空想旅行日記

彦彦炎

スイマーラ共和国

 滞在1日目


 スイマーラ共和国へは、夜行列車での到着が義務づけられている。これは「日中の時間は国民のほとんどが眠っているため、まともな対応ができないから」とのこと。国境の入国審査官も半分寝ぼけていて、私のパスポートを裏返しに見ながら「ああ、眠気レベル3.8ね。問題ない」と呟いていた。


 この国では「時間の単位」がすべて“眠気”で換算されている。公式なスケジュール表には「会議:ねむみ4.2」「列車到着:ねむみ2.7」などと書かれている。ねむみ1.0は「完全に目が冴えている」状態で、7.0を超えると「寝落ち寸前」とされる。私はこの単位を把握するまでに3時間(=ねむみ2.3)かかった。


 宿に着くと、チェックインカウンターのスタッフが深くあくびをしながら「今はねむみ6.1なので……鍵は棚の中にあります。勝手に取ってください」と言われた。部屋はふかふかの羽毛と遮音カーテンに包まれた、どこまでも眠れる空間だった。


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 滞在2日目


 午前中(といっても現地時間で「ねむみ2.0」)に、街の広場に出てみた。人影はまばらだが、皆が手首に小さなデバイスをつけている。これは「眠気時計」と呼ばれ、血中のアデノシン濃度や脳波を感知して、今自分がどれほど眠いかをリアルタイムで表示する装置。これを見て、レストランや電車、会議の時間が決められる。


 カフェに入ると、メニュー表に書かれていたのは「エスプレッソ・ねむみ-1.5」「ほうじ茶・ねむみ-0.6」など、すべて“眠気をどれだけ減らすか”で表現されていた。私は「やさしい紅茶(ねむみ-0.2)」を頼んだが、正直まったく目は覚めなかった。


 午後には「寝落ち公園」に寄った。ここは公共の昼寝スペースで、地面一面にマットと毛布が敷かれている。市民たちはあちこちで気持ちよさそうに寝ていた。掲示板には「本日の推奨仮眠:ねむみ5.1~6.2」と表示。私はねむみ4.9くらいだったので、30分ほど寝てから散策を再開した。


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 滞在3日目


 今日は市役所に行ってみた。ここの受付時間は「ねむみ3.3~5.5」と書かれていて、つまり「中途半端に眠いときが最適」ということ。完全に目が冴えていると集中しすぎて議論が白熱しすぎるし、逆に眠すぎると話が進まないからだそうだ。


 市役所の会議室では「うたた寝会議」が行われていた。これは、議題を読み上げながら参加者がソファに横たわり、無理に結論を出さず、誰かが寝言で何か言い出すまで議論を進めるという形式。実際に「自転車専用レーン拡張について」の会議中、参加者の一人が「もっと寝てから考えたい……」と寝言を言ったため、議題は翌日に持ち越された。


 この緩さが癖になる。私も知らぬ間に議席の片隅で30分ほど眠っていた。


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 滞在4日目


 観光名所「夢の博物館」へ。ここではスイマーラ市民が記録した夢の記録映像やスケッチ、夢日記が展示されている。展示は全体的に朧げで曖昧だが、それがまた非常にリアル。特に「階段をずっと降り続ける夢」の展示は、薄暗い映像とスピーカーからの寝息で構成され、つい立ったまま眠りそうになった。


 博物館の奥にある「ねむみ芸術ホール」では、観客全員が布団に入って鑑賞するパフォーマンスアートが行われている。演目は「寝入り端の風」。薄暗い照明の中で、布に包まれたダンサーがゆっくりと舞う。眠りと目覚めの狭間を再現した作品らしいが、私は完全に本気で寝てしまった。


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 滞在5日目


 出国は早朝。「ねむみ1.0未満でなければ出国不可」とされており、目を覚ますための強制施設「目覚めの儀式室」へ連れて行かれた。そこでは、連続ベル音と強めのミントスプレー、さらに「今日の予定リスト読み上げ攻撃」が行われる。スタッフが「午後13時に戻ってきてオフィスに書類を出して、夕方までに支払いもして――」と延々話してくるのだ。これが恐ろしく効果的で、一気に目が覚める。


 出国審査で「ねむみ0.9」が確認され、ようやく通過。国境を出たとき、辺りはまばゆい朝日と、どこか名残惜しい静けさに包まれていた。

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