第19話:鳴海という“案内人”

観測教室の空気が、変わった。

教室の隅に置かれた時計の針が止まり、

窓の外に見えていた“灰色の空”が、

一瞬だけ、深い紅に染まった。


「……時間が進まなくなってる?」


深沢の呟きに、桜木が首を振る。


「違う。ここは今、“選ばれるまでの間”に入ったんだよ。

存在の観測が重なったとき、この教室は“境目”になる」


「境目……?」


そのとき、教室のドアが、ギィ……と開いた。


入ってきたのは──


「ようやく来たね。ふたりとも」


黒いカーディガンに、少し眠そうな目。

けれどその奥には、誰よりも澄んだ視線が宿っている。


鳴海。


**


「……お前……どうしてここに……」


深沢が問いかけると、鳴海は軽く笑った。


「うん。今日はちゃんと答えるつもりだよ。

私は《観測教室の管理者》。でも正確には、そうじゃない」


彼女は、静かに教室の奥に歩み寄る。


「私は、“記憶の使者”。

忘れられた名前を“観測の形”で繋ぎ止める役目を持ってる」


「じゃあ……最初から全部、知ってたのか?

儀式のことも、“十四人目”のことも……」


「うん。そして桜木紗季のことも、深沢湊のことも」


**


鳴海は、一冊の“薄い名簿”を取り出した。


「これが《最初の霧ヶ丘高校3年C組》の名簿。

十三人目までしか載っていないけれど、

最後のページには、“書きかけの十四番”がある」


深沢は覗き込む。


そのページは、破れていた。

だが、うっすらと鉛筆でこう書かれていた。


『十四番 さくらぎ さ 』


「……“さき”……」


「その文字を書き足そうとしたのが、君だったの。深沢くん」


「……俺が?」


「儀式の直前。誰かを守りたくて、君は桜木紗季の名前を名簿に書こうとした。

でも──その行為が、“存在の順序”を壊した」


桜木が、息をのんだ。


「私が……“消された”原因……」


鳴海は頷いた。


「名簿の外にいた者が、先に記録されそうになった。

それで、教室は“崩れた”。

記憶の整合性を保つために、君たちは“観測の外”に追いやられた」


**


「じゃあ、全部俺のせいだったのかよ……」


深沢が顔を伏せた瞬間、桜木がそっと手を握った。


「違うよ。

私は、あの時“誰かに選ばれた”って分かった。

それが、嬉しかったの」


彼女の手は、小さく震えていたが、温かかった。


**


鳴海は小さく笑った。


「いい関係だね。

でも……それでも、どちらかは“戻れない”よ」


「……え?」


「この教室はもう、限界。

存在を取り戻せるのは、どちらかひとりだけ」


深沢も、桜木も、言葉を失った。


「“名前”を完全に取り戻すには、他の十三人に“思い出される必要”がある。

だけどそれができるのは、片方だけ。

もう一度あの教室に“十四人目”として戻るには、

誰かの記憶を犠牲にしなきゃいけない」


「……選べってのか……?」


鳴海は小さく首を振った。


「選ぶんじゃない。

──“記憶が選ぶ”。

どちらの名前が、“より深く刻まれていたか”。それだけ」


**


教室の天井が、ミシリと鳴った。


黒板に、新たな文字が浮かび上がる。


『記憶の儀式、再構成を開始します。

選ばれし十四人目、投票まで残り3日。』


鳴海がぽつりと呟いた。


「残された時間は、あと3日。

どちらかの存在が、記憶の海に完全に“消える”」


深沢は、桜木の顔を見た。

桜木も、深沢の目を見た。


──どちらかが、生き残る。

──どちらかが、すべての記憶から消える。


そして、誰にも気づかれないまま“最初からいなかった”ことになる。


**


深沢が、静かに呟いた。


「なら……やってやるよ。

“俺はいた”って、全員に思い出させてやる」


**


“観測教室”の壁が、音もなくひび割れた。


その奥に、十三人の顔写真が貼られた“記憶の部屋”が現れた。


ここから先は、もう後戻りはできない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る