第16話 人を見かけで判断しない
秋が訪れた。
森の木々は赤く色づき、動物たちは景気よく走り回っている。夜になれば昆虫たちが一斉に鳴き始め、昨晩のそれはさながら、月夜を美しく彩るオーケストラだった。
などと感傷に浸るくらいには、俺の心は回復していた。
ジェイクさんに持ちかけた取引が不発に終わり、洞窟に帰ってからゴブリンたちの罵詈雑言を浴びて、俺はだいぶ落ち込んでいた。
たかが一度の失敗で凹みすぎだとは我ながら思ったが、それまでが順調すぎたのが良くなかったのかもしれない。
ともかく、それからは今まで通りの生活を送っている。秋の実りは思っていた以上に俺たちの食を豊かにしてくれていた。
朝飯の果実――リンゴっぽいなにかだ――を齧り、その甘みとジューシーな果汁を堪能する。
「うっまぁ……これヒノキの箱に入れて売れるぞ」
「マダ商売ノコト考エテルノ!?」
一緒に食事をしていたジャンプくんが、俺を叱るように指さした。
今の発言は前世の知識に引っ張られてのものだったので他意はないが、説明しても分からないだろうから、「いやいや」と首を横に振る。
「もう考えていませんよ。他の方法があればとは思いますけど」
「人間ト仲良クシナクテモ、ヨクナイ!?」
「それはダメです。近所に住んでるんだから、仲良くしないと」
「メンドイ!!」
「それはまぁ、ちょっと分かりますけどね」
人付き合いは、時に億劫になる。それは良く分かる。かく言う俺もサラリーマン時代は会社での人間関係に疲れてしまって、マンションの隣に住んでいる人と会話をしようという気すら起きなかった。
だが、今の状況はそういう付き合いとは違う。互いにいがみ合わず快適に暮らすために、双方の敵意だけでもなくしておきたいものだ。
食べ終わった果物を土に埋め、俺はジャンプくんと森の中へ入っていった。
秋は森の実りが多いため、魚釣りより採取に人手が欲しい。そのため、俺は釣りから木の実狩りに仕事をシフトしているのだ。
工作班が作ってくれた大きな木籠を背負って、手が届く範囲の果実をもいでは籠に入れていく。
ジャンプくんは木々を飛び移っては木の実や果物を手に取って、次々に俺の籠へと投げ入れている。果物が潰れないかと心配になるが、柔らかいものはその場で食べて選別しているらしい。
あっという間に満杯になり、一度洞窟に戻って籠の中身を置いてから、また森へ出かける。あまり取り過ぎると森の生態系に良くない気がするが、どれだけ採ってもまったく尽きる様子がないのが、この森の不思議なところだ。
二杯目も満杯になろうかという頃、背後でガサガサと音が鳴った。ゴブリンの誰かか、あるいはジェイクさんかしらと思って振り返ると、知らない若い男が立っていた。
弓矢を背負った短い黒髪の男は、短剣を両手で握りしめ、俺に向かって叫んだ。
「見つけたぞゲボカス豚野郎ッ!! 先生が言うから見逃してやってたが、今日という今日は地獄の肥溜めに叩き込んでやる! てめぇにゃ汚物を啜ってるのがお似合いなんだよクソ虫がッ!!」
村人のようだ。俺とジャンプくんは同時に両手を上げて降参を示した。
「こちらに攻撃の意志はありません、落ち着きましょう。あなた、ジェイクさんのお弟子さんですか? 初めまして」
「そうやって人間の物まねしてりゃ許されると思うなよボケナス! クソが俺たちの真似をしても俺たちの真似をしてるクソでしかねぇんだよ!」
「いつも思うんですけど、言い過ぎじゃないですか?」
「うるせぇ!! ゴブリンの盗み程度なら見逃してやったが、今回はそうはいかねぇぞ!!」
何か、様子がおかしい。俺たちが事件を起こしたような口ぶりだ。
ジャンプくんが木の上で困惑している。それは俺も同じだった。
「ちょっと待ってください。俺たち、村に何かご迷惑をおかけしましたか?」
「しらばっくれるな化け物が! ネタは上がってんだよ人食いの外道め!!」
「人食い……?」
本当に分からない。最近は果物ばっかりで動物性たんぱく質は魚しか食べないという、意識が低いヴィーガンみたいな暮らしをしていたというのに。
俺とジャンプくんが不可思議そうに首を傾げるのは話の内容が理解出来ていないからだが、ジェイクさんのお弟子さんはそれを挑発と取ったようだ。
ナイフの刃が煌く。手に力を込めたのだ。俺は反射的に防御の姿勢を取った。
その時、お弟子さんは背後から肩を掴まれ、びくりと体を揺らした。
彼を止めたのは、ジェイクさんだった。息が上がっていて、その顔には緊迫感が溢れている。
「間に合ったか」
「先生、なんで止めるんですか!? もうちょっとで豚野郎をぶっ刺してやれたのに!」
「落ち着け、ケビン。そのオークは違う。昨日もそう話したろう」
暴れる弟子のケビンさんはしかし、ジェイクさんに肩を掴まれて動けない様子だった。力の差は歴然、といったところか。
ケビンさんを抑え込みながら、ジェイクさんはこちらを見た。その目はやはり険しく、ただ事ではない何かが起こっていることが察せられた。
「なぁあんた。シフォンを見なかったか? 昨日の晩から、今日にかけて」
「いえ、こちらでは見ていませんが……」
念のためジャンプくんにも視線を送るが、彼は「見テナイ!!」と手でバツを示した。
まさか、シフォンちゃんが昨日の夜から行方不明だというのか。それは一大事だ。俺の背筋に冷たいものが駆け抜ける。
そんなこちらの気持ちを知らずに、ケビンさんが叫ぶ。
「お前らが食ったんだろうが!! しらばっくれんな!!」
「黙れ」
弟子が一瞬で顔面蒼白になるほど、ジェイクさんの声色は恐ろしく低かった。
普段は冷静な彼も、娘が失踪したせいで心が乱れている。当然だ。俺はその心情を慮りつつ、腕組みをした。
「しかし、夜の森に一人で入るなんて、シフォンちゃんも無茶なことを……。迷子になっているのなら、手伝います。ゴブリンたちにも探させますよ」
「ありがたい。だが、実はシフォンだけではないんだ。数日前から、村の子供たちが何人も行方不明になっている。毎日夜を徹して探しているんだが……誰も見つかっていない」
「なんですって!?」
それは大事件だ。子供たちが一斉にいなくなるなんて、それは化け物の仕業だと考えられても無理はない。
あるいは山賊などの悪党かもしれないが、どちらにせよろくなものではないだろう。
しかし、なぜ俺が疑われたのだろうか。ケビンさんは何かしらの確証を持って、俺たちに突っかかってきたように思える。
「あの、ケビンさんはなぜ、オークが食べたと思ったんですか?」
その問いには、ケビンさんではなくジェイクさんが答えてくれた。
「この森の向こうに見える岩山にも、オークが住んでいてな。俺が子供の頃から『山の人食いオーク』として語られているんだ。こいつもその昔話を聞いて育ったクチなんだよ」
「なるほど」
それは、村の人に俺が誤解されても仕方がないだろう。
しかし、ゴブリンたち曰く、俺の体があの洞窟に住み着いたのは五年から十年ほど前らしいので、実在したとしても、件の人食いオークは俺ではない。
もっとも、そう説明したところで信じるに足るものでもあるまい。ケビンさんの誤解を解くことよりも、シフォンちゃんと村の子供たちを探すことをが優先だ。
「ジェイクさん、手伝わせてもらえますか?」
「……力を貸してくれるのか」
「もちろんです。いつもお世話になっていますし、シフォンちゃんは俺と子分たちの友達ですから」
「すまない、恩に着る」
オークに頭を下げる師匠に、ケビンさんは不気味なものを前にしたかのように顔を顰めた。
このままでは、後から刺されかねない。俺はゴブリンたちを呼び戻す算段を立てつつ、ケビンさんへと手短に言った。
「例の人食いオークがいるという山に行きましょう。俺たちで」
「……なに?」
「森もゴブリンたちに探させますけど、村の皆さんが何日も探して見つからないなら、別の場所を当たる方がいいでしょう。他に候補がないなら、オークが住んでいる山も見に行くべきです。そして、相手が本当に人食いのオークなら、俺だけだと手に余るかもしれない。あなたやジェイクさんのように、武器を持っている人の力がいります」
「お前が、人食いオークと戦うっていうのか?」
「必要ならば」
はっきりと言い切る。ジャンプくんが息を呑んで見守る中、ケビンさんはジェイクさんに「聞き分けろ」と囁かれ、ようやく短剣を鞘に納めた。
「……もし、裏切る素振りを見せたら、お前は俺が仕留めるからな」
「それでいいです。ゴブリンたちを編成するので、一度うちに来てください」
有無を言わさず踵を返し、皆を引き連れて洞窟へ向かった。
事態は一刻を争う。俺たちの足取りは焦燥感に急かされて、自然と速くなっていた。
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