大半が海に沈んだ世界で、記憶と引き換えに白いシャチと共鳴しました

oruto

プロローグ

第1話 記憶と引き換えに

 ──世界の海は、裂けてしまった。


 その深く割れた裂け目──深層門アビスから噴き出した水と、特別な生き物が、地上を飲みこみ暮らしを変えてしまった。

 地表は遠い昔に消えた。

 それでも人は、生きる場所を求めて都市を浮かべた。


 これは、そんな海に沈んだ世界を生きる、とある少年の物語。




 ~~~~~


  潮の香りが、ほのかに香る。


 学園都市ノアへ向かう大型船のデッキには、制服姿の生徒たちが集まり始めていた。


 スピーカーからは航行情報と、軽快なBGM。

 雲ひとつない快晴で、海と空の境はなかった。


 ユウはその景色を眺め、ひとりで船の手すりにもたれていた。


「またサボってんのか、ユウ。出発式、もうすぐだぞ」


 背後から、幼馴染のカイトの声がした。

 短く刈った髪に、どこかワイルドさがにじむ少年。

 言いながら、当の本人も式に向かう気配はない。


「いやいや、船旅ってのはこういうもんでしょ?

 風に吹かれて、過去に思いを馳せたり」


「馳せてないだろ絶対。……なんだ、そのダサいポーズ」


「おいっ、俺の決め顔なのに……」


 笑ってごまかすユウに、カイトは小さくため息をついた。

 けれど、どこか楽しそうだ。


「ま、ユウがふざけてるときって、大体なにか考えてるときだよな」


「ん? バレてた?」


「付き合い長いからな。それに、真剣なときの顔、親父さんそっくりだし」


「……うそだろ」


「マジマジ。それに、似てんのは顔だけじゃないだろ」


「はいはい、話終わり~」


「で、何企んでんの?」


 ユウは肩をすくめて、遠くの海を見やった。


「ちょっと、先のこと考えてただけ」


 言葉とは裏腹に、どこか引っかかるもの言いだった。

 だが、カイトもそれ以上は追及しなかった。


 そのとき、船内放送が流れる。


《出発式がまもなく開催されます。すべての新入生は、Aブロックデッキに集合してください》


「……でさ、出発式の案内、さっきから三回目だけど?」


「聞いてたけど、通路が激混みでさ。そろそろ空いた頃でしょ」


「……相変わらずだな」


「当然。人混みに突っ込んで、進めないなんてありえないね」


 カイトは苦笑する。


「ほら、行くぞ天才くん。遅れると、また怒られるぞー?」


「よぉし。じゃあ、未来の学園トップのお披露目といきますか!」


「おいおい、学園トップは俺だぜ」


 二人は笑いながら、デッキを後にした。




 出発式の会場となっているAブロックデッキは、既に多くの新入生で埋まっていた。


 中央には大きなホログラム投影装置が設置されており、その上空には「学園都市ノア 進学船団・新入生歓迎式」の文字が浮かんでいる。


「おぉ……でけぇスクリーン」


 カイトが少し目を丸くして言うと、ユウも「マジだな」とだけ答えた。


 だが、視線はスクリーンではなく、周囲の配置や機器の構造をちらちらと確認していた。


 (妙だな……この警備体制。ちょっと薄くないか?)


 学園都市ノアに向かう、未来の研究者や能力者たちが乗った船。

 その規模と重要性に対して、警備の数も配置も、妙に簡素だった。


 ふと、視界の端に、金属製のコンテナ群が映る。

 他のエリアとは分けて厳重に囲われているその一角だけは、やけに静かだった。


「……あれ、なんだろうな」


「え?」


「いや、なんでもない」


 カイトに気づかれぬようごまかしつつ、ユウは眉を寄せた。


 そのとき、スピーカーから音楽が切り替わり、司会役の女性が姿を現した。


『それではこれより、新入生の皆さまを歓迎する出発式を執り行います──』


 式は滞りなく進行していく。

 だが、ユウの中にある不穏な予感は、次第に確信に変わりつつあった。


 ──風向きが、変わった。


 遠くの空に、小さく見える黒い影。

 その影は、徐々に大きくなり、船に近づいているようだった。


 ただの海上航行用ドローンでは、ない。


 (……おいおい、すげぇ速さだぞ)


 ユウが小さく息を吸い込んだときだった。


 空を裂くような鋭い警報が、船内のあらゆるスピーカーから鳴り響いた。


《警告。未確認生物が接近中。すべての生徒はその場から動かず、係員の指示に従ってください──》


「……な、なんだ!?」


「伏せろ、カイト!」


 ユウの叫びとほぼ同時に、空が裂けた。


 上空から──黒く巨大な影が、空中を滑るように突入してくる。


 それは魚だった。いや、正確には、魚だった“何か”。

 シルエットでいえば、深海に棲むチョウチンアンコウを思わせるが、異様に肥大し、皮膚は鎧のように硬化している。

 額から突き出た発光器官は、常に明滅を繰り返し、周囲に赤紫の閃光を散らしていた。


 ──ルイン・セレナス。


 暴走し、制御を失った共鳴体。

 空気中でも、まるで海の中を泳ぐように滑らかに動き、深海の捕食者としての本能をむき出しにしていた。


 発光器官の先端が、船の一角を照らし出す。


「まずい……狙いを定めてる!」


 ユウがそう呟いた次の瞬間、光が鋭く瞬いた。


 ズガァァァンッ!!


 鋼鉄の天井と観覧ドームを一気に貫くビームのような電撃。

 破砕音とともにガラス片が飛び散り、白煙が視界を奪っていく。


 パニックの声、悲鳴と怒号が船内にひびき渡る。

 裂けた天井から差し込む強烈な日差しの向こう、ルイン・セレナスはくるりと旋回し、ふたたび宙を滑るように舞い上がっていった。


「狙われてるのは……あのコンテナか!」


 ユウの視線の先、金属製のコンテナ群。

 厳重に囲まれていたはずのその一角では、警備員たちがすでに地面に崩れ落ちていた。


 最初の襲撃で、一瞬のうちに戦闘不能にされたようだ。


 カイトが青ざめた声を絞り出す。


「……おい、セレナスってあんなのなのかよ……!」


 ルイン・セレナスがふたたび、発光器官を掲げるように振り上げた。


 ギラッ!


 赤紫の閃光が収束し、雷のように炸裂──


 ドォンッ!!


 轟音と爆風がコンテナを吹き飛ばす。

 鉄と火薬の臭い、まばゆい火花、そして黒煙。


 炎と瓦礫が辺りを覆い、生徒たちは悲鳴とともに出口へ殺到する。

 ユウとカイトもその場から離れようとする、だが──


 後ろには人の波、前は爆心地と暴走する怪物。


 逃げ場は、どこにもない。


 ユウとカイトは、まさにその中間地点にいた。


 ユウが身を翻し、焦げた煙の中を駆け抜ける。


「ユウ、どこ行く気だっ!?」


「……これじゃあ、逃げられない!」


 崩れた壁の裂け目へ、彼は身を滑り込ませた。


 そこに、それはあった。──無傷のままで。


 重厚な強化ガラスで封じられたケース。

 中には、青白く発光する結晶のような球体が静かに浮かんでいる。


 その表面には、古代文字のような文様とともに、現代語でこう記されていた。


 ──記憶の欠落により、白の逆戟さかまたは宿る


 白の逆戟さかまた


 直感が告げていた。これは武器などではない。

 それ以上の“何か”を呼び覚ますための、引き金だ。


「……っ、見るからにヤバいって……」


 わかってる。けれど──


 救援が来るまで、自分たちは生きていられるのか?

 このまま自分たちが死ぬのを待つのか?


『迷うな。まず生きて、そのあと考えろ』

 ……小さいころから、父さんに口酸っぱく言われてきた。


 ユウは、震える手でガラスケースのロックを外す。警報は鳴らない。


「……記憶くらい、あとでなんとかなるだろ」


 強がるように笑って、ユウは、指を伸ばす。


 そのきらめく球体に、触れた瞬間──


 光が弾けた。


 その瞬間、ユウの中から――何か、大切なものが

 だがそれが何かは、もう思い出せなかった。

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