第2章─── 甲冑のアイドル


「みんなー! おはようございまーす! 今日もアタシについてこいよ!」


高らかに響く声は、拡声器を通しているかのように、丸の内の静かな朝の空気を震わせた。その声の主は、まるでSF映画から飛び出してきたかのような姿をしていた。


そこにいたのは、甲冑を纏った一人の少女だった。年齢は、二十代前半だろうか。日本の戦国時代の武将が身につけていたような、精緻な黒漆塗りの甲冑だ。胸元には、桜の花びらを模した金色の紋様が施され、腰には鞘に収められた太刀が吊るされている。兜には、長く伸びた金の飾り角がついており、その隙間から覗く顔は、舞台メイクで目元が強調され、アイドル特有の、人を惹きつける輝きを放っていた。だが、その表情は、どこか険しく、真剣な眼差しをしていた。


彼女の周囲には、十数人の若い男女が取り巻き、スマートフォンを片手に彼女の姿を追いかけている。彼らは、アイドルのファンなのだろう。しかし、まさか丸の内のビジネス街で、甲冑姿のアイドルに遭遇するとは、啓介も想像していなかった。甲冑の表面は、朝の光を反射してキラキラと輝き、まるで動く彫刻のようだった。カチャカチャと、甲冑同士が擦れ合う音が、彼女が歩くたびに響く。


その甲冑アイドルの名は、神威ミカ。現代のポップカルチャーシーンに突如として現れた、異色の存在だった。「日本の魂を現代に」をコンセプトに、甲冑を着用して歌い踊る彼女は、国内外で熱狂的なファンを獲得していた。彼女の楽曲は、和楽器とEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)を融合させた、斬新なサウンドが特徴だ。


ミカは、啓介とナイトフォールに気づくと、ピタリと足を止めた。そして、その甲冑に包まれた体を、ゆっくりと啓介の方へ向けた。彼女の取り巻きたちも、それに倣って動きを止める。場には、奇妙な静寂が訪れた。アスファルトに反射するビル群の光が、彼女の甲冑をさらに輝かせ、まるで現代の騎士が目の前に現れたかのようだった。


「あんた、なんで馬なんかに乗ってんのよ、この時代に!」


ミカの声は、拡声器を通していなくても、十分な迫力があった。その声には、驚きと、どこか挑戦的な響きが混じっていた。


啓介は、手綱をわずかに引き、ナイトフォールを静止させた。彼は、これまで何度も、馬に乗っていることについて奇異な視線を向けられてきたが、ここまで直接的に問いかけられたのは初めてだった。しかも、相手は甲冑姿のアイドルだ。この状況自体が、一つの演劇のようにも見えた。


「これは、私の通勤手段です」


啓介は、冷静に答えた。彼の声には、僅かながらも皮肉めいた響きが混じっていた。


「通勤手段って、アタシとあんた、どっちが異常よ! 私はコンセプトがあって、こうしてるの! あんたはただの会社員でしょ!」


ミカは、太刀の柄に手をかけた。その仕草は、まるでこれから決闘を始めるかのように見えた。彼女のファンたちは、この予期せぬ出来事に興奮し、スマートフォンのカメラを二人に向けた。


「コンセプト、ですか。では、あなたにとっての『コンセプト』とは何ですか? それは、あなた自身の本質ですか? それとも、誰かに与えられた役割ですか?」


啓介は、ミカの言葉の裏にある、より深い問いかけを始めた。彼の言葉は、彼女の甲冑の下に隠された「本質」を探ろうとするかのようだった。


ミカは、一瞬言葉に詰まった。彼女の目元が、わずかに揺れた。


「アタシは、日本の魂を伝える存在よ! 忘れ去られようとしている伝統を、現代の若者に、世界に、届ける! それがアタシの使命よ!」


彼女の言葉には、確固たる信念が宿っていた。しかし、その信念の裏には、もしかしたら、彼女自身も気づかない矛盾が潜んでいるのかもしれない。伝統と、最新のポップカルチャー。古き良きものと、商業主義。その狭間で、彼女は一体何を見つめているのだろう。


啓介は、静かにナイトフォールから降りた。彼が地面に立つと、ナイトフォールの体躯がより大きく感じられた。彼は、ミカのほうへ一歩踏み出した。


「素晴らしいコンセプトだと思います。しかし、それは、あなた自身が本当に『信じている』ものですか? それとも、誰かに『演じさせられている』ものですか? あなたの甲冑は、あなたを護る鎧ですか、それとも、あなたを縛る鎖ですか?」


啓介の問いは、ミカの核心を突くものだった。彼の言葉は、まるで外科医がメスで病巣を切り開くかのように、彼女の心の内側へと深く切り込んでいく。ミカは、これまで誰も、ここまで深く彼女の本質に迫ろうとはしなかった。ファンは彼女の「偶像」を崇拝し、事務所は彼女を「商品」として扱ってきた。


ミカの表情に、動揺の色が走った。彼女の甲冑の下で、汗が滲むのを感じた。鉄の冷たさが、肌に張り付く。


そのとき、空間に甘く香ばしい匂いが漂ってきた。

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