいだった。
「そりゃお疲れ様だな。こないだの嬢ちゃんは一緒じゃないのかい?」
身振り手振りで小柄な少女の姿をジェスチャーしてみせる店主に対して、苦笑いを浮かべて答える。
「いや、さすがに夜の仕事に同行させるのは酷なので……」
「そりゃそうだな、ハハハ。んで、どうだ新しい仕事は?」
「何とも言えないですね。こっちも人手が足りてるみたいなのでしばらくしたら切られちゃいそうで」
「今時、だいたいの作業は無人機械化が進んでるし、仕事を見つけるのも大変だろうなぁ」
店主の言う通り、工場の八割以上は人間による手作業を必要としない。サービス業なんてものも昔は多かったらしいが、その多くは専用のインターフェースで充分だ。
人間の仕事と言えばこの店主のように商店街で個人営業の店を開いているような場合くらいだろう。
実際問題、郊外区域には仕事にありつけず難民と化した人は数知れない。だがそれは恐らくここだけの問題ではなく世界全体の問題だろう。
一世紀ほど前に起きた統一戦争によって、それまで築き上げられていた人類社会はその在り方を大きく変えてしまった。
当時、泥沼化した戦局を打開するべく先進国による人間そのものの遺伝子操作が行われた。その結果、戦争の道具として亜人種と呼ばれる人ならざる人が生まれた。
だが新たな種族の誕生はそれまでに続いていた人種差別問題が更に広がっただけに過ぎず、結果として人間はすべての人種のルーツであることを誇示し、自らをネイティヴと呼び頂点に立とうとした。
そうしたネイティヴの在り方に疑問を抱いた数多くの種族たちは、戦争を終結させるどころか、ネイティヴからの独立活動や武装蜂起といった、他種族との対立という新たな火種をもたらす結果となる。
やがて様々な種族はすべての争いの元凶となったネイティヴに対して迫害を始め、ネイティヴは多くの領土を失い、人口を激減させた。
本来すべての国家を束ねる目的で始まった統一戦争は新たな種族同士の対立を生み出す結果となり、やがてネイティヴ側が和平交渉を申し入れるまで続いた。
現在の都市国家制度はこの時に成立し、多種多様に別れた種族たちを定義し各々の理念に見合った生活圏を築くという名目で利害が一致した結果、各国の統治はそれぞれの種族に委任され人権が保証された。
かくして長年に渡って続いた戦争は終わりを告げ、旧国家は解体された。
そしてその数を大きく減らしたネイティヴの代わりに人類の繁栄を委ねられたのが現在の人間たちである。今この商店街を歩く人々は全員、人間であってネイティヴではない。
彼らは全員、ネイティヴのDNAを元にして生み出された模倣人種、クローンである。
今では世界に点在する人間はほぼすべてクローンで構成されている。特にこの経済都市国家トーキョウは各国よりも更に高い水準でネイティヴの保護活動を推進しており、世界からはクローンによるネイティヴの為だけに存在する都市と呼ばれている。
領土こそ各都市の中では少ないものの、その技術レベルの高さから上位の都市経済力を持つトーキョウの首都圏を訪れた人ならばネイティヴ至上主義社会であることを誰もが納得するだろう。
エデンと呼ばれる首都圏の中心部にそびえる超高層都市群。
それこそがトーキョウにおけるネイティヴ専用の居住区であり、一般人は決して立ち入ることを許可されない。
そうしたクローンによるネイティヴの過剰なまでの保護活動の結果、クローン以外の種族に対してはあまり住みやすいとは言えない都市でもある。無論、それはクローンの入国が禁止されている都市もまた実在しているこということなのであるが。
ではそうしてまで区別されるネイティヴとクローンの違いとは何なのかという純粋な疑問は、世界中の科学者たちによって常に議論され続ける問題でありながら、誰もこの問い掛けに対する明確な答えを出せずにいる。
それほどまでにクローンはネイティヴそっくりに生み出されてしまった。
今こうして目の前で会話をしている魚屋の店主も、すれ違う主婦も、はしゃぐ子供たちも、本当の人間と呼ばれるネイティヴに出会ったことはない。
そして誰もが自分たちを人間だと信じて疑わない。現代社会におけるクローンとは即ち、現在人の代行者であるという証明に過ぎないのだった。
「あーえっと兄ちゃん、名前なんつったっけな」
店主に尋ねられて我に返ると、笑顔を浮かべながら答えた。
「スイです。
須衣と名乗った青年は指先で空中に漢字をそれとなくなぞってみせるが、今時通じることの方が少ないのが現実である。
それでも須衣は昔からの癖でついつい説明してしまうのだった。
「……ほうほうスイか、今時珍しい名前だな」
「両親が昔ながらの名前がいいって拘ったみたいで」
「旧和名って奴か、渋くていいなァ」
「ハハハ。おかげさまで変な名前って言われること多くて」
都市国家制度以前の旧国家体制に存在していた多くの文化は、その地域に今でも根付いていることが多い。
かつてこの辺りはトーキョウを首都として一つの島国として栄えていたと聞く。その頃の古風なイメージに憧れを持っていた海外の人々が、クローンによる生活圏が築かれる際に多く流れてきたのだとか何とか。
「まぁとりあえず、また仕事にでも困ったら顔出してくれや。知り合いに人手が欲しい奴がいるかもしれねぇ」
「ありがとうございます。その時はお世話になろうと思います」
須衣は頭を下げてから思い出したように左手の時計を見る。大量生産された安価なアナログの腕時計は彼の貧乏性が窺える品だった。
「それじゃ、そろそろ待ちくたびれてると思うので行こうと思います」
「おう、気をつけてな」
魚屋の店主に手を振って、須衣はその場を後にする。人の流れに乗って商店街を歩いて行く。
都市国家の中でも珍しいことに、トーキョウは二つの生活圏を持っている都市だ。一つはエデンを中心とするネイティヴと富裕層のクローンたちが住む首都圏、そして貧民層や他の都市から流れてきた者たちが数多く暮らすこの郊外区域だ。
この郊外区域においてはトーキョウ都市議会の影響力も薄く、それなりに治安は悪いものの人々は自由気ままに暮らしていると言っても差し支えない。
首都圏の治安さえ守られていればいいという考えなのかもしれないが、少なくとも郊外区域はもう長いこと放置され、現地に暮らす人々たちによって生活しやすい形で運営されている。
この商店街が郊外区域における生活の中心となっているのはその最たる証拠だろう。
だからこそ須衣のような他都市から流れてきた者にとってはまだ暮らしやすい部類に入るのだ。
須衣がトーキョウへとやってきてから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。
須衣が現在暮らしているのは控えめに言っても綺麗とは言えない小さな空き家だった。
だが野宿することにも慣れていた須衣にとっては屋根の下というだけで破格の条件であり、誰も利用していないからという理由で自由に使わせてもらえているのは僥倖だった。
少なくともトーキョウに住む人間は誰しもクローンには寛容である。それは土地柄というものなのか、トーキョウという都市国家の方針による影響なのかはわからなかったが、いずれにせよ須衣にとって都合のいいことに変わりはない。
昔ながらの金属製の鍵を差し込み扉を開ける。電気は通っていないので明かりはないが、昼間なら窓から差し込む光で充分過ぎるほど中は明るい。
玄関で靴を脱いで上がり込むと、奥の部屋にいるであろう人物へと声を掛ける。
「ただいまー帰ったぞ」
リフォームを重ねた跡が残る継ぎ接ぎだらけの家。かつてどんな家族が住んでいたのだろうか。
廊下の突き当りにある扉の外れた場所をくぐると、毛布に包まって眠りについている少女の姿が見えた。
少女は須衣の足音に気づいたのか、もぞもぞと動くとゆっくりと顔を持ち上げる。
「んぅ……すい……?」
「ごめんよ、遅くなって」
起き上がりながら欠伸を噛み殺す少女に歩み寄ると、ボサボサになった茶髪を手で撫で付ける。まだ半分くらい微睡みの中にいながらも、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「おはよー……」
「はいはいおはよう」
「あれ……今日はこれからご飯買ってくるの?」
須衣が少女の隣に座り込むと、彼が手ぶらで帰ってきたことを指摘する。
「いや、少し残業した分多めにもらったからせっかくだし一緒にどこかで食べようかなって」
「お店で食べれるの? やった……!」
少女は目を輝かせて嬉しそうに笑う。そんな姿を見て、須衣は残業してでも少し多く稼いできて良かったと思った。
本当ならば少しでも長く、彼女と過ごす時間を増やしたいのが本音だ。
だが現実は生きる為にお金が要る。そしてまだ未成年の彼女を養えるのは須衣しかいないのだ。
「ナナセは……何か食べたいものとかある?」
須衣が彼女の名前を呼ぶと、ナナセと呼ばれた少女は首を傾げて眉間にしわを寄せる。
外食なんて滅多にしない二人にとってはかなりの贅沢と言えるもので、まさかそんな提案をされるとは思ってもいなかったのだろう。
「うーん……急に言われてもわかんないなぁ」
「それじゃ歩きながら、気になるお店でも入ってみようか」
「うん、そうするー」
ナナセは首を縦に振って頷いてみせてから、不意に思い出したように口を開けた。
「あ、でもその前にシャワー浴びてきていい?」
「待ってるよ。髪ボサボサだもんな」
「もー……わざわざ言わなくていいのに……!」
ナナセは基本的に家から出ないので、面倒くさがってあまり風呂に入らないことが多い。
家にいるだけならそれでも良いのかもしれないが、外を出歩くならばそんな彼女でも最低限の身だしなみくらいは気にするということなのだろう。
「それじゃあささって行ってくるー」
「はいよ、気をつけてな」
「そんなに心配しなくてもだいじょーぶだよ」
ナナセは元気よく立ち上がると部屋を後にする。彼女がこの部屋を寝室に選んでいるのはすぐ隣に浴室とトイレがあるからだという話である。
立て付けが悪いのか夜は少し冷えるが、それを差し引いても利便性の方が大切なのだそうだ。
須衣もまた出掛ける前に仕事で少し汚れた服を着替えておこうと思いつき、前の家主が置きっぱなしにしたままのクローゼットを開ける。
数枚の着替えの中から比較的綺麗なシャツを取り出して足元に置いた時、唐突に聞こえてきた物音に振り返った。
「あっ……!」
そこにいたのはナナセだった。慌てて入り口に隠れるように身を隠した彼女は何も着ていなかった。
「ごめん……」
「いや私こそごめんね……!」
視線を落としてなるべく彼女を視界に収めないようにして謝る須衣に、ナナセは慌てて付け加える。
「えっとね、その……そこにある新しいバスタオル取ってもらってもいい……?」
「あぁそっか……」
どうしてナナセが裸のままこっちにやってきたのか理解した須衣は、足元に畳んであった真新しいバスタオルを手に取ると、手だけをこちらへと伸ばすナナセへと手渡す。
「ありがとーそれじゃ今度こそ行ってくるー」
「はいよ」
今度こそ浴室へと消えていったナナセの背中が、一瞬だけ視界に映り込む。須衣は思わず恥ずかしさを覚えるのと同時に何度見てもその姿に心を痛める。
何故なら彼女の背中や腕には決して消えることのない青い痣がいくつもあるからだった。
須衣とナナセは兄妹ではなく、元々は幼馴染のような関係だった。須衣は十年前ほどに、ナナセは三年前に両親の元を離れた。
起業に失敗した父親が責任を取って自殺するまで幸せな家庭を築いていた須衣とは違って、ナナセの家庭は当時の須衣の目にも異様な場所に見えていた。
典型的な酒乱の父親が、母親とナナセに対して行っていた家庭内暴力の数々は見るに堪えないものばかりだった。学生時代の頃に須衣はナナセに家を出るように説得したことがあったが、そんな酷い仕打ちをされながらも家族だからと彼女は首を横に振った。
どうしてそこまでしてナナセは耐え続けていたのか、須衣は結局知ることはなかった。
そんなナナセの父親は行きすぎた暴力の結果、彼女を庇った母親を病院送りにして逮捕された。
学生を終えるまでは仕送りをしてくれる母親がいた須衣と違ってナナセは両親を失い通っていた学校も中退し、暴力によって痣だらけになった身体は健康ではなくなり、彼女は一人で働くことも出来ない程に弱っていた。
近所付き合いがあったからなのか、似たような境遇に同情したのかはわからない。だが既に一人で暮らしていた須衣はナナセを引き取り二人の生活が始まった。
自分のことだけで精一杯だったというのに、世の中の不条理に流され続けるだけの彼女をどうしても見捨てることが出来なかった。
そして二人は年々治安が悪化していった故郷である連合都市国家フクオカを出てトーキョウまで流れ着いたのだ。
どこを目指せば安息があるのかはわからなかった。
そのまま更に北上してホッカイを抜けて大陸へと渡ることも考えたが、それはナナセの体力的にあまり現実的とは言えなかった。
しかし幸いだったのはトーキョウで思っていたよりも生活を安定させることが出来ているということだ。
宛てのない旅。果ての見えない行路。それでも進まなければならなかった。
一度でも立ち止まってしまえば、何の為に生まれたのかわからなくなってしまいそうで、須衣とナナセが生きていたという事実が、誰の記憶からも忘れ去られてしまいそうで。
壁越しに聞こえてくるシャワーの音とナナセの鼻歌に、無意識のうちに口元が緩んでいた。
些細な幸せを噛み締めるくらいきっと許されて然るべきなのだ。須衣はそう信じて疑わなかった。
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