凡才の探偵と絶妙に微妙な依頼

「あの、どうかしましたか?」


 一瞬漂った不穏な空気に千李がきょとんとする。


「何でもありません。話を戻しましょう。本家長男が亡くなったとのことですが、差し障りなければ、死因など教えていただいても? 事故か事件かとかだけでも」


「事故と判断されました。本家の……件の蓮池の近くで転んで石で頭を打ち、立ち上がった時にふらついて池に落ちて溺死してしまった、と」


「それは、なんというか」


 依頼人の身内であるためか、小烏が口ごもると、千李が続ける。


「事件、もっといえば殺されたかもしれない、と言いたいんですよね? 私も正直、どちらか分からないんです」


 千李は、事件後に人づてで聞いた情報を思い出しながら続ける。


「事件の証拠も出ていませんし、田舎なのでセキュリティはあまり強くなく、侵入しようとすれば出来ちゃうんです。亡くなったのは夜中なんですが、蓮池どころか近所ですら誰も歩かない時間なので、不審人物の情報も無く……」


「事故として片付いた、ということですか」


「はい」


 千李が頷く。


「伯父さんが失踪して絵が現れて、本家の長男が亡くなって絵が消えた、か」


 小烏は事件の経緯を簡単にまとめる。

 その時、千李は思い出したように人差し指をたてる。


「さっき、伯父さんは生死不明と言いましたが、失踪後も私の実家、母宛てに手紙は届いていたんですよ。『少し時間が欲しい』みたいな内容で何通か」


「消印は?」


「なかったようです。なので、直接投函されたんだと思います。手紙を見た母は、伯父の字で間違いないと言っていました」


 つまり、生きてはいるが、相続をする気はないということなのだろうか。

 まだ情報が少なく、小烏は判断に迷う。


 千李は続ける。


「睡蓮の絵も間違いなく伯父が引き継いだものだったようです。伯父さんは相続にはあまり興味がなくて、大伯父にも何もいらないと言っていたようですが、体裁が悪いということで、本家に飾ってあったその睡蓮の絵を伯父に相続した、と」


「ということは、千李さん自身は、正樹さんが贈ってきたその絵は見ていないんですか?」


「はい。昔本家に飾られていたのを見ていたので、絵の事は覚えているんですが、その後私に贈られたものは見ていません。何かの機会があったら私の下宿先に送ってもらおうと思っていたのですが、その前になくなってしまって」


 小烏は、千李が相談しにくいと言っていた意味を悟る。


「自分がいない間に贈られて、いない間に消えてしまって、しかもその前後で人が失踪したり亡くなったりしているということですか……」


 何かが起こっているのに、彼女からはまるで何も見えないのだ。


 それを察して、小烏は顎を撫でながらぼやく。


「確かに、特に差し迫ってもいないし重要でもないけれど、なんか気になるしもやもやするし、でも事情が事情だけに人に相談するのもはばかられる微妙なレベルのご相談ですね」


「そう! なんです!」


 自分の複雑な感情をよく解してくれたと、千李は膝の上で拳を握って強調する。


「母とは折り合いが悪くて詳しいことは聞けないし、父は既に亡くなっていてとりなしてくれる人もいないし。実家に帰って調べることもできないので、もうずっともやもやした状態なんです」


「なるほど、ご説明ありがとうございます。ひとまず状況は理解しました」


 小烏はメモ帳にボールペンを走らせて情報をまとめる。


 千李はそんな探偵を見ながら、胸の前で両手をきゅっと握る。


「家のことと絵のことは全く関係ないかもしれません。それならそれでいいんです。伯父さんが私に絵を贈ってくれたことに意味があるなら、私は手元に置いておきたいんです」


 その言葉に、小烏は強く頷く。


「承知しました。ご依頼内容は『睡蓮の絵』の捜索で承りますね。やれるだけのことはやってみましょう」


 メモ帳を閉じて小烏が目を上げると、千李の顔がぱぁっと明るくなる。


「ありがとうございます! あ、でも……」


「どうかしましたか?」


 急に顔を伏せた千李に、小烏は首を傾げる。


「探偵さんへの依頼料の相場とか、私よく分からなくて。半勘当状態なので、家賃と学費以外の生活費は自分で稼いでいる状況なのです。なので、金額によってはご依頼できないかもしれません」


 喜びから一転、しゅんとして下を向いてしまう。


 ここまで話を聞いてもらって、それで依頼を断るという行為に気が引けてしまっているようだ。


 そんな千李に、安心させるように小烏は小さく笑う。


「ご安心を。今回は初回割引も学割もできますよ。見積もりをご連絡先に送らせていただきますので、ご納得いかなければその旨ご返信いただければ、それで大丈夫です」


 対面で断るよりも、文面での方が断りやすい。


 千李は少し安心した表情を見せる。


「本当ですか! それなら、見積もりを見て考えてみます。……その、すみません、面白い事件じゃないのに、融通をきかせていただいてしまって」


 申し訳なさからか、千李は視線を逸らしてもじもじと長い袖の中で指をいじる。


 その意図が理解できず、小烏は聞き返す。


「面白い?」


「よく小説とか漫画で、難しい謎を前にして探偵さんが言うじゃないですか。『面白い事件だ』とかって。でも私のは、ただ事情が混み合ってるだけで面白くはないという、なんか絶妙に微妙な依頼なので……」


 天才的な探偵が複雑怪奇な謎に嬉々として挑む。それが千李の探偵のイメージなのだろう。


 それに対して小烏は苦笑で返す。


「私の仕事は依頼人を助けることで、謎を解くことではありません。そもそも探偵に何かを依頼するということは、誰かが何かで困っているということです。それを面白がるほど、私は悪趣味ではないつもりです」


「性格はクソ悪いですけどね」


 横からははは、と指を指してからかってくる助手を、小烏は眼鏡の奥から睨みながら続ける。


「大体そうやって事件を面白がる人間に限って、いざ自分や身内が巻き込まれて同じことを言われたら『遊びじゃない』とか言って激怒するんです。そういうのを何て言うか知っているか、助手」


 助手に小烏が問うと、彼は少し考えて答える。


「他人の不幸は蜜の味?」

「ダブルスタンダードだ、馬鹿」


 小烏は助手の額にボールペンの先を向ける。


「ある意味間違ってないと思うんですけど。ていうか、依頼人を助けるために、結局解かなきゃいけない謎だってあるんじゃないですか?」


「謎を解くのは、あくまで目的のための手段だ……って、この話は何度もお前にしたと思うんだけどなぁ」


 よく分からないという顔をする助手に、小烏は呆れた顔を見せる。



 他人が巻き込まれる事件の謎ならば面白いが、当事者となると話は別。


 今回当事者となってしまった千李にとっては、仕事として処理してくれる小烏の方が良心的に思えた。


「それに、信頼を落としてしまいそうなのであまり言いたくはないのですが……」


 小烏は続ける。


「私の方も物語の探偵と違って、天才でも特殊能力があるわけでもない、至って凡才の探偵です。なので、謎は少なければ少ないほど良い。ご依頼人の方々のためにもね」


「所長さん……」


 自分の依頼に対して真剣に耳を傾け向き合おうとする小烏に、千李はほっと胸を撫で下ろす。


 そんな千李に、小烏は口元に笑みを浮かべる。


「そんな私でよろしければ、あなたが再び睡蓮の絵と再会できるよう、精一杯お手伝いさせていただきます」

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