第42話 ※残酷的表現有。
虚ろな目で息絶えているあの子を見つめていると、
「キヨ様」
不意に名前を呼ばれ顔を上げると、何時の間にやって来たのかカガミが私の涙を拭ってくれていた。
「以前、キヨ様が私に言った言葉。覚えていらっしゃいますか?」
「……」
何も考えられなくて、力なく首を横に振る。
「貴方は私に、東部最高峰の妻、と言いました。ですが、淑女が目標とされているのは、誰だとお思いですか?それは貴女様です。国王妃様も貴女様をお慕いしている程です」
一呼吸置いたカガミは私の肩を掴み
「そんな貴女様を彼女は守ったのです。貴女と言う宝を守ったのです。だから、泣かずに誉めてあげて下さい」
きつく言い聞かせる。
国王妃と仲良くなったのも、子育ての話からだ。そこから、よく王宮に呼ばれるようになって、今では完全なるママ友だ。
そして、何処の国でも、どの時代でも、上級国民は守られて当たり前の存在なのか。いや、しかしだ。そのお陰で私の命は助かったのだ。生きてやろうと心に誓った通りに。ならば、生きてこの犯人を捕まえなければ。
「ありがとう、カガミ様。…ハルドール、この子の家族を見つけて。最大限に家族に支援をしてあげたいから、報告して」
「畏まりました」
「いいよね」
「お前が決めた事に口出しはしない」
ケイモンドは私の頭を撫でると、怪我人の状況を把握しに広場の方へ向かって行く。
「怪我人を噴水の近くに集めろ!手前は軽度の者で、奥に重度の者を!」
その声に他、侯爵達が動く。
「ハルドールは近辺に住む医者を片っ端から呼んで来い!」
「御意」
返事をすると、私に一礼して馬に跨って颯爽とかけて行く。
すると
「き、キヨ様!」
真っ青な顔をしたローズがミュエルとこちらに向かって来た。
「どうしたの!?」
「先程、オクタン様に報告をしたのですが、護衛騎士とメイド達が複数の倉庫内で倒れているのを発見したのです」
「休憩に私のお店の裏で昼食を摂る様にして用意していたはずなのですが、使われていない倉庫で昼食を摂っていて…」
「全員、大丈夫なの!?生きてる!?」
「わ、私達はそれを発見しただけで、急いで報告に向かったので、安否までは…」
ガタガタと震えているミュエルを支えるようにローズが肩を抱きしめる。
「オクタン様がご一緒だった侯爵様方を連れて、確認に行って下さっているので、もう少し待ちましょう…」
何が起こっているのか。
人間を襲う犬が急に乱入してきて人々を襲い、死者まで出した。
十分過ぎる程の警備を導入したのに、それまで奪われて…。
『私を殺す為?それにしては大規模すぎる。ならば、この東部を破壊する為?』
色々な考えが頭で渦巻く。
「ミュエル!怪我は無いか!?」
「あ、あなた…」
よろけながらミュエルは旦那であるアイゴ侯爵の許へ行き、抱き着く。
「聞きたい事がある。ミュエル、お前が用意した食事は何だったか?」
その言葉に一同が固まる。
「わ、私、違います!私では、」
「大丈夫だ。怒っている訳でも疑っている訳でもない。お前が何を用意したのかを聞きたいだけだ」
「…私は、先日、キヨ様達にお出しした、サンドイッチとクッキーとスコーンを用意していました」
「他は?」
「他、ですか?いえ、その三点だけを用意しました」
「オフリー様!」
タイミングよく馬でオクタンが確認が終わって駆け付けた。
「飲み物に睡眠薬が混入しており、それを飲用した為、と結果が出ました。殆どの者は只、眠っているだけですが、数人、多量に摂取した為か、昏睡状態。…三人程、耐性が無かったのか、息絶えていました」
「が、ガルル!ガルルは!?」
「ローズ嬢の専属騎士ですよね?大丈夫です。体調が良く成り次第、こちらに来るように言ってあります」
「ありがとうございます、オクタン様…」
ガルルが無事だと分かりローズは胸を撫で下ろし、ミュエルも自分が出した物ではない事が分かり旦那と抱き合っている。
「アイゴ侯爵様、ミュエル様を先に屋敷へ連れて帰ってください。ローズ様はガルルが来たらすぐに帰宅して下さい。カガミ様は誰か、信頼できる者はいますか?」
周りを見渡すカガミは誰も知った顔が無いようで、首を振る。流石に知った者に連れて帰らせないと、何か遭ったら困る。
「じゃあ、ハルドールが帰って来たらカガミ様は彼と帰宅という事でいいですか?」
「は、はい」
「キヨ様はどうなさるのです!?」
「私はレイアン様を迎えに行って帰宅させたら、誰か捕まえてすぐに帰る。絶対に帰る」
ケイモンドが直ぐに帰れる状態では無いだろうから、誰か捕まえなければ。
その時。
「きゃーーーーー!」
と金切り音に近い叫び声がして、私達は一斉に声の方を向く。そこには、レイアン。レイアンの目の前には、私を襲った犬等、比でもない程、大きい犬が牙をむいていた。ガタガタと震えているレイアンに
「レイアン様!犬に背を向けないで!怖いだろうけど、絶対に背を向けちゃ駄目!」
大きな声で呼びかける。
そこにタイミングよくハルドールが戻って来たので、カガミを頼みミュエルと一緒に広場から遠ざける。とりあえず、被害者をひとりでも少なくしなければ。
「絶対に戻って来ちゃ駄目。いい?屋敷に戻ったら、報告が行くまで待ってて。約束よ」
少し納得がいかない二人だったが、渋々頷き、馬に跨ると屋敷の方へ走り出した。
怪我人の対処を指示していたケイモンドは、急いでレイアンの許へ駆け寄り、背に隠す。多分、私達の所へ来ようとして、犬と鉢合わせしたのだろう。
「あの犬です。私が、仕留め損ねた犬は」
怒りなのか獲物を見つけたという高揚感なのか分からない声色でローズがゆらり、と揺れたように感じた。
ケイモンドとレイアンが何かやり取りをしている。そして、ケイモンドが犬に駆け寄ると、そのタイミングに合わせてレイアンが私達の方へ駆けてくる。傍まで来ると、私はレイアンを抱きしめ、
「よかった、無事で」
安堵の余り、涙声になってしまっていた。
「こわかった、こわかったですぅっ、うっ、う、」
嗚咽を漏らして、泣くレイアンの背を摩った。
「…オクタン様、お手伝いをお願いしたいのですが、宜しいですか?」
その言葉に涙も引っ込んでしまう。
「も、もしかして、ケイモンドに加勢しようと思ってるの!?」
「もしかしなくてもです。名将と呼ばれたお父様の子ですもの。あの時の恨み、晴らして勝ち星を挙げてみせます」
そう言ってここ最近持ち歩いていた黒い筒を開け、中から弓を取り出す。ここ最近、持ち歩いている黒い筒が何なのか聞けずにいたが、弓というのは想定外だった。しかし、何故…。
「本当に悔しかったのです。キヨ様を襲った犬でなくとも、同種。弓の腕には自信があたのに、仕留めそこなった。お父様にもお兄様にも弓だけは負けた事が無かったので、あの犬に負けた気分にさせられて。…絶対に、再戦の機会があれば次は勝つ、と練習をしていたのです」
ぐっと力を入れて弓をしならせようとするが、あんな事が遭った後だ。力が入らなくても仕方ない。
「…申し訳ないのですが、弦を張るのに少し弓をしならせたいので、力を貸して下さいますか。オクタン様」
「あぁ、任されよ」
そう言ってオクタンは、いとも簡単に弓をしならせ、弦を張る。
「…ありがとうございます」
そう言ってローズは着ているドレスの右足サイドを下から膝の辺りまで引き裂き、止める間もなく、弓を掴みケイモンドと犬の方へ向かって行ってしまった。
止めなきゃ、と足を動かした瞬間、オクタンに止められる。
「ボクが行きます。何か遭ってもボクが盾になります。ローズ嬢には傷ひとつつけさせません」
そう言って、彼はローズの後を追って行った。
「ローズ嬢、おひとりで動かず、ボクを頼ってください」
そっとローズの後ろからオクタンが支え、弓を構えた。しかし、ケイモンドの動きの速さに、予想以上の犬の飛躍力に標準の憶測が出来ない。
「っ、これではケイモンド様に当たってしまう…」
ローズが悔しそうに弦を緩め、少し弓を下げた。
「…ローズ嬢、あの犬の右目に弓を命中させたのですよね?」
「はい」
「ケイモンド様が六時の方角として、ボク達が四時の位置に移動しても狙えますか?」
「…狙えない訳ではありませんが、もう少し近くに、」
「いえ、ケイモンド様の所に貴女を近づけさせて怪我等させたら、いやはや、考えただけでも恐ろしいです」
「…そうですね。キヨ様からお小言だけでは済みそうにないです」
思わず二人して笑う。
「後、ローズ嬢。あの犬、やはり躰が大きいので飛ぶ前にかなり低く力を溜めています。約三秒程」
「…ならば、私が一本目をわざと足元を狙います。そうすれば習性上、一旦、後ろに飛び退くでしょう。そこをケイモンド様に一撃、入れて頂きたいです」
「流石、名将の娘ですね」
「敵の生態を知るのは戦術の基本ですわ」
クスリ、と笑って
「その時の一撃は躱されるようにお願いしたいのです。元の場所に一旦戻って五秒待ってから次の攻撃を繰り出して欲しいです」
真面目な顔をする。
「仰せのとうりに」
そう言って、オクタンはケイモンドに合図を送る。
ケイモンドは視野に犬を捉えたままオクタンの合図を確認。隣のローズが弓を持っている事から、あの鬱憤を晴らしたいのだろうと推測する。
「これはお膳立てしてやらないとな」
ケイモンドは直ぐに犬から距離を取り、弓が放たれるのを待つ。
「オクタン様、補助をお願いします」
そう言ってローズは弓を構える。と、オクタンが躰を支えるように手を腰に回す。
シュッ、と音を立てて発射された矢が、犬の左足の前の地面に刺さり、それに驚いた犬は予想通り、後ろへ飛び退いた。
ローズの指示通りケイモンドは躱される一撃を繰り出したが、犬は弓で狙われないように飛び跳ねるように動き回り出した。一撃を躱してすぐに飛び掛かるだろうと思っていたのに、当てが外れた、と舌打ちをしたローズにオクタンは
「大丈夫です。ケイモンド様が必ず機会を作って下さいます」
そう言って左腕を支えるように躰を密着させた。
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