第四章 avvenimento(アッヴェニメント《事件》)
「人を殺害する者の心は、既に人間の心を完全にを殺して化け物の心になっている」
池谷秀一郎「殺戮者」より
京は学校に到着すると、校庭を抜け、玄関に入り下駄箱に到着する。京は心を決めて下駄箱を勢いよく開ける。これだけで朝の大仕事が終えた気がする。
中はからだった。京は安堵の吐息と共に教室に向かう。京は朝早めに家を出た。だからここには浩介はいない。京は思っていた。浩介が脅迫の対象になっている迷惑はかけられない。なるべく自分との接点を避けるように今日忠告するつもりだ。
ストーカーに聞かれるように声を出して言おうと思う。それが浩介の為だと京は思った。親友と思っている者の悲劇は見たくない。そう京は思いながら教室に歩を進めた。
教室に着くと結局誰も居なかった。
「……」
京は無言で自分の席に向かって歩き席に着く。直ぐに机の引き出しを調べるがそこにも何も入っていない。
「……」
くだらない心配だと京は思った。数日前まではこんな心配をする事もなかった。みんなで笑い、自分で思うのも変だが結構幸せな学校生活を送っていたと思う。
それが僅か数日で瓦解した。京は自嘲気味に笑う。
「ははっ……情けねえ……」
京の目から一筋の涙が流れる。家では強気な事を言ったが、内心見えない恐怖は怖い。そしてそんな環境に置かれている自分が酷く情けなかった。
京はそれから暫く窓を眺めながら時間を潰した。太陽が眩しい。今日は雨にはならないだろうと京は思った。そして午前八時五分になる。
教室に浩介が入ってきた。浩介は自分の席に鞄を置くと京の席に歩いてきた。
「京」
「なんだ?」
浩介に向ける京の目は冷たい。
「浩介もう喋りかけるな」
京の言葉にもう教室に集まっている他の生徒がざわめく。仲良しが突然いさかいを起こしたように見えるのだろう。しかし浩介は少し笑うと溜息を付く。
「お前はそういう結論に出たか」
「ああ」
「なるほど」
浩介は京の言葉に腕を組む。そこに既に教室に入ってきていた桃と小影そして唯子が近づいてくる。信司はその後に続いて困った顔をしている。
「さっきから喋りかけるなの一点張り」
小影は困った顔をする。
「何に怒っているの? 訳聞かせてよ」
唯子は静かに問いかける。それに京は首を横に振る。
「いいや別に怒ってなどいない」
「でも。そんなんじゃ納得できない。これじゃ突然の決別じゃない」
「桃そういう風には聞こえなかったか?」
「そんな京」
桃は悲しそうな顔をする。その桃の肩に手を置き信司が複雑な顔をする。
「うむ」
浩介は次に顎に手を置く。
「うむじゃないでしょう。私達の中であんた達が一番仲良かったじゃない!」
「そうだな」
小影の言葉に浩介は簡素に告げる。
「あんたって冷たいのね」
小影は少し怒りの形相を浮かべながら浩介を睨む。それに対しても浩介は動じる気配はない。その不穏な会話の最中に香美が突然声を掛ける。
「何事?」
「俺達と口を聞きたくないそうだ」
「うーん困った。じゃあ今これをここに置くわね。喋るの拒否されてこれを忘れのは嫌だから。はいあんたへのラブレターとなんか弁当箱。間違って私の中に入っていたわ」
香美はそう言いながら京の前に封筒と弁当箱を置く。その瞬間京の顔が青白くなり、手が震え始める。
「あ、あ、あり、がとう」
京は身体を震わせながら香美に礼を言う。
「どうしたのあんた?」
「なっ、なっ、なん、なんでもない……」
浩介は京の肩を押さえる。京の身体が震えている。目の瞳孔もおかしいこれは……。
実は昨日一乃橋に浩介は相談していた。わざわざ一乃橋は浩介の家に一万を取りにきたのである。その時に聞いたのが米国精神医学会の医学書DSMⅣ―TRに出てくる不安障害こと特定の恐怖症の説明だった。広場を伴わない恐怖症、パニック障害こと恐慌性障害である。起きる原因は不明、しかし脳のセロトニンやアドレナリン等の神経伝達物質などがバランスが崩れる為に起きるのではないかと思われていると一乃橋は余計なうんちくを言ったが。一乃橋はこれを重大に警告した。
「加城京は電話の時点で吐いた。それは恐慌性障害だ。即ちこれはDSMの特定の恐怖症。加城京はこの後この疾病が現れるだろう。浩介これを見逃すな。吐く、震える、眩暈、動悸、顔面蒼白、失神、言葉のもつれなどだ。加城は知らぬ間にこの疾病を患う可能性がある。これはプロファイラーの感だが。恐らく加城はこれから先お前を遠ざける可能性が高いだろう。ストーカーの被害の場合、親しい者から遠ざかる傾向がある。例えば脅迫とかだな。これは泣き寝入りともいうが。被害者は知人を護ろうとする防御の姿勢だ。例えばお前がストーキングされて加城の事で脅されたら、お前は加城を遠ざけるだろう? その原理だ。だがな恐慌性障害を患った加城を誰かが見なければ直ぐに恐慌を起こすぞ。私はお前に危険には今まで関わるなと教えてきた。お前もそれを守ってきた。だからこれから先はお前の判断だ。加城を守るか、それとも加城から逃げて安全を取るか、どうする浩介」
一乃橋の言葉に浩介は逆に問うた。
「楓さんならどうする」
「私か……私は危険にはタッチしない。特に恋愛関係には絶対にタッチしないことにしている。よくあるだろう。触れたために第三者が殺されるなんて。だから私がお前だったらとうに逃げてる。私ら警察はあくまで捕まえた犯人を相手にする。その時点で野放しじゃない。警察という組織に身柄を拘束されている訳だし、それから検察に立件、検察が起訴。裁判所が裁判、有罪判決、精神異常者なら病院へ、正常者なら刑務所だ。その後出てきた後も犯罪者予防更正法に基づく法律で護られる。私の場合はこの点身は安全だ。だがな……お前の近くにいる奴は現在野放しだ。それを踏まえた上で考えろ。触れれば地獄が待っているかもしれんぞ」
浩介はこの言葉を思い出す。俺の周りの犯人を更生保護してくれる施設も制度もない。
「だが!」
浩介はそう大きな声で言うと京の肩を揺さぶる。
「京大丈夫だ! 俺だ浩介だ! 分かるか俺だ!」
震える京の肩に浩介は手を置きながら諭す。
「あっ、あっ、あっ」
京の反応をみた香美、桃、小影、唯子、信司が呆然となる。
「な、何事なの浩介!」
京の様子を香美が問いかける。しかしそんな香美を無視し浩介は京に懸命に声を掛ける。
「京! しっかりしろ! 俺だ分かるか!」
「あっ、あっ、あっ、こ、こ、こ、こ、浩介、浩介、浩介!」
京は叫び出す。浩介以外のメンバーは何がなにやら分からない。
「香美。とりあえずその手紙と封筒は俺の机に置け」
「ひょっとして……」
「よせ」
浩介は香美にだけ聞こえる小声で呟き首を横に振る。まるで誰にも聞かれたくないような反応のように香美には見えた。
「そのあんたの反応を見ると余計ほっとけないわよ」
香美が誰にも聞こえない声で呟くと浩介に背を向け自分の席に戻る。浩介は自分の席に弁当と封筒を置けと言った。だが香美は自分の席に封筒と弁当を持って行った。香美は加城様へと書いてある封筒の封を開け中の手紙を読み始める。
流麗な字である。香美は中を読む。
加城様昨日の昼食のお弁当はどうだったでしょうか。申し訳ございません。昨日は愚か者に傘を奪われてしまいました。次回からこのような事態を招かない為にも再発を起こさない努力を致します。昨日加城様の自宅にお電話を掛けたら余り加城様とは似ていないお父様がお出になりました。お父様を舞台から消さないのは加城様が哀しむためです。それはもうお父様から伺っておられると思われます。加城様音楽CDはどうでしたか。もう後拝聴されましたか。私は加城様さえ喜んで頂ければそれでいいのです。今日は雨が降らないそうです。
加城様今日は傘がいらなくてすみそうです。お聞きしたい事がございました、昨日の夕食私のお弁当は味はどうだったでしょうか。メインディッシュは自信作のラタトゥイユです。お味は如何でしたか。加城様のお口に合わなければお捨てになって下さっても結構です。お弁当箱も加城様のご自由にして下さい。
今日の総菜は筑前煮です。これは自信作ですので是非ご賞味ください。あとはハンバーグ。ほうれん草のおひたしこれは醤油を付けておきましたのでお使い下さい。ご飯の上に置いてあるのは鮭をほぐした鮭弁当です。上に乗っているのは三つ葉です。加城様の日頃のお食事を見ると野菜が圧倒的に不足していると思われます。なのでほうれん草のおひたしと三つ葉をご相伴下さい。 加城様の体調管理をする事が加城様を護る私の使命だと私は今日この頃実感しております。
加城様のご聡明に大変似ておられる加城様のお母様に是非宜しくとお伝え下さい。
加城様を護る者より。
「……なに……これ……ストーカーじゃない」
そう言うと香美は弁当箱を睨む。その手で手紙を机に叩き付ける。そして香美は急激に後ろに振り返った。誰も香美を見ていない。全員香美を見ず加城京を見ている。そう少女でさえも加城京を凝視していた。香美はそれを確認すると浩介と京の元に近寄る。京の発作は収まっていた。ホームルームまで後十分。香美の耳に顔を近づけ浩介にしか聞こえない小声で喋る。
「京は見張られているの?」
「だからよせ」
「黙れ浩介、何故黙っていたの。まさかあんた私らのことストーカーだと思っていたんじゃないでしょうね」
香美は誰にも聞こえないように浩介の耳元で喋る。浩介も京と香美にしか聞こえない声で返答する。今の会話は後ろに居る小影、唯子、桃、信司には聞こえていない。
「ああそうだ」
「やっぱり……今もあんたは私が演技をしていると思っている」
「そうだ」
香美は浩介の耳に向かって喋る。あくまで後ろの人間には聞こえないように。
「いいでしょう。一日中私を付けなさい。その代わり私は小影と桃、唯子と信司にこれを打ち明ける」
「駄目だ」
浩介は香美の提案を拒絶した。しかし聡い香美は悟った。
「ということはストーカーはこの中にいるとでも言うの」
「ああ」
「それはまずいわね。そうかストーカーが逆上したら、か。じゃあこうしましょう。最低でも学校では京を護る。あんたは京といなさい。今日の昼そして放課後私は他のメンバーを誘うから不審な動きをしたらあんたに伝える。そうねそれでは不完全だわ。こうしましょう暫くこのメンバーで居ましょう。誰かが不審な動きをしたら見破るそれでどう?」
香美は浩介の耳に向かって説明する。後ろのメンバーや教室の人間には何を言っているのかは聞こえない。
「もしお前が……」
「もし私じゃなかったら危険だと」
「ああ」
既にこの会話の意味を分かっている者は居ない。京ですら意味が分からない。香美がぼそぼそというと浩介が、だからよせ、ああそうだ、そうだ、駄目だ、ああ、もしお前が、ああである。周りには声が聞こえていないが、浩介はそれでも極力余計な事は言わない。
「私はやられない。そんな変質者」
「……好きにしろ」
そう浩介が言うと香美は浩介の耳元から顔を離す。
その光景を少女は見てなんのやりとりなのかは全く分からなかった。ただ香美と浩介の不自然な会話が引っかかった。こんな近くにいる人物にも聞かれたくない会話。それはなんだ? 怪しい……。果てしなく怪しい。
御堂香美から目を離すなと少女の頭から警鐘が鳴った。何かを企んでいる。私は御堂香美と瀬川浩介の性格を知っている。だから逆に限りなく怪しい。あいつらは二人とも頭が回る。 私達の中に居ると気づいたのか。やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい……。いやまだ私と断定するには証拠が足りない……。しかしこれから私達が警戒される。私の自由が……。
少女は浩介の机を見ると弁当箱と封筒は無かった。そして少女は香美の机の上を見る。 そこには封筒から抜き取られた手紙。御堂香美の場合封筒の上に名前を書いておけば中を開くような非常識な真似はしない。だから御堂香美の下駄箱を選んだのだ。
しかし御堂香美は中を開いて読んだ。読まれた。これは私のミスだ。御堂香美がこんなにも愚劣きわまる人間だとは思わなかった。
もし御堂香美が私の計画を狂わす人物だとしたら……河本洋太のように舞台から消えてもらわなければならない。御堂香美がそのままでは、それでは私の自由が取れない。
では……瀬上浩介はどうする。先に脅しの為に御堂香美を……。
少女の思考を中断するかのようにホームールームが始まった。
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