忠臣

「え?」


 頭を上げた小室と楓が、同時に小烏の方を向く。


「絵を隠したのは小室さんでしょう。彼はこの睡蓮の絵が楓さんにとって良くないものだと思った。しかし、処分すべきかどうかまでは分からなかった。だから隠すことにしたんです」


「なんで、小室さんが?」


 断言する小烏に、千李は問う。


「私は絵を隠したのは、小室さんか、次点で須藤さんが怪しいと思っておりました」


「わ、私ですか?」


 いきなり自分の名前を出された須藤が、自分を指さす。


「えぇ」


「なぜですか?」


 須藤の問いかけに、小烏はジャケットのポケットから手のひらほどの紙を1枚出して広げる。


「この家の調査をするにあたって、許可なく入らないでほしい場所が書かれたリストです。楓さんがお書きになって、須藤さんが私に渡したものですね」


 調査前に渡されたリスト。

 一同はそれを注視する。


「このリストの最後、濡れてぼやけてしまっていますが『蔵』って書いてあるでしょう? 楓さん、この『蔵』はあなたが書いたものではないですよね?」


 目を細めてリストを見つめていた楓が小さく頷く。


「え、えぇそうです。私は書いていないわ」


「だと思いました。この『蔵』の文字は楓さん以外の誰かが書いたんです。『蔵』に入ってほしくない誰かが」


 楓の答えを聞いて小烏が言う。

 そして、視線を小室に移す。


 小室が掠れた声で問う。 


「どうして、俺……他の人間が書いたと分かった?」


 小烏はその問いにリストの『蔵』の文字が書かれた付近を指さす。


「このリストに助手が水をこぼしたんですが、ほら、最後の『蔵』だけ文字が消えてしまっているでしょう? 他の部屋の名前は濡れても残っているのに」


 小烏が示した『蔵』という文字は、彼の言う通り水に濡れてほとんど判読できない。


 だが、同じく濡れている他の部屋の名前は、しっかりと形を保っている。


 千李は思い出す。

 小烏はこのリストを見て、読めない唯一の部屋の名前を彼女に聞いた後、「蔵を見たい」と主張していた。


「『蔵』の文字は、母さんから小烏さんに渡ってくる間に、水性のインクで誰かが書き足したということですか?」


 千李の指摘に小烏は頷く。


「はい。そしてそれができたのは、須藤さんか小室さん。梓さんも当時相模家にいたので書き足すチャンスはありましたが、そもそも絵の場所が分かっていれば我々を襲ってきたりはしませんし、除外ですね」


 蔵に入る前、使用人室から鍵を取ってこようとした千李を、小烏は不自然な形で止めていた。


 それは彼らの内のどちらかが絵を隠したと推測しており、それを勘付かれることを避けようとしたからだ。


 小烏の行動にようやく合点がいき、千李は大きく頷く。


 小室は唇をきつく噛んで、2人のやり取りを聞いている。


 その様子に小烏は言葉を続ける。


「絵を蔵に隠していたあなたは、リストに『蔵』の文字を追加した。楓さんは蘭さんと話し合いがあるため、調査の許可を取ることはできないと思っていた。しかし我々は千李さんの許可で蔵に入ってしまった。そして焦ったあなたは……」


 千李がハッとする。


 隠していた絵に近寄った小烏らを遠ざけるため、彼がしたこと。


「もしかして、小室さんが火を点けたんですか?」


 小室はさらに強く唇を噛み、ぎゅっと拳を握って黙る。


 彼の代わりに小烏が説明する。


「もちろん、あんな大惨事にするつもりはなかったでしょうね。はじめはただの小火だったのを覚えています。きっとそれを消しながら、難癖付けて我々を追い払うつもりだったのでしょう」


 それは千李も覚えていた。

 はじめに目に入ったのは、雑貨の入った箱に点いた拳大の火だった。


「ところが、いきなり予想以上の火の手が上がってしまった。腰に負担を抱えているあなたには、火を消すことも我々を助けることもできなかった」


 下を向く小室の顔からは、ぽたぽたと汗が床に落ちている。


 思わぬ火災となってしまったことに対して、一番驚いたのはきっと彼自身だろう。


「あ、あんなに、燃えるなんて思っていなかったんだ。土蔵だし、すぐに消せると、思って」


 ぼそぼそと小室が低い声で言う。


 それに対して小烏は思うところがあるようだ。


「入口付近に油絵の入った箱を置いていたんですよ。油絵は引火性が強いですし、様々な悪条件が重なって、小火から大火に繋がってしまった。とは言え、追い払うために火を点けるのはどうかと思いますけどね」


 危うく死にかけた身としては、恨み言の一つは言っておきたかったようだ。


 ほぼ不法侵入のような形で入った手前とはいえ、恨み言だけで留めておいたことに、鷹月は小烏の成長を見た。


「あの、なぜ私よりも小室さんが怪しいと思ったんですか?」


 胸の前で指を組みながら須藤が問う。


 蔵に絵を隠し、『蔵』の文字をリストに加え、蔵に火をつける。

 小室を怪しむのであれば、同じくらい自分も怪しいのではないかと考えたからだ。


「須藤さんなら、蔵に隠してある絵を自分の家に持ち帰って隠すんじゃないかと思ったんです。リストに書いてそのまま蔵に置いておくより、確実に我々の目から遠ざけることができるでしょう?」


「あぁ、確かに」


 千李は納得したように呟く。


「一方、腰に負担を抱えていた小室さんには、梯子を上り下りするのは困難だった。なので、蔵に絵を残したまま我々を遠ざけるという選択をする可能性があるのは、小室さんの方が高いんです」


 もっとも小烏自身、絵を隠した人間は、その絵に秘められた意味が分からないうちは処分できないと考えていた。


 そのため、もし今日中に見つからなければ、日を改めて探し出すつもりだった。


 勿論彼ら2人の家を重点的に。


 絵を隠した理由は分からずとも、隠した人間、そして蔵に火を点けた人間は分かった。


 しかし小烏自身はそれで終わらせる気はなかった。


 先程言った、半分は本当。

 そしてもう半分の嘘が、まだ残っている。


「絵を隠して火を点けたのは小室さんです。ですが、椿さんに会いに行ったのは楓さん――あなただと、私は思っております」


「どうしてかしら。そもそも私が彼に会いに行った証拠はどこにあるの?」


「この絵について、あなたは我々の知らない何かを知っている。それはなぜか。描いた本人、つまり椿さんから聞いたからです」


 小烏の言葉に楓は眉を寄せる。

 彼女自身、小烏にそう言われる覚えはないようだ。


「どういうこと?」


「覚えていますか? 先程の蔵での火災で、最後にうちの助手が降りてきた時です」


 そう言われて、楓は思い返す。


 3階から鷹月が荷物と一緒に降りてきたとき。

 緊張感のない鷹月に駆け寄り声をかけた中に、楓もいた。


「あなたは助手に向かって『あんな無駄なもののためになんてことを』と、そう言ったんです。私はずっとこの言葉が気になっていたんですよね」


「……あ」


 言われて思い出したのか、楓は口に手を当てる。


「あなたがこの絵を、ただ正樹さんから送られてきたものと思っていた場合、果たして『無駄なもの』と表現するでしょうか?」


「で、でも、それは金にはならねぇんだろ?」


 梓は小烏の言葉に反論する。


「確かに財産的な価値はありません。しかしこれは神谷家の先代の最も気に入っていた絵であり、そして兄の正樹さんが唯一受け継ぎ、不自然な形で千李さんに送られたものです。それを『無駄』と表現するのは、違和感しかありません」


「うぅ……」


 梓は更なる反論に口を閉ざす。

 それを見て、小烏は話を続ける。


「なぜあなたがこの絵を『無駄』だと表現か。それはあなたがこの絵について、誰かに何かを聞き、そして『無駄』だと判断したからです。何を聞いたかは分かりません。……ですが誰からか、は分かりますよね」


 絵を送った張本人。


 火災のせいで乱れた楓の精神が、不意に発してしまった不自然な言葉を、小烏は見逃してなかった。


 楓は自分の不注意に言葉を飲む。

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