即興短編作「書く習慣」

鮎のユメ

お題 届かないのに

 もう限界だった。わかっていた。この世の中には、才能ってヤツが少なからずあって、恵まれたヤツだけが輝くんだって、そんなこと、とっくにわかっていたはずだったんだ。

 俺の、阪上さかがみ大我たいがの、高校野球人生は、一度もベンチから出られずに終わる。そんな予感は初めからあった。


 スパァンッ! ミットに当たる激しいボールの音が。ベンチにいたってはっきりと聞こえる。


 売原巨うりはらなお。俺のいる、青南高校のトップエース。1年生にして球速、160kmのバケモノ。

 敵わない。わかっていた。それでも、憧れずにはいられなかった。

 巨は、いつものような無表情で。噛み殺すような豪速球を軽々投げ、あっという間に三振を取ってマウンドを降りていた。

 練習試合だというのに、あまりにも容赦がない。俺の心までポッキリ折れてしまいそうだ。

「ねぇ」

 ふと、巨は俯く俺の前に来て、見下げるように立っていた。

「……辞めるって、ほんと?」

 何故、彼が俺のことなど知っているのだろう。黙り込む俺をよそに、巨は隣に腰掛けた。

「球筋いいのに。それに、変化球だって。磨けば光るよ」

 スポーツドリンクの入った水筒を手に取ってごくごくと。淡々と言う巨の口調に、嘘は無いのだろう。

「……まさか、あんたにそんなこと言われるなんてな、雪でも降るんじゃないか?」

「……手、見せてよ」

「は? なんで……」

「いいから」

 俺の冗談など全く意に介さず、奪うように俺の手を取る。……なんなんだ、本当に。

「やっぱり。このタコが、あの変化に繋がるんだ。ありがと、勉強になった。うん、やっぱり、辞めない方がいいよ、阪上」

「……うるさい」

 ふつふつと湧く怒りが、もう抑えきれそうにない。

 こんなにも、近くにいるくせに。

 こんなにも、遠く感じる。


「好き勝手言いやがって! 俺だって必死にやってんだよ! なのに、結果なんて出やしない! お前と違ってな!」


 思わず掴みかかってしまった。ただの、逆恨み。

「おい阪上! 何やってんだよ!」

「離せ! こんな、いけすかねーヤローと一緒とか、もううんざりだっ!」

 チームメイトが騒ぎを聞きつけ止めに入る。それでも、俺の怒りは止みそうもない。

 なのに。当の本人は、無表情だ。なんの感情も、見えてこない。


「なんなんだよ……お前、俺のこと、バカにしてんだろっ!」


「してないよ」


 ピシャリと言う声。

 そこでやっと、声を上げたのが巨だと気付き、顔を上げた。

「阪上が頑張ってるの、知ってる。苦しそうにもがいてるのも、知ってる」

 巨は単調な声で言いながら、掴まれたシャツでぱたぱたと仰いだ。

 そして。


「僕も、君に嫉妬してるんだよ。僕は速い球しか、まともに投げれないから」


 嘘だと思った。

 冗談かと思った。

 だけど──彼の目は、真剣そのもので。

「……は」

 疑問符すら付かないほど、間抜けな声が出た。

「確かに遅い玉は読まれやすい。だけど、野球ってのは打ち取れば勝ちだ。君の変化は、確実な三振こそ難しいけど、打ち取れる力がある。僕はそう信じてたんだけどね」

 ふぅと、一息ついて、巨は言った。


「君が、君自身の力を信じてないんじゃ、話にならない」


 呆れるように、蔑むように。

 いつも無感動にマウンドに上がる巨が、俺にだけ、感情を向けていた。そのことが信じられなくて、俺はただ、呆然とする。

 ──俺なんかが頑張っても、届かないのに。

 そうやってフタをしていたのは、俺自身だったってのか?

 わからない。……でも。

 目の前で、ぶすっと不貞腐れる巨。

 キンッ、とバットを振り抜く音が残響のように、俺の耳に響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る