青霧の鎖
@Loie_Floie
第1章:霧の裏切り
クロノシアの夜は、青い霧に沈む。エーテル結晶の副作用で生じたその霧は、街灯の光をぼやけさせ、鉄塔のシルエットを幽霊のように揺らす。レオンは、蒸気駆動の義手を軋ませながら、闇市場の路地を歩いていた。義手の指先は、冷たい鋼と革で覆われ、握り潰したタバコの灰を散らす。三十歳を少し過ぎた彼の顔には、傭兵生活の傷と、どこか諦めたような目が刻まれている。
「遅いな、ヴィン。」レオンは低い声で呟き、懐から銀の懐中時計を取り出す。時計の針は、都市の中心にある巨大な時計塔と同期し、エーテル結晶の脈動に合わせて微かに震える。ヴィン——レオンの相棒であり、クロノシアの情報屋——は、十分前にこの路地で落ち合う約束だった。今夜の仕事は、企業連合「ヘリオス」の依頼だ。反乱軍が隠すエーテル結晶の採掘技術を奪う。報酬は、レオンが一年隠居できるほどの金。だが、傭兵の勘が囁く。何かおかしい。
路地の奥から、蒸気パイプの吐息のような音が響く。レオンは義手を軽く叩き、内部のピストンが低く唸るのを確認する。義手は、かつての事故で失った左腕の代わりであり、彼の戦闘の要だ。蒸気とエーテルを融合した機構で、握力は人間の十倍、反応速度は鍛え抜かれた剣士以上。だが、エーテルの微量な漏出は、レオンの神経を時折疼かせる。
「レオン!」ヴィンの声が、霧の向こうから響く。瘦せた男が、革のコートを翻して現れる。ヴィンは、二十代半ばの軽薄な笑顔と、情報屋特有の落ち着かない目を持つ。「遅れてすまん。ヘリオスの連中、急に条件を変えてきた。」
「条件?」レオンは眉を上げる。タバコの火を靴底で潰し、ヴィンに一歩近づく。「話せ。」
ヴィンはポケットから折り畳まれた紙を取り出し、広げる。そこには、ヘリオスの紋章と、採掘技術の保管場所——反乱軍の地下拠点「鉄鎖区」の地図が記されていた。「報酬は倍だ。ただし、期限が今夜中。反乱軍が技術を他に売る前に奪えってさ。」
レオンの目は、地図の詳細を素早く捉える。鉄鎖区は、クロノシアの最下層。労働者が蒸気機械に鎖で繋がれ、結晶を掘る地獄だ。レオン自身、十年前、そこで鎖に繋がれた過去を持つ。「倍の金で、なぜ俺たちを急かす?」
ヴィンは肩をすくめる。「ヘリオスは、反乱軍が結晶の新たな使い方を見つけたって焦ってる。精神を操る力、らしい。」
レオンは鼻で笑う。「結晶がそんな力を持つなら、俺の義手は今頃俺を裏切ってる。」だが、心のどこかで、記憶の断片が疼く。鉄鎖区での日々。青い光に照らされた仲間の目が、虚ろに変わった瞬間。
「行くぞ。」レオンはコートの襟を立て、路地を抜ける。ヴィンが後を追い、二人とも霧に溶け込む。クロノシアの闇市場は、鉄と蒸気の匂いに満ち、露店では偽物のエーテル結晶や改造義肢が売られている。飛行船のエンジン音が、空から低く響く。
鉄鎖区への道は、地下へ続く螺旋階段だ。階段の壁には、錆びたパイプが這い、時折蒸気が噴き出す。レオンは義手に装着したエーテルガンを点検する。弾丸は、標的の記憶を一時的に奪う特殊なもの。非殺傷だが、戦闘では十分な混乱を招く。
「レオン、聞いてくれ。」ヴィンが階段を下りながら言う。「ヘリオスは、結晶の力を独占したいだけじゃない。時計塔のエーテル炉を強化する計画だ。炉が暴走したら、クロノシアは終わりだぞ。」
レオンは足を止め、ヴィンを睨む。「それを知ってるなら、なぜこの仕事を受けた?」
ヴィンは目を逸らし、笑う。「金だよ、レオン。俺とお前、自由になるには金が要る。」
レオンの胸に、冷たい予感が走る。ヴィンの言葉は、いつも軽い。だが、今夜の軽さは、まるで鎖のように重い。階段の終わりで、鉄鎖区の入り口が見える。巨大な鉄門の向こうでは、蒸気ハンマーの音と、労働者の呻き声が響く。
「準備しろ。」レオンはエーテルガンを構え、義手のピストンをフル稼働させる。門が開き、青い霧が二人を飲み込む。鉄鎖区は、まるで生き物のように脈打つ。結晶の光が、壁に鎖で繋がれた労働者を照らし出す。彼らの目は、虚ろだ。
反乱軍の拠点は、地下深くの廃工場。レオンとヴィンは、監視の目を避け、蒸気パイプの影を進む。だが、廃工場の入り口で、ヴィンが突然立ち止まる。「レオン、待て。俺、言わなきゃいけないことがある。」
レオンは振り返る。ヴィンの手には、ヘリオスの紋章が刻まれた小型の通信機。「お前、まさか——」
ヴィンの笑顔が消える。「悪いな、レオン。ヘリオスが俺の妹を人質にしてる。お前を売れば、妹が助かる。」
次の瞬間、廃工場の扉が爆発し、反乱軍の戦士たちが飛び出す。レオンは義手を盾にし、エーテルガンを連射。記憶を奪われた戦士たちが倒れる中、ヴィンは霧に逃げる。レオンの咆哮が、鉄鎖区に響く。「ヴィン!」
戦闘は短く、激烈だ。レオンは反乱軍を退けるが、採掘技術のデータはヴィンが持ち去った。傷ついた義手から蒸気が漏れ、レオンは膝をつく。霧の中、時計塔の針が一回鳴る。午前零時。期限は過ぎた。
レオンは立ち上がり、懐中時計を握り潰す。ヴィンの裏切りは、痛いが驚きはない。傭兵の世界では、忠誠は鎖と同じだ。自由を縛る。だが、ヘリオスの陰謀、結晶の力、時計塔の秘密——レオンは知りすぎた。クロノシアの霧は、まだ彼を放さない。
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