思い出すなんてしたくないの、淋しいのはいやだから
そういやお前、ぴぽぴぽって言われたら何のことだと思う? ……うん、警察とかじゃない。ピパピパなら分かるってのは俺が分からない。何? カエル? 背中に――うわすごいもん出てきた何でお前こんなもん知ってんの。鳥肌立ったんだけど。駄目なんだよ俺、こういうつぶつぶしたやつ。数えそうにもなるし、何よりぞわぞわするし。うわー……。
いや、ぴぽぴぽはあれよ、会社の後輩と喫煙所で休憩してるときにいきなり言われてさ。その人んちだとリモコン系のことを一括してぴぽぴぽって言ってるんだと。本人幼少期からずっとそれで通してきたんだけど、最近どうも他所だとそう呼ばないって気づいてビビってたらしい。自覚はなかったけど、実は方言とか家庭内でしか通じないみたいなやつ、あるよな。うちもそういうのあるんだろうか、今んとこボロが出てないから気づいてないけど……ああ、まあ、そうだな。じゃあいいじゃんってのは確かにそうだ。他所に持ち出すのが問題なのであった、互いに了承できてるなら問題ないか。
方言はな、あれは家庭っていうか土地の枠だからな。
いや、憧れるとか好きとかそういうのは特にないけど、何であれ喋れるんだろうなって不思議には思う。しかも大体標準語、っていうか俺らにも通じる言葉で話してくれるじゃん。ほぼ二言語習得してるようなもんだろうに、どうやって切り替えてんだか。
大学はさ、いろんなとこから来たやつがいたから。サークルの同期に東北から来て一人暮らししてるやつがいてさ、普段は完璧に標準語喋ってんのに、家飲みとかするとふっと知らない単語と発音出してくるんだよ。ほら、俺もお前も
まあ、そのあたりは一旦放っておこうか。さておきお前の地元、言葉で身元が割れる可能性ってのはそこまでないんだよな。どこでも紛れられる、って言うと何となく聞こえが悪いけれども。俺みたいなもんにはそっちの方が都合がいいけどな。確固とした自己なんてものより、誰かが望むような何かになれた方が便利でいい。――まあね、趣味嗜好の話だよ、これは。
そういや大学のサークル、そこで聞いた話があったな。そうそう、いつもみたいな曖昧なやつ。そんなに長くかかるような話でもないから、今日はそれにするか。
で、長柄んち、夏になると父親が寝室だと暑くて寝られないって居間で窓開けて寝るんだと。だから夏場に長柄が飲み会で遅くなったりすると、居間でひっくり返って寝てる父親の枕元をのそのそ歩くことになったりする。
そうやって深夜に帰宅して、そろそろ廊下を歩いてると、声が聞こえる。何だろうってテレビでも点けっぱなしなのかなって向かった居間は真っ暗で、網戸から生温い風が静かに吹き込んでいる。
真っ暗い夜中の居間、見慣れたソファに横になって、父親が謝ってるんだって。
そう、寝言なんだよ。あんまりはっきり喋るもんだから、最初は起きてるもんだと思ったって。けど恐る恐る近寄って顔覗くと目はきちんと瞑ってるし、至って安らかな寝顔なんだと。……そうだな、映画みたく白目剥いたり首がぐるんと回ったり口が裂けたりもしない。ただ穏やかに目を閉じて、それこそ死に顔みたいに静かな顔で眠っている。
『ワワリクテアッタ、タゲマネンタコトデアッタ、ダドモナニドウセバイガッタッテスノ』
……喋っておいてなんだけど、ほとんど呪文だよな、こんなの。俺も話聞いたとき、三回ぐらい聞き返した。
毎回こういう調子だから覚えたって長柄は言ってたけど、まあ、意味は分かんないんだと。何度か聞いて、どうも一応は日本語っぽい、そんでテレビで似たようなのを聞いて、あの辺の土地の方言だなってとこまでは思ったけども、だからって別に何も解決してない。だって関係が見当たらないから、そこで行き止まり。長柄の住んでるところは標準語圏だし、それまでの生活で父親がそうやって喋ってるのを見たこともなかった。俺らと同じ標準語、っていうか方言のない土地なんだよな、そいつの地元も。親戚も大体近場に固まってるし、父親の経歴自体にも多分その方言を使う土地は関わってこない。だから、何でそんなことになるのか分からない。
父親、昼間、っていうか起きてる間はいつも通りなんだと。いつも通り、平均的で一般的な標準語で特に面白くもなんともない会話――家族の会話ってもんだよな、そういうのを交わすのが常。方言らしいものを喋るのが寝ているとき、それも週に二日ぐらいの頻度だっていうからまた微妙だろ。母親は知らない――っていうか、いないんだって。そいつが高校ぐらいのときに、買い物行くって出かけてそれきり。そっちは普通の行方不明だし、って言ってたけどな。……まあね、本当のところはどうだか知らないよ。そこまで話してくれるもんでもないだろうし。
もしかしたら、父親にはその土地に関係があるのかもしれない。っていうか、そう考えるのが一番自然だよな。長柄に教えてないだけで、そこで暮らしたことがあった。それこそ言葉がうつるくらいに、長く深く。でも……なあ、聞けないよな。藪をつついて八岐大蛇が出てきたらどうしようもない。まだ夢枕にとかとり憑かれたりとか、そういうもののせいにできた方がマシだ。だって俗いやつならいくらでも思いつくだろ、覚えのない兄弟とか知らない母とかさ、出てくるかもしんないじゃん。そういう知らない血縁、意外と戸籍確認するとあるみたいな話聞くけど、そこまで率先して知りたいことではないじゃん。遺産分配とかあったらあれだけど、平穏無事に過ごしてるうちはさ、見ざる聞かざるでいた方が楽なやつ。だから長柄としては悩みどころだよ。どっちがいいんだろうな、どっちでもどうしようもない、っていうことだけは変わらないけど。
さて、今日もそろそろ一本吸い終わった頃なんじゃないか?
二本目でも止めやしないけど、その……体にいいもんじゃないからな、喫煙。パッケージに思いっきり書いてあるだろ、あなたの健康を損なう恐れがありますって。まあね、吸うやつはそんなもん最初から承知してる。人より余計に金払って、寿命も削って狭い肩身を喫煙所にぎゅうぎゅうにしてでも煙が吸いたいわけだから、どうしたって愚行としかいいようがない。……まさか、俺だってお前のことを言えたもんでもない。というか程度の問題だろ、煙草が露骨なだけであって、世間の皆様だって知れ切った毒を飲んで往生するような真似、してるもんだと俺は思うよ。こいつと付き合ってたら駄目になるとか、ここで逃げ出さないと手遅れになるとか、見捨てないと助からないのにどうにも振り払えないとか――ああ、全部人だな、これ。でもまあ、同じことだろ。見えてる破滅に突っ込んでくって愚行だよ、どっちにしたって。明らかに怪しい、それこそ煙草の警告文以上に露骨な危険を見過ごすの、意外とやらかすからな。
じゃあ、おやすみ。お前も気をつけなよ。何がって……えっと、ほら、色々? 兄さんはほら、こうやって電話で様子伺いぐらいしかできないからさ。それをお前が寂しがってくれるんなら、兄としては考えなくはないけどさ。――ほら、そうやって鬱陶しそうな顔をする。見えなくっても分かるよ、兄だもの、当たり前だろ。
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