第05話 身だしなみはマナー
胃の中にたらふく食事を詰め込んだゴブリンたちは、満足げに寝転んだり、そのまま眠ったりしいる。
自分が食べ切れるだけの量を取るという約束だったが、中には器に食事を残してしまった者もいた。残したり捨てたりした場合は仕事量を増やすという罰則を与える約束なのだが、今回は初めてで加減も分からなかったろうから、見逃そうと思う。
それに、もしかしたら腹いっぱい飯を食えたのは、初めてのことかもしれないのだ。彼らが味わう幸福感に水を差すのは、野暮というものだろう。
俺も彼らと一緒に、果物と魚の干したのをいただいた。不公平は良くないので、なるべく彼らの量に合わせるようにしたのだが、この体でも意外と物足りなさは感じなかった。
満足げに転がるゴブリンたちを横目に、少し風に当たろうかと思い立ったので、洞窟の外に向かう。
出口では、手ぬぐいをマント代わりにしているゴブリンが番人をしていた。彼も満腹になったのだろう、土壁に背を預けて座り、眠そうにあくびをしている。「お疲れ様」と声をかけると、彼は振り向いて頭を下げた。
「異常はなさそうですか?」
「誰モキテナイ! 腹イッパイデ、眠イ!!」
「そうですか。食事はどうでした?」
「満足!! コンナニ食ベタコトナイ!!」
何よりである。しかし、他のゴブリンが満腹感を享受している中で、彼だけ見張りをがんばっているのは不公平かもしれない。
少し考え事もしたかったので、ちょうどいいだろう。
「見張りを代わります。あなたも休んでいてください」
「!?」
マントくんがひっくり返った。このオークが見張りを申し出ることなどなかったのだろうから、オーバーではあるものの当然の反応かもしれない。
狼狽えるゴブリンを立ち上がらせて、「いいからいいから」と背中を押す。彼はやや不審そうにこちらを振り返りつつ、洞窟の奥に消えていった。
地面に腰を下ろして、空を見上げた。茜色に染められた雲が、夜へと変わりゆく天蓋を泳いでいる。
星の配置などは違うのかもしれないが、夕焼け空は前の世界と同じように見える。
前の世界。自然とそう考えられてしまう自分に驚く。昨日の今日で様々なことが起こったが、どうしてオークの体に精神を憑依させることになったのかは、依然として分からないままだ。
死後の世界のことについては、あまり考えたことはなかった。それにしたって、消滅でも輪廻転生でもなく、異世界の異形に乗り移ることになるなど、どうして思いつくだろうか。
「……やっぱり夢なんじゃないかな」
独り言ちる。声はすぐに風に消えたが、その風が体を撫でる感触が、夢ではないと伝えてくるようだった。
やはり俺は、死んだのだろう。死体はどうなったのだろうか。事故に居合わせた人は嫌なものを見て、不幸だったと思う。
一緒に住んでいた親父には、葬儀の手配などで手を煩わせてしまった。それ以上に、お袋に先立たれて傷心していたところに、一人息子まで喪ってしまったのだから、より心を痛めているだろう。本当に不孝なことをした。
そして、こんな俺と恋仲になってくれた人。この人と生涯を暮らしたいと思えて、そう伝えようと思っていた人。俺が死んで、泣いてくれているだろうか。
彼女にも、もう会えないのだ。二度と。
「……」
頬を伝う水滴を拭う。今まで見ないようにしていた現実が、俺の心を打ちのめしてくる。
死んだ後に生前を想うことが、こんなに辛いとは。どのような理屈でオークに憑依したのかは知らないが、もし誰かの手によるものならば、せめて記憶だけでも消してくれたらよかったのにと思う。
あるいは、もう一度死ねばいいのかとも考える。前の精神には悪いけれども、この体と命に未練はない。
しかし、俺は覚えてしまっているのだ。脳天に固くて重い何かが直撃し、俺の中身が飛び散る感触を。命が消えゆく感覚を。
死は、怖い。否応なしに己が消えていくあの感じは、もう一度味わいたいと思えない。
それに、もしかしたら何かの拍子に、以前の姿に戻れるかもしれない。それこそ、本当は死んでいない可能性だってある。
「だから、生きていくしかないんだ」
オークとして。
最善とは思えないが、今はそれしかない。小さな希望に縋る以外に、今の俺に選択肢はないのだ。
夕日が沈み、夜が空を支配する。
虫たちが美しく鳴き始め、来たる宵闇を祝福しているようだった。
◆
翌日。やや寝不足の俺は、ゴブリンたちに朝食を配った後も、食料備蓄庫に留まっていた。
彼らがどこからかくすねてきたのだろう小綺麗な箱――ちゃんと洗ってある――に、木の実や状態のいい果実などを、丁寧に敷き詰めていく。
「この森で採れるものだから、お土産としては弱いけどなぁ」
しかし、手ぶらよりはマシなはずである。
しばらく悪戦苦闘した結果、我ながら美しく詰めることができた。慎重に蓋をして、洗濯したばかりの青い布で包む。
「よし、できたぞ」
渾身の作である。これならきっと、少なくとも手ぶらで謝罪に来た非常識な奴ということはなくなるはずだ。
そう、俺はこれから謝罪に向かう。昨日出会った、森に迷い込んだ挙句ゴブリンに攫われかけた、あの子の村へ。
にわかに緊張してくる。なにせ件の少女以外の人間に会うのは、オークになってから初めてなのだから。
その一発目が部下のやらかしに対する謝罪なのは思うところがあるが、まぁいい。第一印象が大事だ。
「そうだ、印象。何か着ないと」
上裸に腰蓑で謝罪に出向くのは、さすがに良くない。俺は自分の寝床に戻って、身に着ける物を探した。
しかし出てくるものといえば、何かの骨で作ったアクセサリーや威圧的な角飾りがついた毛皮のベスト、威厳を示す効果もあっただろうゴテゴテに装飾された大斧などなど。
「蛮族グッズしかねぇ……!」
それはそうだ。オークなのだから、何も間違ってはいない。
取り急ぎ、毛皮のベストから角飾りなどを取り払い、なるべくシンプルにしてみた。文字通り裸に毛が生えた程度だが、何も着ないよりは文化的に見えるだろう。
しかし、もう少し何とかならないだろうか。こう、フォーマルで清潔感を醸し出せるものが……。
その時、寝床の横に赤い布切れが転がっているのが見えた。縦長で、もしかしたらふんどしか何かだったのかもしれない。
俺はあることを思いつき、石のナイフでその布を裂いた。形が重要だ。美しく仕上げなければならない。
上手いこと形を整えられた布を首に巻き、慣れた手つきで結んで整える。鏡がないので、水瓶に映る姿で確認した。
俺は、会心の笑みを禁じ得なかった。
「完璧じゃないか……」
呟く俺の背後を、ゴブリンが通過した。
食料調達係らしく鞄を背負った彼は、毛皮のベストを着た俺と、俺の首元に巻かれた赤い布を見て、不思議そうな顔をした。
「親分、ナニソレ!?」
「どうです? これ」
「変!!」
「……この良さが分からないかぁ」
去っていく鞄くんを見送ってから、俺はもう一度水瓶を覗き込んだ。
そこには、緑の裸体に毛皮のベストを身に着け赤いネクタイを結んだ、若干フォーマル気味なオークが、微笑みを湛えている姿が映っていた。
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