第3話
翌朝。7時にセットしたアラームはいつも役目を終える前に私によって止められる。
セットしたアラームの直前に起きてしまう現象はよくあることだと思うが、私の場合はそれがピタリと命中する。ちょうど心地よく起きたタイミングが、アラームの鳴る直前なのだ。そのため、アラームを机から手に取り、鳴る前に止めるのが私の日常になっている。そうして、アラームを再びセットし机に置き、私の一日は始まるのである。
「鈴音さん、おはよう。」
「おはよ!今日は朝練があったから教室一番乗りだったんだ~!体力づくりで校庭走り回ってきた!」
先に着席してスマホをいじっていた鈴音さんに挨拶。ダンス部に無事入部した彼女は早速朝練に励んでいるらしい。文芸部に朝練は無いだろうな…。そんなものがあったら1日の消費カロリーをそこだけで使い果たしてしまう自信がある。
「紗奈ちゃん、入る部活決めた?ダンス部来る?」
鈴音さんはどうして私をダンス部に入れたがるのだろうか。ダンス部も私のような人間に頼らなくてはいけないほど深刻な人員不足に陥っているのだろうか。人気部活であるダンス部にまさかそんなことはあるはずはないだろうが。
「未来永劫、私がダンス部に入ることは無いよ。ただ、入る部活候補は見つけたぞ。」
「うそ!進展ありじゃん!どこどこ?」
「文芸部。」
その言葉を聞いた鈴音さんの顔からは一気に興味が無くなっていくのを感じ取れた。悪かったな、地味な部活で。人のことは言えないが、あまり顔に出過ぎるのは良くないぞ、鈴音さん。
「昨日掲示板に向かう途中、文芸部の部長に突然話しかけられたんだ。それで興味を持ってね。」
「紗奈ちゃん部長さんに選ばれたってコト?すごいじゃん!」
選ばれたと聞くと大層なことに聞こえる。あいにく、そんな大したものではない。
「選ばれたというか、たまたまそこにいたからというか、目があったからコイツでいいやーみたいな適当というか…。どうして私に声をかけてくれたのか、私自身もわかってないんだ。」
「文芸部ってなにする部活かよくわからないけど、入部できそうならなによりだよ!お互い、頑張ろうね!」
たしかに文芸部の活動内容については私もフワっとしているが、それを言ってしまったら文芸部員に失礼なんじゃないだろうか。まあ、鈴音さんが応援してくれていることに変わりはない。素直に受け取っておこう。
「皆さん席に着いてください!」
ガラガラと教室の扉を開け、知らない顔の教師が教室に入って来て一言。と、同時にチャイムが鳴る。今日から授業開始だ。
私の学力に見合った高校のため、ついていけなくなることは無いだろうが、今後部活に明け暮れるであろう鈴音さんについては少し心配だ。私も気を引き締めなくては。
あっという間に授業は終わり、放課後。
というのも、授業開始とは言ったが今日は初回の授業だ。ほとんどの授業がこれからのカリキュラムの説明や自己紹介などで時間は消費され、教科書やノートが開かれることはほぼなかった。今週はだいたい全部こんな感じだろう。
持ち物を片付け、文芸部室へ行く支度をする。我ながら、昨日あんな喧嘩を見せられた部活に足を運ぼうとしていることをつくづく不思議に思う。小野先輩に会えるならまあ良いか、と思っている自分の思考回路にも驚く。
教室を出て、北階段を下り3階へ。私は文芸部室へ向かった。
「失礼しまーす。」
ノックをしても返事が無かったので、ゆっくりと扉を開ける。丁寧に開けてもガチャガチャと音を立てる扉は建付けが悪いのだろう。
部室内には小野先輩はおらず、海下先輩だけが一人で作業を進めていた。ああ、なんと気まずい。
海下先輩は私の方を一瞬見ると、黙ってすぐに作業を再開した。昨日の件もあるし、私から何か話しかけるしかないだろう。挨拶くらいはしてほしいものだが。
「お疲れ様です、海下先輩。今はネリネの作業中ですか?」
彼はネリネという単語にピクリと反応した。
「…聞いたのか、このプロジェクトのこと。」
「はい、昨日先輩が怒って出て行った後に…あっ。」
ものすごい形相で睨まれた。昨日の話はやめておこう。
「見てわかると思うけど、あいにく新入部員を入れている暇なんてないんだ。帰ってもらってもいいか?」
足を小刻みに動かしながら、できるだけ私に対して当たらないように言葉を選んでいるように伺える。ただ、ここで大人しく引き下がるわけにはいかない。なんて言ったって、私は部長様に勧誘されてここにやってきたのだから。
「多忙の中、私とお話してくれているという時点で、海下先輩の寛大さについてはよく理解しました。ネリネ、皆さん本気で取り組まれていることは知っています。小野先輩はその上で、私にこのプロジェクトを手伝ってほしくて勧誘をしたのだと思っています。私の勘違いかもしれませんが。なので、きっとお役に立てることが1つくらいはあると思いますよ。」
海下先輩はそれを聞くなり立ち上がって私の元に来ると、数百枚の紙を渡してきた。昨日は気づかなかったが、彼、男子の割には背が低いな。
「じゃあこれ、ナンバリングしてあるから整理しておいて。たしかに、1つくらいは、役に立つことがありそうだ。」
ざっと見る限り、プロットの前段階の案出しの段階のアイディアまとめだろうか?膨大な数のアイディアがメモされている。右下にはページ数らしき数字が書いてある。これ順に並べろということか。完全に雑務だが、まあ良いだろう。1つくらい、役に立ってやるさ。
「終わりました。お役に立てましたか?」
想定よりも私の作業スピードが早かったのか、少し驚いた顔を見せる海下先輩。舐めて見られちゃ困る。
「…悪くない。」
と一言。感謝くらいしたらどうなんだと思うが、私が思ったより優秀そうで拍子抜けしているのだろう。今回に限り、許してしんぜよう。
「このアイディア達も、いずれは形となる日が来るのでしょうか。」
海下先輩は私がナンバリング通りにまとめた文書をゆっくりと順番に眺めている。
「それはまだわからない。一番良いものが出てくるまでアイディアを出し続けるだけさ。簡単な単純作業だ。」
そう言うと彼は立ち上がり、私の方を向く。
「君、名前は朝山って言ったな?小野先輩はきっと
知らない名前が出てきた。海下先輩の友達だろうか?
「亮一さん?」
私が尋ねると、海下先輩は一呼吸おき、畳んである椅子を取り出し私の席を用意してくれた。用意されたままに椅子に座り、先輩と向かい合う。何か大事な話でもするのだろうか?
「去年、文芸部を構成する生徒は4名いた。」
海下先輩は話を続ける。
「部員は僕と小野先輩と福田、そして山下 亮一。亮一は僕の友達で、1年の時に一緒にこの文芸部に入部した。僕と亮一は中学からの仲で、本を読むのが好きだったからこの部活に入った。」
亮一さんは海下先輩とかなり仲の良い友達だったことが伺える。中学から高校まで同じで、趣味も一緒となったら仲良くならないわけがない。私は静かに先輩の話を聞く。
「ここからは知っているだろうが、去年の文化祭が終わった後、ネリネが始動した。だが、そこで事件が起きた。これは知らないだろう。」
先輩は一層真剣な顔になる。ふと冷静になってみると、海下先輩は私に心を開いてくれたということで良いのだろうか?踏み込んだ話までしてくれて、部員として認められたと解釈してよいだろうか。
「ネリネを進めていく段階で、僕と亮一が重要な決め事でかなり揉めた。制作物を共に作って初めてわかったことだったんだが、僕と亮一は本の趣味が真逆だったんだ。」
本と言っても様々なジャンルがある。ただし、長い間を共にして、その中身まで踏み込んだ話をすることは今までなかったのだろうか?読んでいるジャンルが全然違うことなんて、一緒にいれば気づきそうなものだが。
「僕は納得できなかった。当時はネリネの方向性すら定まっていない状態で、亮一の意見で根幹から僕の思い描いているものからズレてしまうことを許せなかった。それで結果的に、亮一は退部という選択をした。」
ネリネに対してそれほどまで本気なのは良いのだが、退部するまでのことだろうか?
「プロジェクトから外れるだけで良かったのではないですか?わざわざ退部しなくても。」
「そこは僕と亮一のプライドバトルだったんだ。結果的にアイツが負けた。それ以来、亮一とは一切口も聞いてない。」
私の想像を超えるようなプライドバトルだったのだろう。想像もしたくない。というかハッキリ言って面倒な話だ。先輩の前では口が裂けてもそんなことは言えないが。
「小野先輩とか福田先輩は退部を止めたりしなかったのでしょうか?ただでさえ少ない部員が1人減るとなると、かなりの痛手になると思いますが。」
「小野先輩は多少止めはしたが、亮一の覚悟に気づいていたんだろう、退部の許可を出した。福田は…いつもの調子だ、何も関与してない。全く福田は…いつもそうだ。」
海下先輩は頭を掻きむしる。先輩と福田先輩、仲悪すぎないか?
「福田先輩とも何か?あっ。」
今にも怒り出しそうな海下先輩に水を差すような質問をしてしまった。好奇心が思わず先に外に出てしまったことを質問した後に後悔する。しても遅いが。
海下先輩は動きを止め、大きなため息をついた。地雷を踏んでしまったか?
と思っていたら落ち着いた声で話し始める。
「福田は…。知ってるだろう、あれでも副部長だ。僕だって本が好きな手前、副部長を目指していた。それなのに去年、小野先輩は福田を副部長に任命した。あの福田に、だぞ?僕のほうがまともにコミュニケーションが取れるし、どう考えても副部長は僕がなるはずだったんだ。…だから少し気に入らないだけだ。」
たしかに、あれだけ引っ込み思案な性格の福田先輩を副部長に任命したことは多少違和感があるが、昨日の彼女を見る限り、しっかりと芯のある人だ。小野先輩は、そこを理解した上で副部長に任命したのだろう。しかしまあ、彼が納得できないのもわからなくはないが。
「私は海下先輩の気持ち、わかりますよ。小野先輩が間違えることだってあります。実際、海下先輩は自身のまっすぐな気持ちを相手に伝えるのが得意ですものね。それでも今は、自分の気持ちには少し蓋をして、ネリネに集中すべきだと、部外者の私は思いますかね。」
今ここで福田先輩の方が副部長にふさわしいだなんて言ってしまった暁には、昨日の二の舞いだろう。私は私なりに海下先輩を肯定した。
「福田ちゃん!こんなとこで何してるのさ!」
「い”っ!?」
扉の外から小野先輩の元気な声が聞こえる。というか福田先輩の声もしたぞ。もしかして、今の話聞かれていたか…?
小野先輩は元気よく扉を開け、私たちの顔を順番に見た。福田先輩はなぜか小野先輩の後ろでしゃがみこんでいる。
「おう、君たち仲良くやってるね!朝山ちゃん、来てくれるって信じてたよー!絶賛作業中だったかな?」
作業中というか、取り込み中というか…。小野先輩にズルズルと引っ張られて福田先輩は部室に入ってくる。これ、完全にやってしまったな。ああ、気まずい。この気分、今日で2度目だ。
「福田、いつからそこにいたんだ?」
海下先輩が立ち上がり問うと、福田先輩はキョロキョロしながら声にならない声を発し、焦っている。
「本を読む以外に盗み聞きの趣味もあったのか。全く…。」
「ちがっ…そんなつもりはっ…。」
ため息をついて勢いよく椅子に腰掛ける海下先輩。
「なになに、ふたりとも福田ちゃんに聞かれちゃマズイ話してたの?三船お姉さんも仲間に入れて~?」
小野先輩、良い意味で空気をぶっ壊してくれてありがとう。昨日のような空気になりかけている現状を打破できるのは、もはや彼女の明るさしかないのかもしれない。
「私…だって…。うっ…。」
そんなことを考えていたのは私だけだったようだ。福田先輩は半分泣き出しそうになりながら、ヘトヘトと四つん這いになりながら部室を出ていってしまった。
それからしばらくの沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、もちろん小野先輩。
「それで、何があったか聞かせてもらおうか?ふたりとも。」
先輩は少し真剣な顔で私たちを見る。
「福田が副部長にふさわしくないという話をしていただけです。」
「ま~たその話?いい加減飽きないの?」
小野先輩はやれやれとため息をつく。こういうことが起きるのは今回が初めてではないようだ。大体予想は出来ていたが。
「また、というのは?」
私が2人に尋ねると、海下先輩は苦虫を噛み潰したような顔をして答えた。
「福田のやつは、ネリネのこと以外だと全くと言っていいほど話が出来ないんだ。本当、困ったもんだ。仲良くなろうにもなれやしない。」
このこともあってか、海下先輩は自分のほうが副部長に適していると考えているのだろう。
私はいつまでもこのどんよりとした空気の中に居続けるつもりは無い。この状況を打破できるのは私だけだ。
大きく息を吸って、吐く。
「この部活、新入部員歓迎会は無いんですか?」
私の言葉に2人とも目を丸くした。
「私はこの文芸部に入部することにしました。なので、新入部員歓迎会を開催してください。」
「話の筋が見えてこないのだが。」
海下先輩は完全に意味不明といった顔だ。しかし我らが小野三船大先輩。彼女は私の目論見に気づいたようだ。
「…たしかにそうだね!朝山ちゃん歓迎会をしよう!」
「小野先輩、一体何を言っているんですか?僕たちが入ってきた時そんなことしなかったじゃないですか。」
小野先輩は私にだけウインクをした。
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