第8話:第二章「南門の影」
## 第八話:第二章「南門の影」
ギルド本部から出発してある程度進んだ所でレオンは南門の手前にある緩やかな坂を下りながら、時折空を見上げた。
雲は低く、どこか緊張を孕んだ風が吹いている。
(……何かが、動いてる。そんな気がする)
都市の外れにある南支部は、蒼穹ギルドの中でも辺境寄りの対応を任される部署で、規模は小さいが精鋭が集められている。情報の集積地としては、都市の本部よりも“現場寄り”な視点を持つ場所だった。
支部の建物は質素な石造り。看板は少し錆びていて、地元に根差した実用本位の雰囲気があった。
扉を開けると、受付にいた青年が振り返った。
「ん? 本部の人間か?」
「レオン。蒼穹ギルド本部所属。ミーナの依頼で、報告書と資料の受け渡しに来た」
「ほう、話は聞いてる。“噂の新入り”さんか」
青年は笑いながら手を差し出し、封筒を受け取った。
「俺はゼクス。ここでは一応、書類仕事を任されてるが……まあ、冒険者も兼ねてる」
「器用ですね」
「田舎の支部なんてのはな、何でも屋みたいなもんだ。ときに、レオン。ちょっと気になる話があってな。帰る前に聞いていかないか?」
レオンは眉をひそめた。
「“気になる話”?」
「ああ。南の森で、数日前から“人が消えてる”んだ。しかも、全員が“無抵抗”だったって噂」
「無抵抗で?」
「痕跡も争った形跡もない。魔物に襲われたにしては、異様なほど静かな失踪だ」
ゼクスは紙の束から一枚抜き取り、レオンに見せた。
そこには、失踪した三人の名前と特徴が書かれていた。共通点は少ない――ただ一つを除いて。
「全員、“魔法に関する素養があった”」
その言葉に、レオンの指先がわずかに動いた。
「つまり、狙いは“魔力持ち”か……?」
「可能性としてはな。あと、これも偶然かもしれんが、全員が一度は“南門近くの廃教会”に出入りしていたらしい」
「……廃教会?」
ゼクスは地図を指さした。
「ここだ。都市の敷地外にある。かつてこの地域に信仰されていた“記憶の神”の神殿跡。だが今は放置され、誰も近づかない」
(記憶……?)
レオンの中で、奇妙な違和感が泡のように浮き上がった。
この世界に転生してから、ずっと“記憶”を武器にしてきた。それは生前の記憶であり、世界を観察する目であり、そして《記憶再現》というスキルでもある。
(……まさか、関係ないとは思いたいが)
レオンは、資料を懐に戻しながら答えた。
「話を聞けてよかった。情報提供、感謝します」
「気をつけろよ。あそこには何かがいる――“名前のない何か”が」
---
その夜。ギルドに戻ったレオンは、自室でひとり地図を広げていた。
魔素の流れ、森の地形、支部で受け取った調査記録。
机の上には簡易魔法検知機が置かれており、常に周囲の魔力の波を記録している。
(南の森。異常魔素の流れ。それに“記憶の神”の教会……)
だが考えれば考えるほど、答えは霧の中に溶けていく。
そのとき、扉がノックされた。
「……レオンさん、起きてますか?」
ナリアの声だった。
「どうした?」
「……さっきミーナさんから、明日の仕事の予定表を預かりました」
扉を開けると、ナリアは真面目な顔で小さな冊子を差し出した。
「ありがとう。……こんな時間まで?」
「勉強のあとに帳簿を整理してたら、つい遅くなって……」
レオンは少し考えてから言った。
「その……あまり無理はするなよ。知識なんて、無理やり詰め込んだって意味がない」
ナリアはきょとんとしたあと、ふっと笑った。
「……でも、“世界を知る”って、楽しいです。知らないことを知ると、自分が少しだけ自由になる気がして」
「……自由ね」
その言葉が、なぜかレオンの胸に小さな痛みを残した。
生前、自由とは無縁だった。罪を被せられ、命を奪われ、そしてこの世界に放り込まれた。
ようやく得た“立ち位置”も、安定とは言い難い。
(だが――それでも)
レオンは小さくうなずいた。
「じゃあ、また明日な。……店番、頑張れよ」
「はいっ」
ナリアが嬉しそうにうなずいて、廊下を軽やかに駆けていった。
扉が閉まると同時に、再び静寂が部屋を包む。
レオンは手元の資料に視線を戻した。
夜更け頃。部屋に灯る魔晶灯が、小さな書き込みを照らしていた。
地図の上には何本もの赤線が引かれ、ピンで止められた報告書が重なっている。レオンは椅子に深く座り、手帳をめくりながら独り言のように考えを漏らしていた。
「失踪者は三人。共通項は“魔力適性を持っていたこと”と“廃教会に接近していたこと”。争いの痕跡なし。痕跡も、叫び声もない。……自発的に消えた、もしくは意識を奪われた」
ページをめくる音がやけに大きく感じられる。
(誘拐か。だが手口があまりにも静かすぎる)
レオンは紙の端を指先で撫でながら続ける。
「魔力適性を持つ者を、静かに。短期間に三人も。“気配を消して近づける能力”か、“魔力を誘導する手段”を持っていた者の犯行……あるいは、場所そのものに誘導の要素がある」
そう言って彼は、地図の一点――廃教会に赤丸を付けた。
「記憶の神。つまり、人間の“思考や記憶”に干渉する系統の信仰だったと仮定して……」
指先でこめかみを叩く。
「教会そのものが“何かを記憶に植え込む”装置だったら? もしくは、“忘れさせる”罠だったら?」
魔法知識書を開き、《精神魔術》の項を探る。そこには、いくつかの術式とリスクが記されていた。
* **幻覚魔法**:五感を歪ませ、存在しないものを認識させる。
* **記憶混濁**:記憶の時間軸をずらし、特定の出来事を不明瞭にする。
* **精神拘束**:思考と行動を強制する。発動には高位の魔力干渉が必要。
ページを閉じ、深く息を吐いた。
「単独犯じゃない。複数で組織的に動いている。しかも、外から見えないよう細心の注意を払って」
そして、ふと目を細めた。
「……いや、“見えない”んじゃなくて、“見えていても気づけない”のかもな」
(そういえばそんなことをゼクスが言っていたな…)
――名前のない“何か”が動いている。
“名前がない”というのは、比喩ではない。もしかしたら、本当に名前を奪う力を持っているのかもしれない。
もし、記憶の神の残滓が“記憶を抜き取る”存在だとしたら。
(……記憶を喰う何かが、この街の外れにいる?)
背筋に冷たいものが走る。
“記憶”こそがレオンの最も重要な武器だ。騙す力も、観察力も、記憶と分析があるからこそ。
その武器を奪う存在がいるとすれば、まさに天敵といえる。
「……これは、下手に関わると危険かもしれないな」
だが。
危険だからこそ、レオンの目は冴えていた。
(なら、なおさら調べる価値がある。俺が何者かを証明するのは、こういうときだ)
事件の輪郭は、まだ霞の向こうにある。
けれど、そこに確かに存在する“何か”を――
レオンはその夜、全ての記録を頭に叩き込み、窓を見上げた。
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**(第八話:第三章へ続く)**
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