堅物一匹狼女、伝説のチャラ男に狙われる

苺伊千衛

第1話

「ミツキ! ねえ、ミツキはどこ、どこなのよぉぉおおおお!」


 授業中、突如として女の悲鳴が校内に響き渡った。声のする方向からしておそらく階下にある昇降口からだろうか。


 ミツキ、という名前を連呼する女の声に呼応するように、クラスの暢気な男子たちはざわざわし始める。


「わ、また神楽かぐらミツキ目当ての女子が来てるよ」

「すげー、神楽やっぱモテるな」

「今度の女子は何持ってるかな? バタフライナイフ? それともチェーンソー?」


 神楽ミツキ。その名前が耳に入ってきた途端、廊下側最後方の席で居眠りを決め込んでいた、長い黒髪を高い位置でポニーテールにしたむっつり顔の女子、冬木真琴ふゆきまことは思わずため息を吐く。またそいつか、と。


 高校二年生の四月、新年度早々に神楽ミツキという男子が隣のクラスに転校してきて以来、この一か月間で、ごく普通の県立高校だったこの学校は様変わりしてしまった。


 今日のように他校から神楽ミツキを求めてうちの学校に女子が乗り込んでくることは平均して週二回。もちろん神楽ミツキは校外の女子だけでなく、校内の女子も軒並み虜にしている。休み時間になると神楽ミツキの周囲には女子が集り、神楽ミツキが廊下を歩こうものならその一帯はおびただしい数の女子で埋め尽くされてワンフロアまるごと通行止めになる。


 体育の時間に神楽ミツキがグラウンドでサッカーをしているのを見た途端、全校の女子が彼を見るために教室を抜け出しグラウンドに向かったという事件もある。しかもこの事件の何が酷いかというと、本来なら止めるべき立場の教師ですら「まあ神楽なら……」と許し、そのうち女性教師は漏れなく神楽ミツキを目にするためグラウンドにこぞって駆けつけたというところだ。


 教師ですら夢中にさせるその圧倒的モテ具合から、人呼んで「全校女子を恋に落とした男」。


 彼の奔放な女性付き合いを裏付けるかのように、教室内からはこんな会話が聞こえてくる。

 

「そういやウチ今日ミツキ君と一緒にデートなんだよね」

「あ、それ私も誘われてる」

「マジ? じゃあ三人デートだね」

「三人どころじゃなくて他にももっと女子いるかも」

「わ、そしたらウチら超大所帯じゃん」


 それはもはやデートとは言えないんじゃないか、と真琴は心の中で突っ込みつつ、素知らぬふりをする。


 他人に干渉はしない、自分は自分、孤立無援こそ美徳。それを信条とする真琴にとって、神楽ミツキが何をしようが全く関係なかった。廊下を通りたかったのに通れなかったりと、たまに迷惑を被ることもあるが、今のところ自分の生活をめちゃくちゃにされるような実害は出ていない。


 だから、今回も無関心を貫くことを決め込み、ひたすらに机に突っ伏して寝たふりをしていた。


「ミツキ! ねえ、ミツキどこぉおおおおおお!」


 そうこうしているうちに、神楽ミツキを求めて錯乱する女子の悲鳴がだんだんとこちらに近づいてくる。おそらく階段を上っているのだろう。いつもは二年生のフロアに辿り着く前にだいたい侵入してきた女子は捕らえられるのだが、今回はどうも学校側の対応が遅い。日常になりかけているから感覚が麻痺しているのだろうか。


「うわ、すっげ、近づいてきてる」

「どんな女子なんだろうなー、今回の女子は」

「どうせうちらのミツキ君には到底釣り合わない雑草みたいな子でしょ」

「めっちゃ少女漫画のモブっぽいセリフ言うねあんた」


 侵入者がどんな危険物を持っているかもわからないにも関わらず、クラスメイト達はおしゃべりをやめない。それどころか煽るような言葉すら口にしている。


 少し危機感が足りていないのではないか、と真琴は思う。うちのクラスは昇降口に一番近い位置にある。一つ奥にある、神楽ミツキの所属するクラスに辿り着く前にうちのクラスに乗り込んできてことを起こすことだってあり得るのだ。


 そして、もし被害を被るんだとしたら、廊下側の席にいる真琴はその可能性が比較的高いのだ。


 流石に今度こそは他人事でもいられないか、と真琴が机に突っ伏していた顔を上げた、その時。


「俺のことをお呼びかな、プリンセス?」


 よく通る柔いテノールと共に、”そいつ”は真琴のクラスの前の廊下に出てきた。


 襟足まで伸ばした明るい茶髪、切れ長の二重が特徴的な甘いマスク、見事な八頭身にモデルと見紛う長い脚。


 間近で見たことはなかったが、間違いない……こいつこそ、渦中の神楽ミツキだ。


 神楽ミツキが廊下に立っている姿が、真琴の席からはもろに見えた。というか、真琴から二メートルもしないような近距離に、神楽ミツキは燦然と存在していた。


「……ふふっ」


 神楽ミツキはなぜか、ふとこちらに流し目してきた。目が合った真琴は言い知れぬ気色悪さを覚えたので睨み返した後、我関せずとそっぽを向いた。


 そんな神楽ミツキとの邂逅はつかの間、「神楽ミツキだー!」というお調子者の男子の声を皮切りに、教室内のクラスメイト達は「マジ!?」「きゃー、ミツキ君ー!」と言いながら、次々に前後のドア付近に詰めかけ、あっという間に神楽ミツキの姿は見えなくなってしまった。


「授業中に学校まで乗り込んできて……そんなに僕に会いたかったのかい? マイプリンセス」

「ええ……会いたかったわ、会いたかったのよ、ミツキ!」


 廊下からは神楽ミツキが侵入者の女子と語らう声が聞こえる。


「そんなに会いたかったなら、君の方から呼んでくれれば、僕はいつだって駆け付けたのに」

「ごめん……居ても立っても居られなくなっちゃって」

「もう、しょうがない子だね……ほら、俺が君の寂しがりな心を温めてあげる。こっちにおいで」

「ミツキっ!」


 その瞬間、クラスメイト達からは歓声が上がる。


「うおおおおおお、神楽ミツキが侵入者の女子を抱きしめたー!」

「きゃーっ、うらやましいー! うちのことも今度ぎゅーしてー!」

「ってか抱いてー!」

「「ミツキ様~!」」


 騒々しい声に、くだらない、と耳を塞ぐ。


 神楽ミツキが何をしようが、自分には何も関係ないことだ。そう思い、真琴は周囲で起こっている事象をシャットアウトするように、机に顔を伏せた。


 そうして、神楽ミツキという存在とは距離を取った……はずだったが。



 騒動の翌朝。


 侵入者の女子が今回は何も武器になるものを持っていなかったこともあって、けが人もなく、昨日の騒動は丸く収まり、今日もHR前の二年C組はいつも通りの日常を続けていた。


「……なんで、お前が私の席に座っているんだ」

「君に会いたかったんだ、真琴ちゃん」


 ただ一点、神楽ミツキがいる以外は。

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