第4話:図書室の鍵

昼休み。

 廊下に人の気配が減ってきたのを見計らって、俺は図書室へ向かった。


 


 「……閉架資料室を、見たい?」


 


 受付カウンターにいた図書委員の女子が眉をひそめる。

 眼鏡の奥で、目だけが冷めたように光っていた。


 


 「ダメですよ。申請もないし、先生の許可も必要だし──」


 


 「……じゃあ、申請するから」


 


 思わず食い気味に返すと、彼女はしばらく黙って俺を見た。

 それから、棚の奥の鍵束に手を伸ばして──


 


 「申請は……してないことに、してあげます」


 


 無言で鍵を渡された。

 手が少し、汗ばんでいた。


 


 図書室の奥、書架の隙間に小さな鉄扉がある。

 【閉架資料室】──とだけ刻まれたプレートが、やけに重々しく見えた。


 


 鍵を差し込むと、「カチリ」と鈍い音が鳴る。

 ドアを開けた瞬間、埃と古紙の匂いが鼻をついた。


 


 中は、冷房もないはずなのに妙にひんやりしていた。

 窓もないのに、どこかで風が通り抜けているような気配。


 


 ──ここだけ、時間の流れが違う。


 


 そんな錯覚すらあった。


 


 背表紙の文字はかすれていて、書類も一部は黄ばんで破れている。

 その中から、目当ての資料を探し出すのは骨だった。


 


 「霧ヶ丘高校 過去記録簿」

 その中の“死亡・退学者一覧”に、ある名前を見つけた。


 


【藤咲ルナ C組 在籍期間:不明 記録抹消(管理番号なし)】


 


 ……記録、抹消?


 


 退学や死亡といった記述すらない。

 あたかも“もともと存在していなかった”という扱い。


 


 でも、そこに記された“ルナ”の名前だけが──黒く太く、にじむように残っていた。


 


 「なに、してんの?」


 


 背後から、声がした。


 


 振り返ると、そこには白神ミオがいた。

 制服のリボンがほどけていて、表情もさっきの昼休みとはまるで違う。


 


 「……なんで、ここに?」


 


 ミオは少し笑って、書架の間にスッと入ってくる。


 「深沢くんって、執念深いんだね。そんなに知りたいんだ、ルナのこと」


 


 「知ってるのか……?」


 


 彼女はうなずかなかった。

 けれど、何かを知っている目だった。


 


 「言っておくけど、“名前を呼んだら、つながっちゃう”って噂、知ってる?」


 「……なに?」


 「都市伝説じゃないよ。“本当に呼んじゃった”人は、もう元に戻れない」


 


 彼女はそう言い残すと、ふいに目を伏せて言った。


 


 「ルナは、……もともと“うちのクラス”じゃなかったよ」


 


 「じゃあ、誰の──」


 


 「──言ったでしょ。深入り、しない方がいいって」


 


 そう言って彼女は背を向けた。


 


 そのとき。

 書架の影から、“カタン”という音がした。


 


 誰もいないはずの棚の間。

 何かが、落ちたような音。


 


 ……いや、違う。

 「誰もいない」なんて、俺が勝手に決めつけていただけで──


 


 壁際の書架に、誰かが立っている。


 


 白いワイシャツ。

 黒髪。

 顔は──見えない。


 


 ただ、こちらを見ていた。


 


 気づくと、俺のノートにまた一行──


 


「みんな、忘れてくれてありがとう」


 

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