第5話 文化祭①

 夏休みが終わって、残暑が続いている。まだセミがミンミンと五月蝿うるさい、そんな九月。

 楽しい休み明けで陰鬱いんうつとした空気がただようものかと思いきや、学校を歩けばどこもかしこもどこか浮き足立っている。それもそのはず。もう少しで文化祭なのだ。気づけばあと二日後に迫っている。

 わいわい、がやがや、そこらかしこでお祭り騒ぎ。普段は静かな校舎裏でさえ、文化祭準備で出たゴミを捨てにくる人たちでにぎわっている。そうなれば、私のクラスも例外ではないわけで。

「そっち手空いてる人いる!?」

「ねえ、養生ようじょうテープ知らん?」

「え、知らない。あそこらへんじゃない?」

「さっき探したけどなかったの」

「ごめん、俺が持ってる!」

 授業も午前中で終わる、文化祭二日前。私のクラスである2年B組は教室でやる出し物のため、教室を大改造中だ。

「ねぇ衣装どうなった?」

「え、無理。終わんない。当たり前じゃん」

「ねー、ここの装飾どうすんのー」

「待ってってば!」

「誰だよ、ここにゴミ置いた奴!! 上履きにくっついて取れないんだけど!?」

 ……まぁ、とても殺伐さつばつとしている。去年もそうだった気がするわ。そういうものなのね、きっと。

 そんな殺伐とした中、私はというと、隅っこで、積もったほこりみたいに大人しく座っている。本当はね、私だって手伝いたいのよ。けれど、何かやることはあるかしら? とか、手伝いましょうか? とか聞いても、何もない、大丈夫と言われてしまうの。ネコの手でも借りたい! ってぼやいてるくせに。私というネコの手をぞんざいに扱うなんてあんまりだわ。何がお気に召さないのかわからないけれど、ネコの手でり好みするんじゃないわよ。

 私は一つ、ため息をつく。あぁ、なんでもいいから何かできないかしら。これじゃあ去年と同じく何も楽しくなかった文化祭で終わってしまうわ。

「誰か買い出し行ってきてくんない? 本格的に準備始めたら足りないものばっかだわ」

 クラスメイトの女の子が前扉から顔を出して、教室によく通る声で言う。

「私行けます…! 私に行かせて」

 たぶん、女の子から一番遠い場所。私は思わず立ち上がる。これはチャンスだわ…!

「立花さん……でも、たくさん頼もうと思ってるし……」

 煮え切らない言い方をする女の子。……私に頼みたくないならそう言えばいいのに。

「私、こう見えても力持ちなのよ」

「うーん……」

 女の子は助けを求めるように教室を見渡す。私ってそんなにか弱く見えるかしら。

 ……もう、いいか? いいじゃない。今年もキラキラとどこか別世界の学校を見つめて、一人即席でできたベンチにでも座っていれば。諦めたら楽になってしまうこと、私は知ってるもの。

 ごめんなさい、何でもないわ。そんな当たりさわりのないことを言って、勢いよく天井をさした腕を下ろそうと思った時だった。

「じゃあ僕が付いてくよ。荷物係として男一人いれば充分でしょ」

 そんなことを言って立ち上がったのは、まぎれもなく彼だった。

「はあ? お前一人だけサボろうだなんてずるいぞ!」

「いや、荷物持ちだってば。しかも今、僕ら喋ってただけじゃん」

 周りの男子にぶーぶーと文句を言われながら、彼は女の子の前まで歩いて行って、私を振り返る。

「ほら、行こう立花さん」

 あぁもう。彼という人は……。彼の細められた目に私が映っている。

「そういうことなら二人にお願いするわ。買うものは……これね。今、メッセージで送った。あと必要なものが出てき次第、随時ずいじ連絡するからちゃんとLINE見てよね」

「へいへい」

「うわ、ぜんっぜん信用ならない返事」

 女の子が白い目で彼を見るけれど、彼はツンとしてそっぽを向く。女の子は一つため息をつく。

「立花さん、どうかよろしくね」

「ええ、もちろん」

 彼女は私を見てそう言った。役割を与えられたことがどこか誇らしくて、嬉しくて、高鳴る胸のおもむくまま、私は笑顔で返事をした。


「あれと、それと、これと……よし、頼まれていたものは買えているわ」

 私は大きなビニール袋を両手で持ち直して、その場に姿勢を正して立つ。

 買い出しのために、学校の最寄駅の近くにあるショッピングモールに来て、買い物をして、それから……ビニール袋の中を引っき回すこと早数回。彼が手分けして買った方が早いと言うから店を分かれて買い物をしたものの、私が早く終わってしまったのか、彼が遅いのか、店の前で待つこと十数分。何もすることがないと不安になってしまうのよ。こんなに何度もチェックしたって結果は変わらないのに……。彼、早く戻ってこないかしら。

 彼の元に向かうにしたって、彼がどこで買い物をしているのかもわからないし、さっきから連絡を取ろうと試みているけれど、まるで返信のきざしはなし。あんまりだわ。

 ……買い出しって、もっとこう、楽しいものだと思ったのに。彼ったらてんで事務的だし。なぜか今日は不機嫌だし。

 あぁきっと私、今とっても不機嫌な顔をしているわ。

「お待たせ」

「きゃっ!?」

 頰に突然当てられた冷たいものに、私は飛び上がって驚く。バッと横を向くとクスクスと楽しそうに笑う彼がいた。

「……ほんとう、待ちくたびれたわ」

「ごめんね」

 口では謝りながらも全然悪びれていない彼。……まぁ、いいわ。そんなことよりさっきの冷たいものは何? 私の考えていることを察したのか、彼は左手に持つものを差し出してくる。

「さっきそこで17アイスがあって、思わず買っちゃった。好きな方どうぞ」

 三角錐型の初めて見るそれ。それにしてもアイスだなんて突然ね? 確かにここまでとても暑かったけれど。

「えっと、お代は……」

「いいよ、いいよ。気にしないで」

 お財布を開こうとする私の手を彼は制す。私はむっとする。気にしない方が無理でしょう? けれど彼は一歩もゆずる気がなさそうだった。しばらく彼を睨み付けるも、私は折れることにする。

 彼が持っていたのは、木苺のチーズケーキと、カスタードプリン。相談もなしに買ってくるのならバニラとかイチゴとか、もっと定番の味を買ってくるものではなくて? ……うーん、この二つなら……木イチゴは好きだし、こちらの方かしら。

 木苺のチーズケーキの方を彼の手から抜き取ると、彼は可笑おかしそうにクスクスと笑う。

「……なによ」

「木苺は好き?」

 答えになっていないわよ、と思いつつ私はうなずく。

「そっか、そっか」

 彼はとても嬉しそうにニコニコと笑う。変な人ね。

「……そういえば、さっきまで機嫌が悪いように見えたのだけれど、もういいの?」

 私はアイスをまじまじと眺めながら彼に尋ねる。セブンティーンアイスと言ったかしら? 初めて知ったわ。……ここから開ければいいのよね。

 ゴミをどうしようかと考えつつ、出てきたアイスに……パクリとかぶりつく。あ、美味しい。

「……貴女って人は……」

 彼が何かを小さく呟く。私は不思議に思って彼を見上げるけれど、彼は変わらずにこりと笑っていた。

「別に機嫌が悪かったなんてことはないよ。そう思わせちゃったならごめんね」

「それならいいけれど……」

「うん、ありがとう」

 彼は私の頭をポンポンと優しく撫でてくる。どうして「ありがとう」だなんて言うのかしら…?

「アイス美味しい?」

「あ、ええ、美味しいわ」

「そっか」

 彼はニコニコと本当に機嫌が良さそうに笑う。本当に何? 気味が悪いくらいに今日のこの人は変だわ。

「そうだ。僕のも一口どうぞ」

 いつの間に開けていたのか、丸裸になった黄色のアイスを私の前に差し出してくる彼。私は一瞬ためらいつつ、差し出されたアイスを口に入れる。

「どう?」

「美味しいわ」

「それはよかった。どっちの方が好き? よかったら交換するよ」

「……こっちがいい」

「ふふふ、そっか、そっか」

 私は木苺のチーズケーキの方を口に運ぶ。彼はまた私の頭を撫でる。本当にどうしたのかしら…? 挙動きょどうがいちいち可笑しいわ……。

「じゃあ買い出しも必要なものをそろえられたし、学校に戻ろうか」

「ええ、そうね」

 私は運びやすいようにビニール袋を持ち替える。

「ゴミもらうね」

「あっちょっ、」

 彼は私が片手に握ったアイスのゴミを颯爽さっそうと持ち逃げして先を歩いて行く。お礼を言う暇もないわ、もう。

 私は彼の楽しげな背中へ向かって駆けて行く。そうね、お礼を言うのはゴミだけにではないわね。駆けるために上げた足の速度を落としつつ、私は彼の隣へと並び立つ。

「ねぇ、ありがとう」

 クラスで私を助けてくれたこと、こうやって私を楽しませてくれようとしていること、全部の感謝を込めて私は笑う。

 ……もう、こうやって借金がどんどん増えていく気がするわ。アイスを一口食べて、舌の上で溶けるイチゴのソースが掛かったチーズケーキの風味を堪能する。きっとこの味も、私は忘れない。あぁ、なんて甘い借金なんでしょう。嫌になってくるわ。でも、それでも、そんなことを考えながら笑ってしまう自分がいる。私も大概変な人ね。

 そうやって私が笑っている横で、彼がどんな顔をしていたのか、そちらを見ていなかった私には今も、これからも知るよしはない。

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