第3話 JUMP!

 俺たちはようやく実験施設に着いた。


 どうやら施設には入れず、受付ホールのモニターで見るだけだった。ホールにいるのは、関係者らしき人や大学生、後でスタッフに取材できないか聞いている専門紙の報道関係者など三十名ほどがいるだけだった。


「なんだ、近くで見れないのか」

「あとで、近藤先輩が来て説明してくれるし、まあ、見ていようや」

「近藤先輩って、まだ研究室に正式に入ってはいないんだろ。説明できるのかなあ」


「いや、近藤先輩、研究室の教授に学びたいからって、この大学に入学して、教授に頼み込んで1年生の時から研究室に出入りしてたって聞いてるよ。だから、おれたちにわかるような説明くらいはできるんじゃない」

「歴史が変わる実験って言ってるけど、三十人くらいしかいないじゃん」

「ライト兄弟の初飛行のときよりずっと多いぞ。偉大なる発明は孤独と共にあるんだよ」

「いや、これだけいたら孤独じゃないから」


 俺たちは好き勝手言いながら、実験が始まるのを待った。


 近藤先輩から来ていたメールには実験の方法がくわしく書いてあったが、専門的な言葉が羅列して合って、まったく理解できなかった。


 でも、これまでとはアプローチを変え、ダークマターを検出するのではなく、エネルギーのぶつかりから、そのひずみからダークエネルギーを呼び出すか、生み出すかして、その過程でダークマターの検出を行おうとしているらしいことは一心の丁寧な説明で薄っすらと理解できたような気がした。


 そして、実験が始まった。



 実験が始まって1時間ほどしたとき、それが起こった。


 モニターから聞こえてきた声が、それまでの冷静で機械的な声から明らかに高揚したものに変わったのだ。これまでとは違ったデータが観測され始めたのだ。


「本当に世紀の大発見の場に居合わせたってこと?」

「どうなるかわかんないけど楽しみだね」


 さっちんが声をかけると、一心は期待に声を震わせていた。しかし、さらに1時間経っても、データ上の変化だけで、状態や現象の変化はまるでなかった。


 すっかり飽きてきた俺は、みんなの分のジュースでも買ってこようと、施設の外にある自販機に向かった。

 自販機の前に立ってると、空はうっすらと雲に覆われながらも暖かな日差しを浴びせてくる。


 そんな空を見上げると、視界の片隅に異変を感じた。その方向を見ると、実験施設の雰囲気が違っている。

 何がと言われると具体的には言えないが、明らかに空気が違って感じるのだ。

 



 何が起こる。

 

 その瞬間、光に包まれた。

 

 そう感じると同時に、「意識」が跳ばされた。



 身体から「意識」が抜かれ、恐ろしいスピードで上昇している。地面からどんどん離れていく。

 あっという間に、地球が丸いと感じる高さになった。

 最初、近くに多くの光が見えていた。何となく、それらはさっちんや一心たちだなと感じた。それがどんどん離れていく。ほんのわずかな角度の差が距離を重ねるごとに離れていってるんだとわかった。


 わずかな時間で月の横を「意識」が過ぎていった。そのころには、周りにあった他の光は星の瞬きの中に消えて行っていた。

地球から離れるに従いどんどん加速していく。現実感がないまま、それを認識している。


 月よりも小さく見える赤い星の近くを通った。「ああ。火星から少し離れたところを通っているんだな」と、感情は置き去りにされたのだろうか、驚きもせずに考える。


 現在、光の速さで「意識」が跳ばされているのだと感じていたら、さらにスピードが上がった。



「ああ、光を超えたよ。・・・」



 何かに飲み込まれていく。


 そして、意識は完全に消えた。





「…夢でね。空から町を見たんだ!」


「グフ様。それはよかったですね」

「うん! 丸い鉄の筒の中に座ってね、あったかいごちそうも出てきて…」

「あらあら、鉄は空を飛びませんよ。でも、ぜいたくな夢ですね」


 メイドのベスがにこにこしながら僕を抱きかかえる。18際になるベスは180セッチを超える長身だ。赤毛でちょっときつい目をしているが心根の優しい女性だ。新婚で、旦那は2メールちかい大男だ。

 7歳としては小柄な僕は110セッチほど。ベスは巨人のように見える。


「僕は7歳だぞ。ちっちゃい子じゃないんだ。降ろして」

 言葉では降ろしてと言いながら、僕はベスの首にまわした手にギュッと力を入れる。ベスの豊かな身体と柔らかな赤毛、そして何とも言えない女性の匂いにうっとりする。


「グフ様、力を入れたら降ろせませんよ」

 ベスは笑いをこらえながら言ってくる。僕が離れたくないとわかっているくせにいじわるな奴だ。


「ベスの匂い、好きだ。離したくない」

「まあ、ありがとうございます。私もグフ様の赤ちゃんっぽい匂い、好きですよ。」

「赤ちゃんじゃない!」

「赤ちゃんじゃないなら、お離しくださいませ」


 僕の中の何かがベスから離れたくないと叫んでいる。話題を変えよう。


「ベス、僕はグスタフだ。グスタフ様と呼べ」

「あら、グフ様がグスタフは言いにくい、グフと呼べとあれほどおしゃっていたのをお忘れですか」


 僕の名はグスタフ・ヴァン・マッケンゼン。幼い頃、グスタフと言えず、省略した『グフ』という言葉になぜかときめき、周りに呼ばせるようになったのだ。


「…もちろん覚えているよ。まあ、いい。このまま部屋まで運べ」

「はいはい、わかりました」

「はいは一回!」

「私の赤ちゃんもこんなふうに抱きついてくれるかしら」

 温かい日差しの中、僕はベスにだっこされたまま屋敷に戻った。



 その夜も変な夢を見た。


 奇妙な服を着たものすごい数の人々が規律正しい軍隊の行進のように地下へと降りて行き、鉄の箱の中に入って行くのだ。ドアが閉まり(誰が閉めたのだ?)、大きな音が聞こえ、窓の外が暗くなり、また明るくなったら、再び多くの人が入ってくる。信じられないくらい、ぎっしりと人が入っているのに誰も文句を言わない。馬が引いているわけでもないのに鉄の箱は動き出す。


 そこで目が覚め、つぶやいた。

「朝のラッシュは本当に嫌だな…」


 えっ、『ラッシュ』って何だよ。初めて聞く意味不明の言葉をつぶやいたことにぎょっとした。そして、こんな日が続いていった。


 変な夢を見るようになってから、ちょっとずつではあるが、僕は周りの子どもたちよりも早く「大人」になってきている。身体ではない。精神的にだ。考える力が自分でも驚くくらいついてきているのだ。


 夢の中の出来事がバラバラのかけらだったのが、つながり始め、僕は8歳になるころには、自分は文明がはるかに進んだ世界から生まれ変わった人間ではないかと思い始めていた。


 そのころから、ベスに紙を用意してもらい、朝起きたらすぐにもう一人のお付きのメイドであるケイトを呼び、夢の記憶を書いてもらっていた。紙はそこそこ高価なので、無駄遣いしないように細かな字で書く必要がある。そのため、字が上手なケイトに頼んだのだ。


 夢の記憶は断片的な語句であったり、1つの物語であったり、その時によって違っており、大人の手のひら大の紙1枚で1週間分は書けた。ケイトは毎回、不思議な夢を見るんですね。劇作家になれますよと笑って言った。

 

 木で作られた長椅子で、隣に座っているケイトに、『ピタっと』くっつきながら読んでもらうことで、僕もどんどん字を覚えていった。ケイトはこのとき14歳。すでに175セッチほどの身長で、スレンダー、茶髪・茶色の目の優しげな眼付きの美人だ。はかなげな感じでそそる。

 8歳で、しかも14歳の少女に対して「そそる」を使うのはどうかと思うが、そんな言葉が出てくるのだ。

 だから『ピタッと』なるのだ。


 貴族の子の多くは11歳の秋から王都の貴族スコラへ通う。その通い始める2~4年前、つまり速い子は7歳くらいから家庭教師をつけて学ぶのだが、貴族スコラに入学するまでに読み書きができればいいと考えている。

 

 それに対して、10歳を過ぎると働くことも少なくない商人など町の平民や自作農の子だと、だいぶ早い年齢から、教会が運営するスコラに通うことも多い。それぞれの経済状況で数か月から数年通っているようだ。


 農奴ならほぼ字の読み書きはできない。


 ちなみにこの世界は週6日制で年間60週。5日間、太陽が出てから沈むまで働き、6日目が祈り日だ。1月は5週の30日。それが12か月。そして、年末の5日ないし6日が1年の安息月、つまり13月だ。1週間の呼び方はシンプルに1の日から5の日と呼ぶ。最後の6日目が祈りの日と呼ばれる休日だ。

 



 僕が10歳になろうかというある日、このころ、ベスは産休中。大きなお腹を抱えていた。


 よって、僕のお付きはケイトのみ。そのケイトにこれまでの紙を1枚1枚読んでもらっていた。

 ケイトになんでそんなことをするのかと尋ねられ、ウェビングマップを作るんだと答えて、言葉の意味が分からないのか、不思議な顔をされた。自分でも『ウェビングマップ』という謎の言葉が何故出てきたのかわからなかった。


 ケイトのちょっとハスキーな声を聞きながら、頭の中で整理していく。


 あることとあることがいきなりつながる。



 1つの語句からいくつもの光の道が出てきて、他の語句とつながるのだ。まるで立体的な蜘蛛の巣のように語句がつながっていく。



 すべての語句がつながった。


 何かが頭の中ではじけた。



 僕の名は東郷成平、日本人だ。


 異世界転生? 


 いや、屋敷にある地図を見る限り、地球そのものだ。でも、歴史のプロセスがめちゃくちゃだ。地球の文明として考えると、12~19世紀が混在している。


 これまでこの世界で生きてきた知識と重なり合わせると答えが出てくる。




 この世界には、魔法が存在している。

 

 魔法があれば、科学や化学を補える。むしろ、一部では21世紀の地球文明ですら凌駕している。

 魔法でことが足りることも多いため、地球文明からするとかなりいびつに分明が進歩しているような気がする。


 一心が言っていた言葉を思い出す。

 

 ビッグバンのなか、全く同じ宇宙がコピーしたように存在するのではないか。

 

 そして、この宇宙ではダークマターやダークエネルギーが使えるようになっていて、同じような進化にはなっていないのではないか。

 


 似て非なる地球へ、俺は精神のみを強制移動されたようだ。

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