第7話 告白

「ダンス、頑張ってたじゃん。すげーよかった」

 午前の種目を終えてクラスのもとに戻れば、奏汰がすぐにそんな言葉をかけてくれた。

「ありがと。……本当に動画撮ったの?」

「ばっちり。あとで送るな」

「いや、それはいいかな……」

 奏汰の隣に座り、荷物から菓子パンをひとつ取り出して開ける。

 奏汰には「もしかして、お昼それだけ!?」と聞かれたけれど、食欲はあれからも思うように戻ってはいなかった。

「ちょっと痩せたんじゃねぇの……」

 眉毛をそういう顔文字みたいに八の字にして、奏汰は僕の頬をぺたぺたと触る。

「どうだろ……。体重、量ってないからなぁ」

「心配。おにぎり1個食べる?」

 やんわりと断ると、奏汰は「心配」と繰り返して自分のおにぎりを齧っていた。

「姫委員長~っ! ダンス最高だったよ、今まででいちばんよかった!!」

 無事に1位を取ることができて、ごきげんの立花とハイタッチする。

「立花も、色々教えてくれてありがとね」

「あたしは何もしてないし。……でも、嬉しい。こっちこそありがと!」

「立花ぁ~」

「日枝……? あんた、なんでそんな絵文字みたいな顔してんの」

「真紘が~……委員長がさぁ、飯食わねぇんだよ」

「はぁ!?」

 その言葉に、立花の顔が一気に険しくなる。

 手にした菓子パンに、盛大にため息をつかれた。

「何、ダイエットしてんの!? 委員長」

「いや、そういうわけじゃ……」

「身体動かしたんだから、ちゃんとご飯食べなさいよ! あたしより痩せたら許さないんだからっ」

 最後のは思いきり私情に聞こえたが、いちおう心配してくれているらしい。グミをくれたので、「ありがとう」と言ってもらっておいた。

「あの……これ、私もあげるよ」

 そこには、先刻の金原さんがいた。

 ピンクのハート型のヘアピンが彼女の明るい髪色によく似合っている。

「さっきのお礼。……ちゃんとご飯食べなね」

 そう言って、美味しそうなクッキーを2枚くれる。

「……ありがと」

 彼女が優しい子なのが、今はちょっとだけ辛かった。

「あとさ、日枝。それ食べたら……ちょっと校舎裏まで来てくんない?」

「は!? 怖っ! カツアゲでもされんの、俺」

「違うから。ちょっと顔貸してよね」

 金原さんとアイコンタクトを取る立花に、その意味を理解する。

(告白、するのかな……)

 胸のあたりが苦しくて、パンが喉を通らなくなった。思わず奏汰のTシャツの裾を引く。

「……ん? どうした、真紘」

 立花と金原さんがこっちを見ていた。

『行かないでほしい』。

 そんな風に言う権利は、今の僕にはない。

 そのことに気づいて、つかんだ手を離した。

「……僕、生徒会のところに行ってくるね」

 残りのパンを口に詰め込み、立ち上がる。

「あ、おい。真紘っ」

 引き留める声が聞こえたけれど、後ろを振り返ることはできなかった。

 どんな顔をしてあの場所にいればいいか、わからなかったから。


 逃げるようにしてやってきた体育祭の運営本部。

 大きなテントが張られたそこは、前日まで準備をしていたにもかかわらず、バタバタと忙しそうだった。

「おおっ、姫川か!」

「会長……戻ってたんですね」

「ああ、午後の準備があるからな!!」

 本部には会長だけでなく、他の生徒会役員や体育祭実行委員の姿もあって、みんなの『体育祭を成功させよう』という気持ちが伝わってくるようだった。

 この慌ただしさは、気持ちを紛らわせるのにちょうどいい。

「手が空いたので……何か手伝うことはありますか?」

「佐野ぉー! 姫川が、何か手伝うことがあるかって聞いてるんだが!!」

 僕の言葉をそのまま伝える会長。

 そっか。こういう具体的な指示は、会長よりも副会長だったっけ。

 佐野副会長が長机の影からぬっと顔を出して、手招きしている。先輩は青い袋に入ったバトンとにらめっこしているようだった。

「ちょうどいいところに来た、姫川……。このバトンの数を数えてくれないか」

 砂の上に転がっているのは、カラフルなリレー用のバトンだ。何のことかと思ったけれど、僕は先輩の指示通りひとつずつ数えていく。

「全部で8本、ですね」

「だよな。……で、競技に必要なのは?」

「今年は先生のチームもあるから10本……。あれ、2本足りない」

「そうなんだよ。しかも、用具係が腹痛でどっか行ったんだ。あいつはあとで○すとして……悪いけど、体育倉庫の中を見てきてくれないか?」

 タイミングよく吹いた風のせいで副会長の言葉はよく聞こえなかったが(なんか、物騒な言葉が聞こえた気がするが)――僕は黙ってうなずき、倉庫の鍵を受け取った。

「袋の口が開いてたから、どこかに落としたんだと思う。探してきてくれ」

 チーム対抗リレーは毎年いちばん盛り上がる種目でもあり、重要な任務だ。僕は副会長に返事をするなり、グラウンドの端まで走った。

 広いグラウンドの隅にひと気はなく、僕は深呼吸をひとつして鍵を開ける。

 薄暗い倉庫の中はホコリっぽく、たくさんの器具であふれていた。大きなカゴに入ったサッカーボール、陸上のハードル、三角コーン、ビニールシート……。

 辺りを見回すと、雑多なものが詰め込まれた棚の下に赤と青の何かが見えた。

 体操用のマットが邪魔で取りにくい。

 しゃがみ込み、思いきり手を伸ばした。

「取れた……!」

 それは、たしかにリレー用のバトンだった。

 無事に任務を終え、倉庫を閉めて鍵をかける。

 ふたつのバトンを手にテントに戻ろうとした、そのときだった。

(あれって……)

 グラウンド端の体育倉庫からは校舎裏がよく見える。

 そこに3つの人影があった。

 立花と金原さんと……奏汰。

 神様はたまに、こういういじわるをしてくる――と僕は思う。

 見たくないものばかり見せてくる。

 僕が見たいものは、ぜんぜん見せてもくれないのに……。

(戻ろう……)

 たぶん、これは僕にとっても、奏汰にとってもあまる気持ちだ。

 自分の心の中に秘めておくのがいちばんいい。

 過去を振り返っても、いつからそういう感情を持つようになったのかはわからなかった。

 毎日、連絡を取るようになってから?

 放課後、一緒に遊びに行くようになって、奏汰が僕のことを心配してくれるようになってからだろうか。

(いや……たぶん、もっと前な気がする)

 奏汰は僕の中学時代の写真が広まっても、ずっと今の僕のことを見て、信じてくれていた。

 仲良くなりたいと言って、ずっと話しかけてくれていた……。

(でも、きっと……奏汰にとっては迷惑だろう)

 奏汰のことを好きな、金原さんにとってもそうだ。

 この気持ちは、友情なんかじゃない。

 せっかく僕と友達になってくれた、奏汰の気持ちを裏切ることになりかねなかった。

 校舎裏から目を背けて考えていると、どこからか甲高い声が聞こえてきた。

「姫川~っ! バトン、見つかったぁ? 私もこっちに派遣されたんだけどー」

 水沢がいつもの三つ編みを揺らしながら、倉庫に向かって走ってきている。

(……しっかりしないと)

 体育祭はまだまだ、これからだ。

 僕は気持ちを切り替え、声を張り上げた。

「ありがと~! 見つかったよっ!」

「……ホント!? よかった~。早く戻らないと、副会長の情緒がやばいよっ」

 先輩の朝の様子を思い出し、「ひっ」と変な声が出る。

「わかった、すぐ戻ろう!」

「うんっ! ……それに、姫川は午後からすぐ借り人競争でしょ?」

 その言葉にプログラムが頭に浮かんだ。午後からはお楽しみ的な種目も多く、借り人競争、綱引き、玉入れ、最後にリレー。まだ出る競技があったことを思い出し、はっとした。

「そうだった……」

「大丈夫? 最近なーんか、うわの空って感じだけど」

「だ、大丈夫だって」

「本当に? ほら、服とか顔とかホコリまみれだよ」

 水沢がホコリを払ってくれる。

 頬をぐい、と手で拭われて、朝の奏汰とのことを思い出した。

 触られるだけで熱くなるような感覚が、今はない。

「……ドキドキ、しないや」

「えっ?」

「ううん。何でもない。早く行こっ!」

 水沢にお礼を言って、走り出す。

 僕は校舎裏の3人がどんな話をしているのか考えないようにしながら――バトンを持って、水沢とテントの方へと向かった。


 朝から情緒不安定気味な副会長には意外と怒られることもなく(むしろ、褒めてくれた)、僕らは無事に午後の種目を迎えられた。

 テントに戻ってすぐ、借り人競争のプログラムが始まる。

 ルールは借り物競争とほぼ同じ。紙に書いてあるお題に当てはまる人を広い会場内から連れてきて、一緒にゴールまで走るというシンプルなものだ。

 こういう、運動が苦手な人でも活躍できるような種目を入れようというのは、生徒会からの提案だった。体育祭には毎年ひとつだけ『生徒会種目』があり、生徒会役員が中心になって競技を考える。

 学生にアンケートも取るのだが、あまり運動が得意じゃない生徒でも楽しめるような企画が欲しいとのことだったので、今年は佐野副会長の提案で借り人競争をすることになった。僕自身、お世辞にも運動が得意とは言えないので、この種目で助かった。

(できれば、簡単なお題でありますように……)

 そう祈りながら、順番を待つ。

 見たところ、『眼鏡をかけた人』や『背の高い人』など外見にまつわるものが多そうだった。

 中には『サッカー部』などの所属に関するものや『一発芸ができる人』『何かの優勝経験がある人』など、ちょっと難しそうなお題も混じっている。

 5番目の走者がゴールして、次は自分の番。

 箱があるところまで走っていき、これだと思う紙を引いた。

(……え)

 紙に目を落として、絶句する。

『好きな人』。

 おいおいおいおい。

 これ――作ったやつ、誰だよっ!!!!!

(佐野副会長かっ……!!!)

 あの人はいつも厳格で真面目なふりをしているが、意外とこういうところがあった。ユーモアという意味では会長に近いのかもしれないが、完全な悪ノリだ。

 戸惑っている僕に気づいたのか、彼はゴールテープを持ちながらニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。

 クソッ、やられた……!!!

(どうしよう……)

 最初に思い浮かんだのは――やっぱり奏汰の顔だった。

 遠くでクラスメイトと一緒にいるのが見えるし、奏汰もこっちを見てくれているような気がする。

 走って行けば、きっと手を取ってくれるだろう。

(でも……)

 友達としての好きなら、まだよかったかもしれない。

 でも、僕のは恋愛的な意味での『好き』だ。

 下心があるし、それに……どうしてもあの幸せそうな金原さんの顔が浮かんでしまう。

(もし、奏汰が彼女の告白にOKしていたら……?)

 そう考えると、とてもじゃないがお願いすることはできなかった。

 他の走者はすでに、クラスメイトや知り合いのところに走り始めている。あまり考えている時間はなさそうだった。

(……そうだっ! 生徒会長なら)

 僕も人として好きだし、あのキャラはみんな好きだろう。

 それに、同じ生徒会だ。『好きな人』というお題に対して、恋愛的な意味に取られることもないだろうし、相手に迷惑をかけることもなさそうな気がする。

 生徒会長はテント下の椅子に、まるで飾りものか何かのように座っていた。

「深海会長っ!!」

 名前を呼ぶと、彼はいつもと変わらず元気な声で返事をした。

「おうっ! ……何だっ、姫川!!!」

「いや、『何だ』じゃなくて競技中ですっ。一緒に走ってほしいんですよっ……!!」

 テントまで迎えに行き、会長の手を引いてトラックを一気に駆け抜ける。

 テントからゴールまでの距離は近く、僕は無事に2位でゴールすることができた。

 会長はとつぜんのことにきょとんとした顔をしていたが、どうやら楽しかったらしい。

「久しぶりに、全力で走った気がするな!」と言って笑っていたが、お題が何だったかを知った後は「姫川っ!!! 俺もお前が好きだ!!!!!」と僕に抱き着いてきて……。

 何だか、大勢の前で告白されたみたいになってしまった。

 みんな、会長がどういう性格かはわかっているし、大丈夫だとは思うけど……。

(これで、よかったんだよな……?)

 クラスの集まりにいる奏汰の方に目を向けると、彼がまだこちらをじっと見つめているような、そんな気がした。

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