第7話 恒久魔法


 申し訳なさそうな、気まずそうな顔でリディアはフィルの少し後ろを歩いている。小柄な少女はフィルの胸辺りまでしかないので、歩幅を合わせなければあっという間に二人の間は離れてしまう。

 気乗りしない様子のリディアの歩調はゆっくりで、このまま合わせていては暗くなる前に送り届けることは難しい。


「やっぱり一緒に帰るのは嫌かな」


 こうして歩いているとあの事件の事が思い出されてフィルも辛い。

 あの時もリディアは少し後ろを歩いてついてきた。


 なんの疑いも抱かずに。


「違うよ!ただ、迷惑だろうなって思って」

「迷惑じゃないから。少しだけ急ごう。帰りが遅いと心配するよ」


 促すとリディアは頷いて速度を上げる。

 鞄の紐をぎゅっと握って前をしっかりと見て歩く姿は子どもの様でありながら、己に逃げることを許さない強い女性のようにも見えた。


 常に彼女はその大きな瞳で理不尽な現実を見つめ、憤りを顕にしていた。

 辛い時も、悲しい時もひとりで道を選び進んできた。

 危うく、際どい所を綱渡りで。


「あのね。わたしずっとフィルに謝らなきゃって思ってて」


 フィルの右隣りまで早足で並ぶとチラリと上目遣いで見る。

 足を交わすたびに鳴る鈴の音が軽やかに耳に響く。


「なにを?謝られるようなことリディアはしてないけど」

「したよ。だってわたし学期末テストの順位三十番より下だったし。折角フィルに教えてもらったのに」

「それはきっとぼくの教え方が下手だったんだよ。ごめんね」

「違うよ。フィルは悪くない。わたしがダメだったの。集中できなかったし、勉強がちっとも面白くなくて」


 目を伏せてため息を吐くとリディアは魔方陣へと続く階段を小走りで上る。

 淡い光を放つ魔方陣は学園創設者グラウィンドが施した恒久魔法だ。

 この世界の魔法の源が尽きるまで消えることは無い魔法。


 永遠など想像もつかない。


「だから。一生懸命教えてくれたのにごめんなさい」


 勢いよく頭を下げて謝罪しリディアは少しすっきりした顔で微笑んだ。


 だから。

 そんな顔で笑いかけないで欲しい。


 だって。

 罪は消えない。


 フィルはディアモンドに来て直ぐにテミラーナ家の前まで行き、気付かれないように覗き見た。

 リディアが未だに暗示を解いていないことを知り深く動揺し、己と母の犯した罪の深さに恐怖した。

 どうか幸せな日々を送っていますようにと祈るように魔法都市トラカンからやってきたフィルにとってその事実は信じがたい物で、こうしてのうのうと生きている自分がとても汚らわしく唾棄すべき人間に思えた。


 生きている価値の無い人間。

 それが自分。


 できることはただ彼女を見守り、無事に暗示を解くために必要なことをする。

 そのためには母を説得するという難題があった。

 あれこれと思い悩んでいる内に魔法学園に入学して一年が経ち二年に上がった頃、新入生の中にリディアの姿を見つけた時の衝撃。


 リディアは自分の力でかけられた呪いを解こうと入学してきた。


 気が付けばいつも彼女の姿を探して見つめている自分がいた。

 変わっているといわれても動じず、必死に魔法へと向かうリディアは鬼気迫るというよりは生き生きとしていて。


 羨ましかった。

 眩しかった。

 ただ眺めていられればそれだけで良かったのに。


 赦され、笑いかけられるなど考えてもいなかった。


「フィル?」

「なんでもない。リディアはなにも悪くない。悪いのは全部ぼくだ」

「そんなことないのに」


 不服そうなリディアは首を傾げて魔方陣の真ん中へと歩む。

 急がなければ鐘が六つなる。

 門限の時間が近づいていた。

 フィルも急いで中央へと向かうと濃厚な匂いと輝きに包まれて転移の魔法が発動する気配に眩暈がする。


 恒久魔法は威力が強く、感度の強い者には少々刺激が強すぎる。


 魔法酔いと呼ばれる現象で、かけた術者の魔力が流れ込み自分の中の魔力と衝突を起こして眩暈や吐き気をもよおす。


 グラウィンドがこの魔方陣をここに敷いたのは四百二十年前なので、その魔力が今フィルに影響を及ぼしているのだと考えるとどれほどの魔力を創設者が持っていたのか――想像するだけで気が遠くなる。


 内臓が浮き上がり、平衡感覚を失った身体がディアモンドの街へと移動を終えると、耳鳴りが止み虚脱感だけが残る。


「大丈夫?顔色悪いけど」


 そっと小さな指が腕に触れる。

 覗き込んでくる緑の大きな瞳に己の顔が映り込んでいてびくりと肩を跳ね上げた。


 近い。


「大丈夫。いつものことだから」


 目を反らして不自然にならないよう十分注意してリディアから半歩だけ離れる。

 フィルの肌の上にざわついた感触だけを残して触れていただけの指はあっさりと外れた。


「そっか。酔うんだ。それだけフィルに魔法の才能あるってことだね。でも登校する度に酔うんじゃ大変」


 魔方陣から出てリディアは階段を下りる。

 そしてにこりと笑って「ここで大丈夫。そのまま真っ直ぐ帰った方がフィルの家近いんだし。具合も悪そうだから」じゃあねと手を振って門へと走って行く。


 その後ろ姿が赤く染まる道へと去って行くのを黙って眺めて。


 そうだ。

 黙って見てればいいのに。


 足は勝手に四百二十年前に敷かれたままの石畳を門へと向かって動いていた。

 下校時間が遅くなると門の鉄の扉は閉ざされてしまい、脇にある小さい木の扉を開けて通りへと出なければならない。

 その扉は意外に重く体重をかけて押し開けないと開かないのだ。

 扉に手間取っているリディアに追いつき、フィルは後ろから手を伸ばして開けるのを手伝った。


「ありがとう」


 礼をいいリディアは“学びの通り”へと出た。

 右手側に行くとフィルとヘレーネの住む下宿街へ。

 左手に向かうと魔法使いギルドの前を経て“知識の通り”に行きあたり、そしてそれを南下して行くと王城前広場へと繋がっている。


 リディアの住んでいる住宅街は王城の周りに広がる旧市街を囲む城壁をぐるりと回って東側にあった。

 城壁の周りには王都を護る“サルビア騎士団”がよく巡回をしていて一番安全な道ではある。

 だが距離は長く、宿場街と歓楽街も近いので危険は無いとはいい難い。


「ちゃんと家まで送るよ」

「でも」

「こんなことぼくがいうのもあれなんだけど、物騒だからね」


 人の集まる王都には色んな人間がいる。

 善良な人間だけではなく、善良そうな顔をした悪人が沢山いるのだ。


 そう。

 自分のように。


「暗くなるのにひとりで帰ったらなにが起こるか解らないよ」

「……子ども扱いして」


 口をへの字にしてリディアは左に顔を向け、“知識の通り”へと向かって急ぎ足で歩き出す。

 その後ろをついて行きながら苦笑した。


 子ども扱いしていないから送るのだが。


 そんなことなど理解できない少女は少しでも早く家に辿り着けるようにと忙しなく脚を動かして行く。


「物好き」

「え?」


 必死に歩いているリディアは息が上がっていて、その息継ぎの間に呟かれた言葉は酷く聞き取り辛かった。

 “知識の通り”に面している魔法道具屋や魔法書の店などには魔法の灯りが灯され、茜色から菫色へと変わり始めた道に温かなオレンジ色の光を投げかけている。

 店からの灯りが道を照らす反面、その光が届かない影の部分は濃さを増す。


「物好き、っていったの!」


 門を出てから黙々と歩いていたので、その言葉がなぜリディアの口から出たのか解らない。


 物好きと評されているのは自分だろうか?

 恐らくはそうで。


 だがなにが原因でそう思われたのか。

 解らないのでそう聞き返すとリディアは驚いたように瞳を丸くしてちらりと背後のフィルを振り返り、またすぐに前を向く。


「あそこで別れた方が近いのに、わざわざ遠いわたしの家まで送るなんて物好きとしか思えないよ。セシルに無理矢理わたしの御守りを押し付けられただけなのに、真面目だからフィルは最後まで面倒見て」


 緩い下り坂を下り切って広場に出るとリディアが疲れたように足を止めた。

 乱れた呼吸を鎮めるように何度か深呼吸してから、ぐいっと上気した頬を拭う。


「最近セシルはわたしを避けてるの。だから面倒で。丁度良い所に来たフィルに押し付けただけだから。ここまででいい。ここからはひとりで帰れるから」

「でも」

「お願い。これ以上フィルに迷惑かけるのいやなの」

「迷惑なんて」

「ほんとに?わたしを避けてるのはセシルだけじゃない。フィルだってわたしを」


 薄闇の中で少女の瞳がきらりと輝く。

 悔しそうに眉を寄せ、唇を噛んだリディアが身体を寄せてきた。

 柔らかそうな体と温もりにフィルは条件反射で大きく後ろへと逃げる。


 リディアの瞳が一瞬で陰り、涙で潤む。


「避けてるじゃない!」


 鞄の紐を握り、顔を真っ赤にして泣く姿はやはりまだ幼くて。

 それなのに斜め掛けされた鞄が食い込んで膨らむその胸には男の邪な眼を惹く物がある。


 フィルは息を止めて目を反らす。


「も、やだ。ほんと、やだ。折角できた友達を失うなんて、苦しいよ」

「ごめん。そんなつもりじゃ」


 リディアが望んでいるのは友達だ。

 だから。


「どうすればいいの?どうしたら前みたいになれるの?」


 “前”が一体どの辺りの“前”なのか。

 子どもの頃のことなのか、つい数カ月か前のことなのか。


 フィルは“前”も“今”も変わっていない。

 ずっと。


「わたしが嫌いなら、優しくしないで。嫌いっていって。そしたらわたし」


 諦めるように努力するからと懇願されてもフィルにはどうしようもない。

 冷たくすることも嫌いだということもできるはずが無くて。

 途方に暮れた目で見上げるリディアの顔を見ることができない。


「……嫌いなんかじゃない。それに避けてるつもりも全く無いよ」

「ちゃんと目を見ていって。じゃないと信じられない」


 これ以上傷つけるつもりなど毛頭無い。

 フィルは一度目をぎゅっと瞑ってから心を落ち着かせ、平常通りの笑顔を顔に張り付けた。

 ゆっくりとリディアの目を見つめて「嫌いじゃないから。安心して」と繰り返す。


「……解った。でも今日は送らなくていいから」

「リディア」

「いいから」


 押し切られフィルは小さく頷いた。

 リディアが「ばいばい」と呟いて走って行く。

 通りは薄闇に包まれていて直ぐに小柄な少女の姿は見えなくなる。

 息苦しくて必死に空気を貪り、空を見上げた。


 星が輝き、潮を含んだ風が南から吹いてくる。

 目を転じると“知識の通り”には魔法の灯りの妖しくも温かな光で闇に浮かび上がっていた。

 その中に吸い込まれるようにフィルは歩いて行く。


 こんなに魔法が嫌いなのに、やはり魔法に焦がれる矛盾する自分の気持ちを持て余して、いっそ堕ちる所まで堕ちてしまえれば楽なのにと唇を歪めて笑った。

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