モンロー事変
第一話 校内のマリリン・モンロー
席替えで浮足立った教室は、話し声と机を動かす音とで騒がしい。
私の席は中央の列の一番の後ろの席。見事、後ろを勝ち取ったことに私も例にもれず浮かれていた。だって! 一番後ろの席とか超ラッキーじゃん! 今日から私の快適ライフが始まるんだー! と、思ったのもつかの間。近づいて来る人に顔をしかめた。
まさか。
ドサ……。前の席に荷物を置く。
目の前にあるのは、すらっと長い脚。このくそ暑い夏に、涼しげな乳白色の脚が露わになっている。わー。目が涼しいー。
自分の脚を、ちら。見て、激萎え。私と全く違う。私が憧れてやまない、ウォニョンみたいな脚に、一番後ろの席を当てたことなど霞のように消えてしまう。
脚の細い月羅、私はコイツが苦手だった。
小中同じで、ほぼ腐れ縁の彼女は私にとって、目の上のタンコブ。
だって、脚細いし、色が白くて、日本版ウォニョンみたいだし。それに顔がめちゃくちゃカワイイ。大きな黒目と、ぽってり唇がウサギみたいで、すっごくかわいい。お父さん似で男顔な私とまるで正反対! 全部、私が憧れて止まないものだ。
でも、私がうらやむものを全部持っているっていうのに、彼女はいつもツーンとして、冷たい。人生がちっとも楽しくない、って顔して、いつも猫みたいに外を見てる。それがまた鼻につく。私が月羅だったもっと楽しく生きるのに。
だから私はあの子が気に入らない。
セッカクの快適ライフが月羅によって打ち砕かれる。やだなあ、なんて思いながら私は席についた。
ソレに。私の左隣の席は空いていた。
はあ。私の隣はどうやらモンローらしい。
私の快適ライフは、とうとう灰にもならなかった。
モンローとは、マリリン・モンローの略称。
そして私の隣の席になった
モンローが教室に来たのは一度だけ。でも私はモンローを見た日ことを忘れない。
あれはキョーレツだった。
男子制服を着ているのに、校則違反の真っ赤なルージュをつけた男の子。でもそれがまったく浮いてなかった。きれいな顔のおかげか。マリリン・モンローみたいな厚い唇のおかげか? それとも口元のホクロ?
真っ赤なルージュは浮くどころか、世界中のどの人よりも似合ってすらいた。
でも目立っていた。
学校という小さなコミュニティーのなかで、はっきりと。この世界では目立つことはなによりもタブーなのに!
彼は入学式一週間後の月曜日に一度だけ現れて、それっきり私の前に姿を現していない。ウワサじゃ保健室登校って話。
彼はたった一度の登場(降臨?)で学校中にその名を轟かせた! そしてありとあらゆる噂を流された。もういっそかわいそうなほどに。ハイヒールで登校した姿を見た、なんてウワサはかわいい方で。ヤツはゲイだとか、男優だとか、そんなウワサを流された。まあ、あれだけ派手に登場したのだ。それぐらいウワサを流されてもジゴージトクとしか言いようがない。
そうして、口元のホクロも相まって彼はその身にマリリン・モンローという名を宿した。
と、まあ。彼についての話をアレコレしたけれど、本当のところ私もモンローのことはよく知らない。私もウワサを楽しむ側ということだ。
でも、モンローの隣の席が面倒なことだけは分かる。もし明日モンローが来たら……ゼェーッタイ面倒! やめて! 来ないで!
まあ来ないだろうけど。
***
高校に入学してはや二ヶ月。季節は梅雨前。なのに、地球温暖化だかなんだか知らないケド、日差しはスゴク暑い。地球の水分が全部干上がって、一帯が砂漠になる日もそう遠くはないのかもしれない。
なーんてことは運命に任せて。
一日七時間の修行を乗り越え、やっとの放課後! 私はスキップで部活へ向かう。勉強はてんでダメだけど、私は運動だけは得意なのだ。
【私の特徴】よく動き,よく食べる。
廊下にタムロする男子を押しのけ、体育館一番乗りを目指す。そのまま、階段を飛びおりた! ダケド、跳んだ体は……重い。腹の肉が浮力を得て、震えた。即座に今朝の五キロが脳裏を駆ける。ターボ五キロ。
ドスン。
二ヶ月前まで、蝶が止まるように軽かったはずの着地が、ドスン。
うすうす気がついていた。重いな、って。でも気づかないフリしてた。お腹空いたし、運動してるしいいか、って。そうして日に日に重くなっていたのだ。
もう一度、跳びあがる。
脚は太さを増し、二の腕ブルンブルン。極めつけはお腹。今朝はパンツに乗ってた肉のことだ。それが、でゅるん! 跳ね上がる。着地、ボヨン。余震で小刻みにボヨンボヨン。
頭の中を爆速で暴れ回る、過食、お菓子、などの心当たりたち。儚く散っていくモテ、彼氏、マイウォニョン。
こんなはずじゃなかった。
私は着地に失敗し、膝から崩れ落ちる。その間も、ドスン。
ワックスの光沢で反射した自分を見つめて、「顔、まる」と呟く。ブスだ。そこにはウォニョンなどいない。憧れに似つかなかった、どこにでもいるような芋臭い女の子がいた。
流行りに合わせて巻いた触覚がダサい。かといって、私の面長な顔じゃ、ウォニョンみたいな前髪なしも似合わない。
終わりです。オワリ。はあ。
吐いたため息が足音でかき消される。そうだ! ここ廊下! 慌てて、立ち上がろうと腕に力を込めた。瞬間、床磨きシンデレラポーズをとったままの私を、誰かが蹴とばす。
「いったぁ!」
蹴とばしたヤツは謝らない。私はそのことにちょっとだけ腹が立った。廊下にうずくまってたのが悪いのに、私はキレた。完全に逆ギレだ。
誰よ! そう言って振り返った先には誰もいない。
私に暴行をはたらいた犯人は、私のこと(私のヒメイ)を無視して駆けて行ってしまったのだ! それが私の怒りに拍車を駆ける。
「ちょっと! 謝んなさいよー!」
嫌味なオバチャンみたいなことを言ってしまう。
犯人は、長い黒髪をゆらして、その美しい脚で走って行ってしまう。犯人の正体が分かって、私はマスマス怒りに燃える。
「ちょ、待ちな!」
極妻の口調とカンロクで呼びとめ、後を追う。
ぼよん、ぼよん。腹が暴れるのも気に留めす、追いかけた。陸上部の脚はグングン距離を詰める。追いかけた理由は私のウツワがちっちゃいのもあるけど、半分は好奇心だった。
あれは月羅で、月羅は今走っている。だから気になった。
だって! 足速いのに、体育でも本気で走らない月羅が、廊下を全力で走るなんて! 髪を振り乱して、その長くて、細い脚で、大きく一歩を踏み出して。
——綺麗。
まるで流星。
一直線に。漆黒の髪が閃火を放って、流れていく。陽光で浮かび上がるものの形。その陰と私の影が交じり合う。私は、距離を詰めていく。
階段を二段飛ばしで駆け下り、曲がる。事務室の前を通った、その先。手を掴みかけたその時、月羅は止まった。
保健室だった。
「へぶっ」私より、五センチ小さい彼女の背にぶつかる。
月羅は私がぶつかった衝撃をキッカケに、一歩踏み出した。
「し、失礼します……」
「?」
つぶれた鼻をさすって、不思議に思った。いつも飄々としていけ好かない月羅の声が、硬い。保健室に来ることがそんなに緊張することか?
「久人くん、いますか……?」
ひさと? その名前どっかで聞いたことあるような……。
「あらっ。月羅ちゃん、また来てくれたの?」
保健室の先生がやって来る。白髪の多い、ボリューミーな髪の先生だ。
「あっ!」月羅がなにかを見つける。「あら? 流奈ちゃんじゃない? どうしたの? また怪我?」保健室の先生が私を見つけた。「いえ……今日は……」口ごもる私。
先生と月羅は逆方向に。
な、なんて答えよう……。考えて視線を彷徨わせる。
すると、「あ、月羅」私がもう何年も呼んでない名前を気安く呼ぶ声がした。綺麗な、声。先生のとのも、月羅とも、もちろん私とも違う声がして、振り向く。
月羅の駆けよる先に、背の高い人がいる。
さらり、と黒髪が凪いだ。
陽光が、彼の周りでだけ、より強く光を放っている。
目が、吸い寄せられる。ブラックホールだ。掃除機だ。奇術だ。でも、この感覚には覚えがある。
「あれ?」
笑った顔が私を見た。
「月羅の友達?」
吸い込まれそうな瞳、長いまつ毛。厚い唇の近くにはホクロ。青絲の髪。真っ赤なルージュ。
「も、」ビシッ! 指をさす。
「モンロー!」
***
私と宿敵とモンロー。謎のメンツ。
先生が紙コップを出してくれて、三人でお茶を飲んでいる(ちなみにお茶はモンローの持ってきたハーブティー。イメージを裏切らないヤツだ)。
先生は気を利かせて、相談室を貸してくれた。全然そんな気遣いいらない。
月羅は私を睨みつけ、モンローは優雅に持参したお茶を飲んでいた。
ど、どうしよう。私なんか話さなきゃかな? 私が口を開く前に、こくり、のどぼとけが上下して、モンローはやっと話し出した。
「君の名前は?」
「え。……る、流奈……」
「そう、流奈っていうの」
「うん」
気まずい。
緊張で口がカラカラ。耐えきれず、毒が入っているかも、と口にしなかった紅茶を口にする。ええい!
ごくん。
……あ、
「おいしい……」
「でしょー?」モンローが目を輝かせる。
「僕のスペシャルブレンド!」
スペシャルブレンド!
「え、え! すごーい……!」
「おいしいなら、もう一杯飲む?」
「うん……!」
モンローも女子力の高さに、すっかりほだされる私。……もしかして、チョロい?
スペシャルブレンドにはしゃぐ私とモンロー。
「ねえ……」痺れを切らした月羅が足を組み替える。
細くて、長い脚は、パンツが見えそうなほどにめくれあがって、むき出しになった。その脚を見て、私のテンションが一気に下がる。
「なんでここにいんの」
月羅の話し方に違和感を覚えた。
「……なんで、って別に」
「じゃあ、帰ったら?」
「ふん! ゼ~ッタイ帰んないから」
「はあ? ほんと、子ども」
「そりゃピッチピチよ」
言い合うこと数分。お互いに意地の張り合いになってきたころ、モンローが「まあまあ」と言った。
「言い合いは美しくないよ」
美しくない、かなりキザな言い回しだけど、月羅は「そうだね」と突っかかるのを止めた。私も突っかかるのを止めざるおえなくなる。
でも、私の中の違和感は大きくなっていた。
な、なにそれ、なにそれ! え? 急にキャラ変でもしたの? そんなに大人しくなるの? あの月羅が? 私は忘れないよ? 中学で男子とケンカになって、殴り合いにまで発展したあの事件を。誰が止めても言うことをきかなかった月羅が! 絶対に謝らなかった月羅が! 誰ともつるまない孤高の月羅が! よりによってモンローとつるんでるなんて!
——信じらんない!
「は、は~ん? アンタまさかモンローとデキてるの?」
「お前!」「うわっ」ガタッ、ガタン。二本足で立てなかった椅子が倒れる。胸倉を掴まれて、上を向かされたせいで、月羅と目が合う形になる。
月羅はかわいいウサギみたいな顔を歪めている。怒っているのだ。
——セッカクのカワイイ顔が……。
「……なによ、」
「お前、二度とそれを口にするなよ」
「モンローのこと? いいじゃん別に。てゆうか、アンタに止める権利はない」
「それは人を傷つけるものだぞ」
——あ、
私はモンローを見る。彼は気にしていないかのように、お茶を飲んでいた。綺麗な所作だと思った。
人間味が無くて、気持ちがまったく想像できないケド、動いてる以上、人間なんだ。じわり、と罪悪感みたいな苦い気持ちが広がる。
変人相手に、気を遣う必要なんてないのに……。
学校じゃ、些細な違いも許されない。駅のホームから線路の間に見えない格子があるように、仕切りがある。似合うから着る。似合わないから着ないとか、そういうカンジ。そこから出てしまえば、誰も守ってくれない。彼はそれを自ら飛び出している。だから、文句は言えない。私は悪いことなんてしてない。
最悪感を払うように、掴んだ月羅の手を払いのけた。当てつけみたいに言い放つ。
「あんた、なんか話し方チガくない? 男みたいだよ」
月羅の動きが止まる。モンローが「あら」と言った。
顔から色が無くなって、口を開けては噤んだ。明らかに動揺していて、長い青絲の髪が顔に張り付いていた。「え、どうしよう。ちがう。私は、ワタシだから。大丈夫、で、でも」訳が分からないことばかり呟く。
「え、なに……? そんなに動揺すること?」
ハッとした月羅が、真っ青な顔のままで「帰る」と言った。鞄を持ち、逃げる様に相談室から出ていく。
「は? なに、急に。モンローと話したいことあるんじゃないの⁉ 待ってよ!」
慌てて追いかけようとする。すると、モンローは静かに「僕のことはモンローと言ってくれて構わない」と言った。
「は?」
急に、なにを言ってるのか、全く分からない。
「僕のことは遠慮なくモンローと呼んで構わないよ」
「だから何を……、あっ!」
月羅!
相談室からでてあたりを見回す。ダケド、月羅の姿はない。
「行っちゃった……」
「いつかが来たら、月羅を追ってほしいけど、今は追ってほしくなかったんだ」
「はい?」
モンローは優雅にお茶を飲む。マイペースだ。
「今の月羅には時間が必要だ」
「だからなにを……」
私は話がまったく読めなくて、混乱した。私バカなんだからバカにも分かるように話してよ!
「君は気づいただろ? 月羅の話し方」
「あ、あのこと? あれは気づいたっていうか……」
「君は月羅が好きなんだね」
紅茶を一口、それから一拍置いて。
「気になって気になって仕方がない」
伏せられていた睫毛が持ち上げられて、その水晶玉みたいな艶やかな目が私を映す。
「そうだろう?」
そうだろう? が体をこだまする。
この人は人の心が覗けるんだ! 私は根拠のないことを信じた。そのくらい、全てを見透かされている心地だった。占い師ってこんなカンジかも、漠然と思う。
「わ、分かんない。でも、私はあの子が羨ましくて、羨ましくて、仕方がないの」
そう。あの子が全てを持っているのが気に食わない。それをちっとも嬉しがっていないのが気に入らない。だから、余計に羨ましい。
あの子は、初めて見た時から私の憧れ。
「君も、自分を着こなせていないんだね」
着こなす……?
「僕、モンローっていうあだ名、結構気に入っているんだ。だってあのマリリン・モンローだろ?」
そうだけど、違うだろ。
でも彼の言葉は、その渾名が魅力的に聞こえるようだった。
赤い唇の間から真っ白い歯が覗く。
「大スターの名前がつくほど、僕が強烈で、美しいってことだろ?」
笑顔が眩しい。
な、なんて自信家! キザ! でも————真っ赤なルージュは最高に似合う。だから、気付いたら口をついていた。まるで当てられたように。
「ど、どうしたら、そんな風になれますか」
まっすぐで、輝いて見えるように、
「どうしたら、真っ赤なルージュが似合いますか。自分の、好きな色を自信もってつけられますか。私、月羅になりたかったんです。だから、ウォニョンになりたかった。キラキラしてて、恥ずかしがったりしなくても、キラキラを身に纏えるような女の子になりたかった」
脚が細くて、真っ白で、可愛くて、始めからキラキラしいて。流星みたいに駆けていくあの子。
「五キロも太った私でも、ウォニョンになれますか?」
確かに、弾ける音がした。なにが弾けたって? それは————
世界。
「なれるとかじゃない。君は輝くんだよ」
ドーン! 静かに、私の世界は弾けた。
まるで閃光。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます