第5話 手がかりを得るために

「うーん、どうしよう……」


 ワゴンに置かれた皿を見つめ、リゼットは頭を悩ませていた。


 シャルロッテに関する情報が少なすぎて、どのようなスープとパンを作れば喜んでもらえるのか分からない。


 食べ残しから手がかりは得られないかと眺めているものの、よい案は一向に浮かんでこなかった。


(お皿からシャルロッテ様の気持ちを読み取れば、なにか分かるかもしれない。でも、勝手に心の中を覗くのは……)


 罪悪感に胸を締めつけられるも、考え抜いた末にリゼットは迷いを振り払った。


(こういう時に……。人の役に立てるかもしれない時に使わないで、いつ使うの?)


 自分とそして周囲のために、これからは能力を上手に活かしていく。

 サフィーネからアドバイスをもらったあの日、そう心に決めたのだ。自分はもう揺らがない。


 リゼットはシャルロッテに提供した皿を流し台に運び、ふちに手を添えたまま目を閉じた。指先に意識を集中するにつれ、調理場のざわめきが次第に小さくなっていく──。



『さあ、シャルロッテ! 朝ご飯だよ。今日もすごく美味しそうだぞぉ~!』



 最初に聞こえてきたのは、マディソンの明るい声だった。


 真っ暗だった視界が少しずつ明るくなっていき、やがてお人形のように可愛らしい女の子の姿が脳裏に浮かび上がってくる。


 おそらく彼女が、この屋敷に住む三歳の女の子シャルロッテに違いない。


 ふわふわと波打つ長いブロンドヘアに、こぼれそうなほど大きなスカイブルーの瞳。頬はぷっくりとしていて、丸みを帯びた輪郭がとても愛くるしい。


『いただき、ますっ!』


 テーブルに並んだ料理察するに、これは今朝の食事時の光景なのだろう。

 フォークとナイフを手に取ったシャルロッテは、パンを開いて中に野菜を見つけるとぷくっと頬を膨らませた。



 ──【やさい、きらい】



 唇は動いていないのに、不機嫌そうな呟きがリゼットの耳に届く。

 洞窟にこだまするようなエコーのかかった響きは、シャルロッテの心の声だった。


 器用にサンドイッチをバラバラにしてチーズとハムを食べ終えた彼女は、次にライ麦パンを口に運んで唇を尖らせる。



 ──【むぅ…………ボソボソ】



 どうやら噛みごたえのあるパンは好みではなかったらしい。

 口の中の水分をライ麦パンに奪われてしまったのか、ゴクリゴクリと牛乳を飲み干す。


 それからベーコンとほうれん草のソテーをジーッと凝視して、小さく刻まれた葉をせっせと取り除きはじめた。


 そんなシャルロッテを見てマディソンが苦笑いする。


『野菜を食べないと、大きくなれないぞ』


『だってぇ……』


『知っているか、シャルロッテ。野菜を食べたら、美人さんになれるんだぞ』


『びじんさん……? びじんさんって、なぁに?』


『え? うーん、美人さんって言うのはだなぁ……美しい……綺麗……? ええっと……美し……いや、それはさっき言ったか。じゃあ、麗しい……は、子供には分からないか……』


 普段は何気なく使っている言葉でも、いざ意味を訊かれると案外説明が難しいものだ。


 しどろもどろになってしまうマディソンに、シャルロッテが首をコテンと傾げて無邪気な声を上げた。


『うーんとね。シャルロッテ。びじんさん、ならなくていーや』


『え。そうなのか?』


『うん! シャルロッテ、かわいープリンセスに、なりたいのっ! びじんさん、いーらないっ!』


『そ、そうか……。でも野菜は』


『やさいさんも、いーらないっ!』


 子供との噛み合わないやり取りに苦戦し、結局言い負かされて肩を落とすマディソン。


 大人の苦労など知るよしもなく、シャルロッテは再びほうれん草の撤収作業に勤しみはじめた。


 やがてそれが終わると、まるで大仕事をやり遂げたかのように「ふぅ」と息をつき、ベーコンだけをペロッと平らげてしまう。


 次に手を伸ばしたのは、デザートのブラックチェリーだった。

 とても甘いのだろう、シャルロッテはふにゃんと顔をほころばせてご満悦だ。


 果物を食べ終えると、両手を膝の上に置いてペコリと頭を下げた。


『ごちそう、さまでした!』


『待て待て。まだ野菜がたくさん残っているよ』


 シャルロッテはふるふるっと首を横に振る。


『もう、いらない。ごちそうさまするの』


 拒絶するように唇をキュッと結んだシャルロッテに、マディソンもそれ以上は強く言えず、困ったように後頭部をかいた。


『参ったなぁ。どうすれば食べてくれるんだ?』



 ──【だって…………おばさんのごはんと、ぜんぜん、ちがうんだもん……】



 シャルロッテは口には出さず、心の中でマディソンに答えた。


 次の瞬間、彼女が思い浮かべている食事の風景が、リゼットの頭に流れ込んでくる────。


 子供でも食べやすい大きさにカットされ、皿に盛り付けられた魚料理。

 付け合わせのニンジンは花のような形に、デザートのリンゴはウサギのように飾り切りが施されている。


 器の中で揺らめくのは、黄みがかったオレンジ色のスープ。

 表面にはカボチャの種らしきものが飾り付けとして添えられていた。


 シャルロッテは、食べやすく彩り豊かで目にも楽しい料理が好きなのかもしれない。


 もっと彼女の好みを知りたかったが、残念ながら映像はそこでプツリと途切れてしまった。


 舞台の幕が下りるように視界は暗転し、遠ざかっていた調理場の喧騒が再び大きくなっていく。

 

 さらなる手がかりを求めて再度力を使ってみるも、今度はなにも感じ取れなかった。


(マディソンさん、シャルロッテ様とすごく親しそうだったけど、どういうご関係なのかしら?)


 色々と不思議に思うものの、リゼットは気持ちを切り替え、先程見たことを忘れないよう紙に書き留めていく。


 屋敷の情報収集は大切だというサフィーネの言葉には一理あるけれど、今は目の前の仕事に集中しなくては。

 もたもたしていたら昼食の時間に間に合わなくなるし、なによりリゼットは一介の使用人。過度に深入りすれば、それこそトラブルに巻き込まれるかもしれない。


 知るべき情報はいずれ、しかるべき時に教えてもらえるだろう。

 その時まで、自分は与えられたキッチンメイドの職務をまっとうするだけだ。


 リゼットは食材を揃えるべく、さっそく地下貯蔵庫へと向かった。

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