第8話 ビジホの朝食ビュッフェの自由の幅の端のほう
私自身は締めにチャンポンだなどとは論外と思うのだが、ヒラの食欲が言うことを聞かぬようだしもう一匹も「入るけど」とか言うので適当なところを求める。燃費が悪いんじゃないか。ヒラがやはり店員にお勧めを尋ねると、今からちゃんぽんなら三八ラーメンですよということですんなり決めていく。推進力とか判断の瞬発性が高くて素晴らしいと褒めちぎってあげた。ヒラがお目当てのちゃんぽんを頼む横で高菜ラーメンかなァとやや不安に頼んでいたらクロスは焼飯とおでんとか全然違うものを注文するし、ラーメンはと言えばごま油か食欲を刺激する風味はあるが味わいは優しいというか柔らかいというか丁度シメに求められるスペックのラーメンでひと安心というところだった。ヒラの方は「よく炒まってて美味しい」と口を膨らませて感想をくれたが、そういう私たちを瓶ビール手酌しながらぼんやり見ていたクロスの方は「クラリちゃん、お上品にしなさい、お兄ちゃん見て」何やら鼻にかかった声で言って「やだぁ」とモグモグ咀嚼しながら返して、何か知らない背景ではあるがいい気分そうだ。そうして平和裏に夜は過ぎていき、
「で、相撲する?」
「もういいだろ」
手袋の右手がひらひらと振られる。部屋の宿泊権のことである。
「右のベッドがいいか左のベッドがいいか争わない?」
「右のベッド」
「俺も」
「どうぞ。蹴っ飛ばしてやるよ」
そんなに寝相は悪くなかっただろう、まで言うとまだ居るヒラに悪いので左のベッドで承諾する。
明朝の集合時間だけすり合わせて、ヒラひとりと別れて、ツインの部屋に入り、
「じゃあ調べ物ですか」
狼のため息が聞こえる。分かっていてというか、自分が言っておいて結構飲んでいたが、現実逃避だったりするのだろうか。
どこでも魔界インターネット、インフェルネットワーク接続機能を標準搭載している羊皮紙スクロールデバイスを取り出し単純な位置検索を始める。意外とこの、どこでもネット接続というのが高性能ポイントで、世代遅れだがコストパフォーマンスに優れているということで選んだわけだが、ハリー・ポッターでもあるまいしキングス・クロス駅でだってこんな薄茶けた羊皮紙を取り出したらタイムトラベラーが現れたのは明白だ。同じタイムトラベラーならサイキックペーパーくらい準備しておきたい。魔界外でのネット接続のための儀式が案外面倒なので結果、クロスも顔を突き合わせて同じ紙面を見ている。
「これ、祓戸神社って」
「近い。なるほど、諏訪神社の祓社」
「セオリツヒメはもうあんまり出ないな……あと……イチキシマヒメ?」
「うん、まあ、魔界のネットならちゃんと出てるだろ」
「淵神社」
「典型的だ、元は弁天社、まあここだな」
近くの範囲がどの程度なのかによるが、条件に合うようなもので中島川つまり長崎の街から遠くないのはそのくらいか。思ったよりも少ない。そもそもほとんど埋め立て地で過去には無い土地という経緯からも水神の社が立ちようもなかったのかもしれない。
「弾圧だ。最初に教会が建った、教会の代わりに寺院が」
相俟ってのものか。
「ねえ、淵神社、面白いこと書いてある」
「何」「桑姫社。キリシタン大名の孫マセンシアが祀られてるって」「キリシタンまで神社で祀るのかよ」
検索結果をじっと読んで沈黙し、何かしら考えている。妄想、状況証拠、証拠ですらないものを。
「勘が働いている?」
「そうだな……。混ざった神格の、一つずつが分かれば、考えようがあると思ってさ」
言いながら顔を覆って、
「眠い」
そうだろう。考えごとのコンディションではないはずだ。
「ちゃんと寝なよ、シスターお婆ちゃんに削られてるんだから」
「そんなことあったな」
落ちていきそうな顔をして、「失礼」手に触れると温かかった。眠たいだけである。
「煙草、吸っていいから」
急に言われて反応が遅れる。昼の連想か。
「ありがと。勝手にする」
彼が大きく欠伸をして、そのまま横になりそうなのを服が皺になるだろと無理矢理剥ぎ取ってから転がす。私のように何かしらの手段で替えの服を持ち込んでいるならいいが、今日一日付き合っていた結果を踏まえてそんなものはないと思われる。良くてパンツと髭剃りくらい。
タオルを忘れるな!タオルとは、持ち歩いてこれほどとてつもなく役に立つものはほかにないというほどお役立ちなものだというのに。
結局火は使わなかった、私だって頭脳労働者だというのに歩き通して眠気と戦いながらタブレットを叩いていたのだ。第一、悪魔の身にニコチン依存はない。ある奴はあるから吸っているのかもしれないが、少なくとも私はその後シャワーで汗を流して折りたたみ無限ポッケからパンツを取り出してホテルのパジャマで健やかに寝た。
***
他人の動く音やらシャワーの水音やらで普段よりは早めに目が覚めた。そうでなければ十時すぎだって寝続けられる自信がある瞼の重さ。横になったまま、クロスがパンイチで戻ってきたのを確認した。脚に私が植えた食人植物の噛み跡がある。
「髪乾かしなよ」
「嫌」
「いい歳して濡れ髪で外出るなよ~わんこちゃんかよ~」
渋々といった様子でホテルのそよ風程度のドライヤーを当て始めた。生活がちょっと結構大分だらしないんじゃないか。私も起き上がってパジャマから新しいTシャツとジーンズパンツに着替えて、顔を洗うとする。ひと通り終わっても(やはり)彼の髪は湿っているようだ。
「これって本当にドライヤーか?路地裏の換気扇の方がまだ風がある」
「やってやるよ」
仕込みの魔術式を展開する、火は腐らないと思ったのだ。火の元素は熱と乾きの性質に分解される、つまりドライヤーである。手で三角形を作ると弱く火の元素が抽出され空気が温かく乾き、風になる。
「その式、何の役に立つんだ……?」
「今立ってるだろ、ドライヤーの役」
こちらの匙加減で火起こしだってできるのだ。ドライヤーにしてやっているのは魔力の贅沢遣いである。「ドライヤーとライター持ってればいいだろ」とか聞こえてくるが、ドライヤーにもライターにもなるから良いのだ。
「ほらフワフワになりましたよワンちゃん、なんかあんた本当に犬の匂いするな」
「嗅ぐなよ」
どこか香ばしくて切なくなるいい匂いという意味だ、犬の香りというものは。
朝食ビュッフェでヒラと合流する。先に着いている彼女の皿の上はやはりこの世の全てが乗っており、パンと米と焼きそばとカレーもよそわれている。寝ている間にどれだけカロリーを消耗しているのか。
「あれ、先輩なんかフワフワじゃないですか」
後輩女子が遠慮なく髪をいじっている。
「洗いたての犬の毛艶だ」
「それ狼人間特有の褒め言葉なの、イジってんの」
彼女も謎の言葉を無表情で甘んじて受け入れている彼も特に答えず、とりあえず腹拵えを始める。ベーコンは無いが、ソーセージとタマゴがあれば上出来の朝食だ。クロスは面倒だったのかライスを山盛りにしてふりかけと海苔とグレープフルーツだけ置いている、初めてビジホの朝食ビュッフェの自由の幅の端のほうを見た気持ちだ。
「ねえクロスさん、今度バイキングに行きませんか、中学生が部活の大会の打ち上げでやってくるような雑なごちそうのバイキングです」
「なんか変なデートに誘ってる」
バイキングの本当の自由を見せてくれる気がする。
「バイキング……いいなあ……今度ケンちゃんと行こ」
ヒラにインスピレーションを与えたところで、スケジュールを連絡。
「神社二箇所周る、諏訪神社から淵神社」
「でロープウェイで稲佐山へ?」
「観光じゃねえよ」
せっかくなのだし息抜きしていけば良いのに。
***
ホテルを出て朝の神社へ向かう。先日と比べるとあまりにも街からのスタートで、諏訪神社の案内板も其処此処にありまったく迷う余地がない。余裕がある。
「祓戸大神っていうのは」
「ああ、禊の神。でけえ神社にはあるんだよ」
一番詳しそうにしているクロスに聞いておく。
「それが弁才天というのは」
「水の流れで汚れを洗い清める、川の女神、祓戸四神の瀬織津姫っていうのは。だから一緒になってる時がある」
「詳しいね」
少し考えたように間があり、
「自分は名前のとおり、アンチキリストの狼男ではなく、東洋の狼の化け物としての魔性だから」
「はい」
あまりうまく纏まっていないが、タヌキは犬の仲間でアライグマはパンダの仲間という感じか。いやさすがにもう少し同種なのか。
「時々祝詞を使わせてもらってる」
「そうなの」
魔王の直属なのに、効果があるのか。
「なんか自分がダメージ受けそう」
「そういう日もある」
あるのか。
彼は唐突に、棒読み気味に諳んじ始めた。
「高山の末短山の末より 佐久那太理に落たぎつ速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神 大海原に持出なむ 如此持ち出で往なば 荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速開都比売と云ふ神 持かか呑てむ 如く此かか呑てば 気吹戸に坐す気吹主と云ふ神 根国底之国に気吹き放ちてむ 如く此気吹き放ちてば 根国底之国に坐す速佐須良比売と云ふ神 持さすらひ失ひてむ」
「…はい」
いきなり奏上しないでもらいたい、聞いても効いてもいないが。
「つまり罪穢れを、川に流して海に流し、神の息吹で根の国へ吹き飛ばし、消え去るまで根の国を彷徨うというのが、禊祓」
「うん?」
根の国に飛ばすということは、つまり死後の穢れの国へ押し付けるという処置で、大体魔界は死後の穢れの国であろう。
「魔界でソレしたらどうなるってんだ」
「どうにもならん。例えば人界で活動している時に『お仲間』と会った時に穏便に済ますために使わせてもらっている」
「ああ、もはや転送魔術だな」
言いながらまさにではないかとクロスの顔を見あげると、大して驚いてなさそうである。
「河童が罪穢れか、どうかな。少なくともこの祓戸神社はあの河童たちが住み着く前から此処で、諏訪神社の祓社として機能しているようだし、だから大して期待していない」
神社の前に長い階段が続く光景が見えてきて、さておき閉口する。
「でも用事としては途中までですね」
「なんか無礼だったりしない?」
「悪魔が侵入しといてなーにをこれ以上ビビっちゃうかな」
だからこそ穏便に怒りに触れないようにしたいという話だが、クロスの話も聞く限り彼らは慣れている。
ふたりはするすると階段を登っていき、横道に逸れていく。こぢんまりとした社だが忘れられるでもなく次々に人が詣でている。狛犬を撫でていく人などを見ると、ここも観光ポイントであろう。なんだかカッパみたいな皿模様がある狛犬だ。
クロスがこちらを見て顔を横に振る、「河童をどうこうするような異常さはない」何を見てわかるのものか、分からないものの異常さを感じないのは同感だ。
「河童?河童の狛犬はあっちですよ、登ってしまって拝殿の奥のところ」
人の好さそうな御婦人が何やら指差してくれる。なんというお節介だろう。
「行ったほうがいいんじゃないですか、河童の狛犬ですよ」
「河童の狛犬じゃあなあ」
ということは、結局この階段を登り切った挙句に拝殿まで近づかないといけないではないか。頭脳労働者の悪魔としては二重も三重も嫌な予感がする。
「変なことしなけりゃ怖いことないよ」
「調子悪くても多少ちくちくするくらいだろ」
その言い方はダメージが入り得るということか。
飛んでしまいたい気持ちを抑えつつ恐る恐るでふたりについて行く。
***
「ちくちくする?」
「ぜえぜえしてる……」
荒く息を吐いている横を、五、六歳程度の少年が「ぴょんぴょんぴょんぴょーーーーーん!!!!!」などと叫びながら駆け上がって追い越していく。うるさい。
「地獄の悪魔が、情けないとは思わんか」
「知らんのか、ちょっと情けなくて可愛げもあるのが悪魔だぞ」
登り切って拝殿から逸れる不審な動きを見せながらカッパの狛犬を見つける。
「蛭子か、まあ河童なのはわかるかな……」
「関係は?」
「ありそうでピンとこない」
ご自慢の勘が来ていないということは、外れだろう。こんなにくっきりとカッパなのに。
「まあでも、来たから何が起こるって普通はないですから、情報収集ですよ」
ヒラは何かしらメモに書きつけたり写真を撮ったりよく動いている。
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