第7話 潜入

 白のシンプルなブラウスに袖を通し、黒のタイトスカートを履く。最後に、同色のジャケットを羽織って鏡の前に立った。


 真っ黒に染め直した髪をひとつに束ねながら、果歩はため息をついた。


 ――地味で、垢抜けなくて、オシャレのかけらもない。


 就活女子の王道コーデ。安全圏をひたすら守りにいったような白と黒の構成に、思わず顔をしかめる。


 足元に黒のパンプスを履き、玄関を出た。階段を下りながらふと疑問が浮かぶ。


 ――どうして就活の服って、みんな白と黒ばっかりなんだろう。


 世の中の「正解」は、いつだってつまらない。


 


 約束の時間より十五分早く、指定された中古車販売会社のドアを開けると、すでに何人かの社員が出勤していた。ほどよい緊張感をまといながら、一歩踏み出す。


「今日からお世話になります。東羽大学三年の若松果歩です。よろしくお願いします」


 挨拶の声に応えるように、ひとりの男性社員が近づいてくる。


 荷物置き場や作業スペースなどを案内されながら、果歩――悠馬は心の中で冷静に手順を確認していた。


 この1週間、自分は就活中の女子大生。

 無垢な笑顔で笑いながら、黒川健斗に接近する――それが今回のミッションだった。


 


 ◇ ◇ ◇


 一ヶ月前の夜、スナック綾。


 呼び出されて店に入ると、カウンターの席に見知らぬ女性が座っていた。伏し目がちで、長い髪を肩に垂らし、硬く口を閉ざしている。


 その隣に座り、悠馬は綾香に目を向けた。


「それで、今回の依頼は?」


 代わりに応じたのは綾香だった。バッグから写真を取り出し、テーブルに置く。


「ターゲットはこの男。黒川健斗、三十八歳。中古車販売会社の社長よ」


 悠馬はその写真を一瞥したあと、隣の女性に視線を向けた。


「で、コイツとあなたの関係は?」


 ようやく女性が顔を上げた。目の縁は赤く、唇が震えている。


「……私、婚約してたんです。でも、黒川はお金持ちの女と知り合った途端、あっさり乗り換えたんです……」


 そこまで話すと、堰を切ったように涙がこぼれた。すすり泣きで会話にならなくなったのを見かねて、綾香が代わりに説明を続ける。


 女性の名前は斎藤里奈。

 マッチングアプリで黒川と出会い、1年前から交際。最近になって婚約を取り交わし、結婚の準備を進めていた矢先――黒川は別の女性と新たな関係を築いていたという。


 悠馬の目が、里奈のバッグについたマタニティマークに留まる。彼女はそれに気づき、涙を拭いながら小さく呟いた。


「……先月、妊娠がわかったんです。伝えようと思ったら、ちょうど別れ話を切り出されて……。お腹の子には罪がないから……でも、どうしていいかわからなくて」


 まるで天国から地獄に突き落とされたような話だった。


 悠馬は視線を落としながら、問いかける。


「……で、復讐の内容は?」


 里奈は一瞬ためらい、そして静かに首を振った。


「……お任せします。どんな形でも、あの人が苦しめば、それでいい」


 泣き腫らした目が、すがるようにこちらを見ていた。


 悠馬は無言で頷き、テーブルの上の写真と資料を拾い上げる。


「わかった。前回は手加減しすぎて、ちょっと物足りなかったんだ。……今回は、“二度と這い上がれないくらい”でいくよ」


 そう告げると、悠馬は席を立った。


 ターゲットに近づくため、中古車販売会社のインターン枠に“若松果歩”として応募。拍子抜けするほどあっさりと選考を通過し、潜入は始まった。


◇ ◇ ◇


 さほど広くない事務所内で、社員たちはデスクに向かい、パソコンを操作しながら、時おりかかってくる電話に応対していた。


 指導係の男性が、簡単な業務の流れを説明してくれる。


 悠馬は指示に従い、黙々とパソコンを操作しながら、各支店の売上データをまとめていった。

 どうやらこの会社は、県内に五つの販売拠点を持ち、ネット経由の販売にも力を入れているらしい。


 作業を進めていると、突然、周囲の空気が変わった。


 社員たちが一斉に立ち上がる。


 促されるように悠馬も立ち上がったタイミングで、黒川――この会社の社長が事務所に入ってきた。


「「「社長、おはようございます」」」


 黒川はそれに対し、軽く手を挙げるだけで応えた。視線が悠馬に向けられたあと、近くにいた社員に尋ねる。


「その子は?」


「今日からインターンに来ている学生です」


「き、きょ、今日から……勉強させていただいてます。若松果歩と申します!」


 “緊張気味の女子大生”を意識して、やや早口で挨拶する。


「そっか。しっかり勉強してってね」


 黒川はそう言うと、肩を軽く二度叩き、そのまま去り際に腰――というより腰の下――をぽんと触れた。


 躊躇もためらいもない。

 悪びれた様子もなく、当たり前のような動作だった。


 ――女好き、かつ無神経。予想どおり。


 黒川は社員の一人を連れて、奥の応接室へと姿を消した。


 


 午後の作業中、隣のデスクの電話が鳴る。


 対応した男性社員は、受話器を肩に挟みながら、繰り返し頭を下げていた。口調からして、どうやらクレームのようだ。


「ええ、確かにサイドシル部分に多少の歪みは確認できましたが、走行には支障がないと……」


 ――サイドシル、だと?


 悠馬は無意識に手を止めた。

 サイドシルは、車の骨格を構成する重要なパーツ。それが歪んでいるのに「支障なし」で通そうとしている?


 違和感が喉元に刺さるように残った。


「……あれ、手、止まってるよ?」


「あっ、すみません」


 声をかけられ、慌てて手元のパソコンに意識を戻す。


 


 翌日。研修先は郊外の販売店だった。


 国道沿いの広い敷地に、約百台の中古車がずらりと並んでいる。ちょうど学校の校庭ほどの規模だ。


 午前中は、現場の様子を見ながら必要な情報を集めて回った。午後は、持ち込み査定の見学へ。


 年式や走行距離、傷の有無などを確認し、査定額を提示する流れ。

 一台の車に対して、担当の社員がこう告げる。


「少し低めの金額になりますね。こことか、凹んでますし」


 指差したのは、後部ドア付近のわずかな凹みだった。


「え……おかしいな、ぶつけた覚えなんてないけど……」


「飛び石とかでへこむこともありますから。けっこう気づかないもんですよ」


 社員はさらりと答えた。


 だが、悠馬の目には、その凹みは後から作られたようにしか見えなかった。


 それでも客は納得したように頷き、買取の契約書にサインをした。


 ――なるほど。

 こうして“安く仕入れる”わけか。


 ◇ ◇ ◇


 インターン最終日。


 業務はすべて滞りなく終わらせた。あとは――最後の“餌”を撒き、それに黒川が食いつくのを待つだけ。


 定時を過ぎた頃、黒川が事務所に姿を見せる。足取り軽く、悠馬の席へと近づいてきた。


「若松さんだったよね? インターン、今日まで?」


「はい。お世話になりました。とても勉強になりました」


 丁寧に一礼したあと、わざとらしく上目遣いで黒川を見つめる。


 思惑どおり、男は食いついた。


「今日で最後かあ。じゃあ、お疲れ様会ってことでさ、美味いイタリアンでも行こうよ。俺がよく使う店なんだけど……パスタとか好き? ピザとか」


「……はい。大好きです」


 にこりと微笑み、愛想よく応じる。

 無邪気さと好意をにじませた、演技の笑顔。


 ――釣れた。


 悠馬は、腹の底で確信する。

 この男は、まっすぐ“罠”に向かって歩いてきている。

 地味な就活生の仮面の下で、毒の矢は静かに、しかし確実に放たれた。

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