私は、いる

幌井 洲野

(1)勝部あやみ

 「勝部あやみ」。それが私の名前だ。自分で言うのもおこがましいが、私は、そこそこ人気のある小説家である。私は滋賀県大津市の出身だが、大学生の時に、地元の文学賞に応募した「石山から望むあはうみの光」という小説が、処女作でありながら大賞を受賞し、大学を卒業してから本格的に執筆を始めた。


 ところが、私には自分でも不思議なことがある。私が高校一年生になる以前の記憶が全くないのだ。私は今、母親と二人で大津の自宅に暮らしている。母親は当然、私を生み育て、私もそこで大きくなって、今に至っているはずだが、中学三年生までの記憶が全くない。言ってみれば、あるとき気づいたら、母と自宅があり、その翌日から当たり前のように自分の高校に通学した、という感覚である。


 といっても、私が高校一年生になる前の記憶がない理由は分かっている。私はどうやら、この世界のどこかにいるらしい、別の人間に、創り出された存在らしいのだ。私も、高校一年生になるまでの記憶がない、ということにはさすがに違和感を覚えて、執筆の合間に調べてみた。そうすると、ある「小説家」が、私自身のことを書いた「小説」をネットに発表していた。作者の名前は「幌井洲野」。「ほろい すの」と読むらしい。幌井の作品を読んでみると、正に、私の記憶にある高校時代以降の私のことが、私生活も含めて赤裸々に書いてある。すべて私自身が記憶している「正しい私の姿」だ。


 なるほど、私は、幌井がネットに上げた作品の中から、その作品が存在するこの世界、つまり、幌井のいる世界に、なにかの理由で「出現」してしまったらしい。それに合わせて、私の家族や友人、仕事先までまるごとこの世界に現れた。そして「いまのところ」、私も、私の周囲の人や組織も、この世界で何事もなかったように普通に日常を送っている。


 これはまるで、SF小説の「多重世界」のような状況だ。いや、多重世界でも、その中の二つの世界がつながってしまったようなものかもしれない。幌井のいる世界と、幌井の小説の中の世界がつながっている。


 今のところは、私の生活にも何の支障もない。一応、「人気作家」というポジションにいるので、それなりに仕事をしている。現在は、小品やコラムなどを書きながら、長編次回作の構想を練ったりしてそれなりに充実している。ちょっと変わった点というか、これは幌井にお礼を言うべきところなのだろうが、私を人気作家に押し上げてくれた、「私」の中長編作品は、どうも、本当は幌井が書いてくれたものらしいのだ。しかし、私にも、その執筆をした記憶がきちんとある。これらの小説は、私が高校三年生の時に「出現」した後に書いたことになっているからだ。たとえそれが幌井の書いてくれたものだったとしても、私が自分で丹精込めて作った珠玉の作品、ということで通すことができる。今日も「勝部先生」に、メディアから取材の申し込みが来ている。

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