弐:その『御』に、正義はあるか
翌朝の光は、いつもより白く感じられた。
街の喧騒もどこか遠く、ただ風に舞う葉が石畳を撫でるように擦れ、「さら、さら」と控えめな音を立てていた。
「ねえ
「それ……まさか、昨夜の?」
「それに、あの妖の目。焦点がなかった。動きにも意志が感じられなかった……ただ、命令されてるみたいに、突っ込んできて。」
彼女の声は冷静だったが、その瞳にははっきりとした疑問と不安が宿っていた。
「……
「まさか……いや……それは……」
彼の口が何かを否定しようと動いたが、言葉にならない。
——そして。
「
突如、街の通りの向こうから、鋭く響く怒声が空気を裂いた。
銀の装束を纏った影が、通りの奥から続々と姿を現した。
そのどれもが一様に、剣を佩き、靴音を揃え、威圧感に満ちた気配を漂わせている。
……御妖師、かな。
——まるで、ただならぬ敵意を本能で察知しているかのように。
先頭に立つ男の一歩は重く、鋭く、まるで大地を断ち切るようだった。彼の目が
「何をモタモタしてる!
その声音といい、口調といい、否応なく彼の記憶を引き戻す。
「……
彼は呟くように、そう呼んだ。その男は、楚湛言によく似た目をしていた。ただし、その目には一切の迷いも、優しさもなかった。
……讙を、渡したくない。
人の群れの後方で、一体の白い影が月の記憶をなぞるように、堂々と現れた。だがその歩みには、意志も感情もなく、ただ命令をなぞるかのような空虚さがあった。
人なのに……白銀の髪が風に揺れて、背中には黒い剣。
獣じゃないはずなのに、その瞳は——どうして、あんなにも獣みたい……
……ううん、違う。
そして。
——剣を、抜いた。
「……っ!?」
驚きに息を呑む
次の瞬間、街の空気が張り詰める。
緊張は、一触即発。
「……やめろ。」
小さく、けれど確かに、そう呟いた。
「やめろ、
だが、その声は届かない。
「やめろ?……今さら妖と話が通じるとでも思っているのか?」
「退かないのなら、斬れ。剣を持ってるんだろう、楚湛言。お前に教えてきたはずだ、ためらいは刃より危うい……何を迷っている?」
「……こんなのが、『御』かよ……?」
その場に立ち尽くしたまま、彼は唇を噛みしめた。
「師匠は昔……言ってた。妖にも、良いのと悪いのがいる。讙は——あいつは、宮を出てから一度も人を傷つけてない。火の中で、人を助けたんだ!」
言葉の端が、怒りと悔しさで震えていた。
「そんな奴まで『連れ戻す』のが、正しいっていうのか?」
「正しい、だと?お前が『正しさ』を語るのか?」
「自分の師匠を、俺の兄弟子を、この手で斬り伏せたのは誰だった?他でもない……お前だろう、
「お前と兄弟子は、いつも『情』に縛られていた。だからこそ、ああいう末路を迎えたのだ。」
その声音には、微塵の同情もなかった。ただ冷たく、乾いた断言が続く。
「人と妖は共に生きられない。だからこそ、『御する』のだ。」
銀衣がひるがえり、彼の目には、得意と傲慢が滲んでいた。他人など最初から視界にないかのように。
「『御』とは、従わせること。『妖』を、縛り、制し、支配すること——それが、我ら御妖師の本懐だと、何度教えた?」
「違う、違う……師匠は言ってた。『御っていう字はな、支配の意味もあるけど——本来は敬うって意味もあるんだ。妖と人は、互いに尊重し合えるはずだ』って!」
かつて、
言われるままに妖を封じ、命じられるままに術を使う——それが正しさだと、疑ったこともなかった。
だが、あの夜——
果てしなく広がる血の海と、師匠が倒れた時の悔恨の涙は、今もなお脳裏を離れない。
もしあのとき、妖を少しでも理解しようとしていたら。
もし、ほんの少しでも、尊重しようという気持ちがあったなら。
すべては、違った結末を迎えていたのではないか。
人に善悪があるように、妖にも善悪がある。
それは、ごく当たり前のはずなのに——
なぜ、御妖師たちはそれを見ようともしないのか。
妖の感情を理解できる方法があれば。
同じ酒を酌み交わし、心を通わせる手段があれば。
きっと、あの優しい師匠も、兄弟子も、無為に命を落とすことはなかった。
きっと、その家族たちも、あんな絶望に沈むことはなかったはずだ……
「
言えなかった。いや、言わなかった。言いたくなかった。
視線が、つい隣の
だが、それに気づいた瞬間、慌てて目を逸らした。
——言葉にしたら、きっと彼女を巻き込んでしまう。
たった一言でも、いや、一瞬の視線さえも、彼女に災いを呼びかねない。
万が一、
その想像だけで、喉が詰まるほど苦しかった。
「ああ、またそんな無駄で無意味で、甘っちょろい理屈を語ってるのか。だから俺は兄弟子に言ったんだ、お前にそんなこと教えるべきじゃなかったってな。
「意志を奪われて、ただ命令をなぞるだけの……あれは、ただの兵器だろう!」
「そんなやり方で妖を『御』するっていうのか!?それが……それが、私たちの『正義』なのかよ!」
沈黙。
街の空気が、冷たく張り詰める。
その言葉に、一同が凍りついた。
「正義?——お前が勝ってから、語れ。」
声音は刃のようだった。情も迷いもそこにはなく、ただ命令と結果だけを重んじる者の声だった。
その瞬間。
——ズンッ!
大地が鳴った。風が止み、誰もが息を呑む。
次の瞬間、白銀の身体が風を裂く。
剣が横一文字に振り抜かれる。容赦など、一切ない。
「——っ!?」
空気が裂ける音。風圧が建物の簷をめくり、砂埃が舞う。
——
刹那、剣が閃き、戦いが幕を開けた。
ーーーーーーーーー
今回は、
https://kakuyomu.jp/users/kuripumpkin/news/16818792436361389373
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