最後の次期当主候補者
「相続対象の家は、もう1つ、羽村家があります」
春菜に別れを告げて車に戻った2人は、千李から説明を受ける。
「ここから南に、一旦うちの方に戻ってもらって、そこから東ですね。こちらにも男子はいるのですが、まだ幼稚園児なんです」
「でも順当にいけば、この家が次の家督を継ぐことになるんですよね」
地図を見ながら鷹月が問う。
「えぇ、そう……ですね」
その言葉に、千李は少し口を濁す。
「?」
鷹月が顔を上げると、千李は曖昧な笑みを浮かべる。
「すみません、えっと。羽村家はですね、大伯父様の妹さんの娘さんのお家ですね。名前は葵さんで、夫が婿養子の望さん」
「おおおじさんのいもうとのむすめ……」
つまり誰だ?
考えることに拒絶反応を起こす鷹月の頭にある相関図は、既に混線している。
宙に視線を彷徨わせている鷹月を心配そうに見ながらも、千李は説明を続ける。
「夫の望さんも遠縁ですが神谷の血縁になります。葵さんはまだお若くて、20代なんですよ。だからか、うちの母みたく相続に対してあまり意欲的ではないみたいですね」
葵は完璧を纏ったような女性を相手にするには少し若すぎるようだ。
小烏が羽村家のプロフィールを確認する。
「望さんはバツイチか。もうすぐ50だから、歳の差婚ですね」
「えぇ。若い頃は、神谷や相模を真似て、いろんな事業を展開しようと頑張ってたみたいです。でも結局全部駄目になって、奥さんに逃げられたようです」
「世知辛い世の中ですねぇ」
他人事全開で鷹月はぼやく。
「羽村さんの家も、今回の調査対象なんですか?」
千李の問いに、小烏は頷く。
「聞くだけは聞いてみましょう。何か引っかかれば儲けものです」
「そうと決まれば早速出発しましょう。もう大分遅くなってきましたからね」
鷹月がシートに座りなおす。
その言葉通り、空には夕焼けが広がりつつある。
幼児を抱えた夫婦を尋ねるには遅くならない方が良い。
一同は羽村家へと車を向けた。
____________
「睡蓮の絵ですか。うーん、本家にそんなのあったかな。ねぇ覚えてる?」
「俺は本家に行ったこと自体あまりないしなぁ。そっちの家の事情はあまり詳しくないよ」
羽村家も一般の家屋からしたら大きな庭付きの一軒家であったが、神谷家や相模家に比べると規模は小さい。
簡単な自己紹介の後、少しなら話を聞けるということで、小烏は玄関口で羽村夫妻に睡蓮の絵の行方について説明をした。
鷹月といえば、玄関の外側で幼稚園児の翔の腹を頭の上に乗せて、飛行機ごっこをしている。
自宅で物書きをしている望と主婦の葵は、互いに似たグレーのニットを着ていて、葵はその上から白いエプロンをしている。
この一族の特徴なのか、ぱっちりとした目にも綺麗に化粧を施していた。
「なるほど、絵の存在自体ご存じない、と」
「先代だけじゃなくて蘭さんや椿さんもよく絵を描いていたから、売るほど絵がありましたよ。実際売れるかどうかは分かりませんが。睡蓮の絵があっても不思議じゃないけど、私はあまり興味なかったからなぁ」
紅をさした唇に人差し指を当てて、葵が本家の様子を思い出している。
「その絵は、特別なものなんでしょうか?」
隣から望が問う。
「と言いますと?」
逆に小烏が問い返すと、望は腕を組む。
「本家や相模家ならともかく、我が家にも聞きに来るってことは、何か事情があるのかと思いまして」
望は消えた絵について興味があるようだ。
特別といえば特別だ。
少なくとも依頼を受けた小烏にとっては。
そして肝心なのは、他の誰にとって特別か、である。
「実は我々、睡蓮の絵を探しているのに、まだ実物の写真すら見ていないんですよ。なので、もし絵に関する情報があったら、何でも良いので集めておきたくて」
「なるほど」
望はひとまず納得したようだ。
小烏はそこまで説明し、少し神妙な顔をする。
「まぁ特別か、と言われたら特別ではありますね」
「ほう?」
興味深そうに望が身を乗り出す。
「あ、と。すみません、まだこの辺りは調査中でして。ほら、デリケートな問題が絡んできておりますから」
すまなそうに小烏が笑うと、葵も身を乗り出す。
キラキラさせた瞳は先程の春菜と似ている。
「えー! 気になるなぁ。ねぇねぇ、気になるよねぇ!」
夫の袖を引っ張りながら、葵が小烏に言う。
「デリケートな問題というと、もしかして相続のことですか?」
そんな妻を抑えながら望が問うと、小烏はバツの悪そうな顔をする。
「そんなところです。今までの調査の中で、睡蓮の絵が相続に関わっていること、それからその絵が大体どこにあるのか。そのあたりはふんわりとですが分かってきたところです」
「えー本当!?」
興奮したように葵は大きく開けた口に手を当てる。
「あの、先程も申し上げましたがまだ調査中なので、大きな声では言えないんです。なのでオフレコでお願いします」
小烏は唇に人差し指を当てる。
「秘密ね! うふふ、すごーい。ドラマみたい」
20代半ばと聞いていたが、喜んでいる様子は千李よりも年下に見える。
そんな妻を望はほほ笑んで見ていた。
2人の様子を見て、小烏は今の段階で引き出せることはないと判断する。
「まぁ、そんなところですね。お忙しい時間にお時間いただきまして、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ全然お役に立てなくてごめんなさいね」
「とんでもありません。情報がないことも重要な情報ですから」
葵の言葉に小烏は頭を下げる。
それと同時に、鷹月の手を引っ張りながら、興奮気味な刈り上げの男児が扉から入ってくる。
「ママ、タカすごいんだぜ! 俺のこと、高いとこまでぽーんってして、わーって、ひゅーって落ちてきて、そんでぎゅってするの!」
長袖を腕まくりし、頬と鼻の頭を赤くして母親に楽しそうに訴えかける。
「あら、高い高いしてもらってたの?」
「ちがうの、ちょースーパー高い高いなの! マジですげーの!」
そう言いながら、葵の息子の翔は母親の腕の中に飛び込む。
おそらく怪力に物を言わせたあやし方をしていたであろう鷹月は、翔と同じような顔をして笑っている。
後日、2階の屋根の辺りまで翔が飛んでいるのを見たという噂が立ったのは、また別の話だ。
「遊んでもらっちゃってすみません。ありがとうございます」
何をされていたのか正確には捉えていないであろう葵が、鷹月に頭を下げる。
「いえいえー、僕も楽しかったですから。また遊びましょうね、翔君」
「またあそぼうな、タカ!」
どうやら鷹月は、よく呼ばれていたニックネームを教えたらしい。
鷹月が手のひらを見せると、翔はそれに合わせるようにハイタッチをする。
「所長、遅い時間ですので」
「あぁ、ちょうど終わったところだ」
助手の言葉に小烏は頷き、そして葵ら一同に向き直る。
「お時間ありがとうございます。それでは失礼します」
再度礼を述べ、羽村家を後にした。
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